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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (8)

  • それは脚気ではない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 打てども響かないというか、知的な意味での脚気なんじゅないかと思うくらい、リアクションのできない人がたまにいます。 いろいろ理由があるのですが、その場合、ひとつ困ったなと思うのは、人が興味があると思っていることと実際に興味があることの間にギャップがあるのに人が気づかないことが理由になっているケースがあるということです。 膝を叩いても反応しないのは脚気ですが、膝をくすぐって反応しないのは脚気とはいいません。単にくすぐりに対して感度がにぶいだけでしょう。 それと同じように、反応できないのは、そもそも対象となる刺激に対するセンサーを持っていないというケースが思っている以上にあると思うのです。つまり、そもそも興味がないから反応できないんだけど、人はなぜか自分は興味があるのだと疑

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    zorio 2010/01/15
  • 手入れ文化と日本/養老孟司: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 モノであれ、情報であれ、人がつくった人工物はつくった形のまま、変化しません。変化するとすれば、それは人間がつくりだした部分以外のところで、自然にしたがう形で劣化していくだけ。人工的な部分はつくった時点から変わらず、そのまま残ります。 一方で、人間自身を含めて自然にあるものは常に変化しており、むしろ、おなじ状態であることができません。人工物のうちの変化する部分もまさにこの自然に従っているだけです。 しかし、人間の歴史において、人間はつねにこの変化しない状態を望んできた面があります。エジプトのピラミッド、万里の長城、ミイラ、そして、現在のコンクリートやアスファルトでつくられた都市や情報化技術IT)。 変化しない人工物で埋め尽くされた都会で暮らしながら、現代人は「私は変わらぬ私

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    zorio 2009/09/20
  • 好奇心=「わからない」をつくること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 を読めない人がいます。他人の話の字面だけをおって相手が何故その話をしているかを感じとることができない人がいます。また、間違いをおかさないよう怯えることにせいいっぱいでチャレンジできない人がいます。 そうした人に共通するのは未知への感受性の希薄さです。わからないものを避け、未知なるものを嫌悪する。自分が安心してみられる世界に閉じこもり、新しい世界に目を向けようとはしない。外部に対してはもちろん、自分自身の内にある未知や答えのはっきりしないものからも目をそらしたがる傾向がある。 そういう人もいろいろ教えてもらいたがったりするのだけど、残念ながら、そういう人に教えるのはむずかしい。何故なら教えてもらいたがってる割には未知なるものを嫌うから。教える側は相手がすでに知ってることしか

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    zorio 2009/08/27
  • 「ひらめき」のためにはいったん思考を保留して、機を熟すのを待つことも必要: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 わからないからといって焦ってわかろうとする必要もなければ、その逆にすぐにあきらめてしまうのも違うだろうということを「わからないことへの耐性」と「「わからない」を自分で引き受ければ他人の目を気にして焦る必要はない。」の連作で書いてきました。 未知のものに出くわし「わからない」と感じたら、焦るのでも、あきらめるのでも、思考停止状態に陥ってしまうのでもなく、とにかく自分のペースで「わかる」まで付き合ってみようとする保留の状態をつくることが大切なことがあると思っています。あきらめずにゆっくりと「わからない」ものにとことん付き合ってみることで「わかった」と感じるときが来ると思っています。 そんなことを書いてきたわけですが、ちょうどいま読んでいる岡潔さんの『春宵十話』のなかに、まさにそ

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    zorio 2009/08/21
  • わからないことへの耐性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 世の中、全体的にわからないことへの耐性がきわめて低くなってしまっているのではないでしょうか。 自分の目の前に何らかのわからない対象が存在すると、無視するか、その対象を差し出した人に対して苦情をいうか、あるいは、わからない自分をただひたすらダメだとレッテルをはり殻に閉じこもってしまうか。いずれにしても、わからない対象をわかってやろうという姿勢が長く保てる人はいないし、すぐにわからないまでもいつかわかってやろうと心に留めておける人もすくないのではないかという気がしてなりません。 わかろうとする努力が著しく欠けている自分自身でわかりやすいものを求めてしまうだけでなく、相手に何かを提示する際にもわかりやすくすることを自分に課してしまう傾向があるような気がしています。わかりやすさに対

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    zorio 2009/08/19
  • 自分自身の心の動きの正体にこだわってみる: DESIGN IT! w/LOVE

    最近のワークショップなどの講義では「誰のせい?」という話をすることが多いです。その話の最後には「誰のせい?」かを問う姿勢とは別に、「仕方がない」という受け止め方があることを指摘しています(例えば、突然雨が降って来て濡れてしまうのは「誰のせい?」ではなく「仕方がない」)。 ただ、それ以前に問題を自分自身が関わる問題として受け止められるかということがあるのかもしれません。 問題を他人事として受け止めることができない。自分自身の問題として受け止められない。他人のよくないところを見つけることはできるのに、自分のよいところを見つけられない。いや、そもそも自分自身に向き合うことができず、自分が何を言っているのかを考えようともしない。考えることから逃げてしまう。 そういう姿勢に自分自身が陥っていないかどうか。 「誰のせい?」と責任の所在を外にばかり求めるのではなく、逆に他人の問題をも自分の問題として受け

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    zorio 2009/08/09
  • ユーザー理解とは―: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ユーザーを理解するというとき、その「理解」というものを間違った形でイメージし、理解しているケースが意外と多くみられます。とりわけ多い間違いは、ユーザーとなりえる人の人となりすべてを理解することが、ユーザー理解だと思ってしまうことではないでしょうか。あるいは、漠然と理解するというだけで、何を理解しようとしているのかのフォーカスがなかったりすることもあります。 そもそも、特定の人間のすべてを理解するという漠然としたイメージでそもそもどんなことを理解しようとしているのかもよくわかりませんが、普通に考えて、ひとりの人間のすべてを理解することなんて、そうそうできるはずもありません。長年付き合いのある友人や家族だって、その相手のことを理解できているなんていえないでしょう。 それなのに、

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    zorio 2009/07/25
  • マーケティングの用語の使い方が大混乱しています: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「製品中心から人間中心のデザインへ」と「マーケティングとユーザビリティに対するデザイナーの失望」にトラックバックをいただいたので、いちお返事の代わりに書きますが、これだけマーケティング用語の使い方が混乱していて大丈夫? ニーズが手段ってどういうこと?まず、ここ。 ユーザーのニーズを得るのは比較的簡単です。しかしNeedsを満たしても、Needsはユーザーの当の目的ではなくたくさんある手段のうちの一つであることが多いため、ユーザーの当の目的を達成していないということがほとんどなのです。 あのー。マーケティングにおける「ニーズ」という言葉の意味をちゃんとわかって書いてらっしゃいますか? ニーズって文字通り「必要さ」だと思うんですが、それがどうして手段になっちゃうんでしょう?

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    zorio 2009/05/07
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