さっき友人から借りてきた『ハヤテのごとく』のDVDを観なければならないので、やっぱいいや。今どきメディア論を語るには、こうした漫画やアニメにも詳しくないとねー まあ、あれかな。一度出来上がってしまったコンフリクト的なコミュニケーションは「二重の偶発性」に曝されて複雑化してしまうから、それを人間的な単位に還元することは不可能なんだよね。たとえば、「誰の責任なのか?」、「どの発言や行為が問題なのか?」、「誰が悪いのか?」といった観点で問題解決を図ろうとしても、それは道徳家がよくやる<馬鹿の一つ覚えによる過度の単純化>に過ぎない。実はコンフリクトというコミュニケーション・システムそれ自体に問題があるにも拘わらず、特定の人間の問題に還元しようとするから、その解決は形式的な擬似解決に終わってしまうのだよ。わっはっは。 と、言っても、「形式」的な疑似解決は避けられない。問題解決の「内容」を一々検証して