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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman (3)

  • そろそろid:ekken君の「性的いやがらせ」について何か論じておこうと思ったんだが - はっはっはっは

    さっき友人から借りてきた『ハヤテのごとく』のDVDを観なければならないので、やっぱいいや。今どきメディア論を語るには、こうした漫画やアニメにも詳しくないとねー まあ、あれかな。一度出来上がってしまったコンフリクト的なコミュニケーションは「二重の偶発性」に曝されて複雑化してしまうから、それを人間的な単位に還元することは不可能なんだよね。たとえば、「誰の責任なのか?」、「どの発言や行為が問題なのか?」、「誰が悪いのか?」といった観点で問題解決を図ろうとしても、それは道徳家がよくやる<馬鹿の一つ覚えによる過度の単純化>に過ぎない。実はコンフリクトというコミュニケーション・システムそれ自体に問題があるにも拘わらず、特定の人間の問題に還元しようとするから、その解決は形式的な擬似解決に終わってしまうのだよ。わっはっは。 と、言っても、「形式」的な疑似解決は避けられない。問題解決の「内容」を一々検証して

    zonia
    zonia 2009/02/17
    まさにその通りなんだけど,何というか,それでも何とかしたいなーという心は忘れないでいたい。まあでも最終的に個々人が「(条件1)かつ(条件2)…に合致するものを__とする」ことになるんだろうけど。
  • 精神医学の終焉 ポスト・ヒューマン、発現。 - はっはっはっは

    はじめに この記事では、ネット上で行なわれている精神医学をテーマとしたコミュニケーションを観察することで、精神医学が機能不全に陥っていると言う現状を指摘する。直ぐにお気づきになるだろうが、この挑戦の意味するところは、<脱魔術化された科学>の脱魔術化だ。 基的な考察の出発点は、人間の精神状態に言及するはずの精神医学の学術的なコミュニケーションは、人間の精神状態を<置き去り>にしたまま突き進んでいく、というパラドクシカルな観点である。こうした精神医学は、次第に「形式と表面の戯れ」となり、ネット上を戯れる素人たちの<玩具>として成り下がる。ネット上で注目されている精神医学は、もはや学問の英知を指し示すものではない。 すると、知的好奇心はこう問いかけてくる。精神医学の後に何が来る?道徳か?倫理か?政治か?近代的理念か?しかし、それを説明するのがこの記事の役目なのだから、詳細については文中で説明

    zonia
    zonia 2009/02/04
    カテゴリーは「コンピュータ・IT」
  • 無知な弱者は疑似科学に騙され、科学にも騙される。散々振り回された挙句に最終的には無知のまま形式と表面を戯れる。 - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師

    はじめに:KoshianX氏の問題提起 『似非科学対策としての「なんちゃって理解」を実現できないか - 狐の王国』の問題提起は非常に示唆に富むものだった。盲点の無い観察は無い。したがって、何が複雑なのかもわからないほどに複雑な情報や知を前にしては、「なんちゃって」理解することと「嘘を吐いて」理解させることが効果的に重要な選択となる。そのために必要となるのが、メタファーだ。『知のデザインとしてのメタファー - ポスト・ヒューマンの魔術師』で説明したように、メタファーは類似的な対象を同一視することを可能にする。メタファーを自覚の有無を問わずに利用することで、我々は理解や読解の負担を免除させているのだ。id:KoshianX氏は、このメタファーの機能による「なんちゃって」理解が、疑似科学対策に結び付かないのかと考えているのである。 この記事で説明する私の返答 これに対する私の返答は、次のように過

    zonia
    zonia 2008/11/16
    やっぱり「科学技術」と「科学万能主義」は分けて解釈した方がいいと思う。科学は人生における善悪・価値を評価しないし,宗教(あるいはコミュニティの「常識」とか)は善悪・価値の規範。
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