ブックマーク / le-matin.hatenadiary.org (6)

  • 日本と韓国のナショナリティ(とローカリティ) - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    金明美『サッカーからみる日韓のナショナリティとローカリティ』読了。清水市と西帰浦市(済州)で、(少年)サッカーをめぐる様々な実践をフィールドワークしたもの。日韓国のナショナリズムの成立ちの違いについての結論が興味深い。 大胆かつ大幅に要約すると、日のナショナリズムは「地域での活動が自然にナショナルなものにつがなる」ような形になっているという話である。金は、少年団でのサッカーが地域選抜から日本代表につながっていくというような図式に重ねて*1読み解く。 ここで、末端ではナショナリズムが持ち出されないことが特徴的だと指摘されるのが興味深い。日の、地域での少年サッカーはコミュニティに組み込まれた形で実施され、そこからだんだんナショナルなものに繋がっていく。また、活動のなかで自然に「日的」な価値観が教えられる。ローカルなものとナショナルなものの区別は日では曖昧になっているという。 一方、

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    zu2 2013/05/30
  • 日本は普通じゃない方がいいのじゃないか - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    まえおき たとえば「在日コリアンが持っている『特別永住者』という在留資格はおかしい。日国籍を取得させるべきだ」という考えがある。また「日国は様々な民族からなる国家になるべきだ。日の丸はその国家の象徴になるべきだ」という考えもあるように思う。 僕は、ザイトク会的なものの次に、こういう考えを心配している。もしザイトク問題が解決しても、この問題は残ってしまうのではないか、そういう不安がある。なので、この記事を書いた。不安に根拠があるのか、と言われれば「印象程度です」と答えるほかない。杞憂に終わればよいと思う。 文 日の丸を国民の統合の象徴とする、というアイデアには反対だ。多様なエスニシティの人々を日国民として統合するという話にも賛成できない。日国は様々な国籍をもつ人々が共存する場所であるべきだと思う。なぜなら、それが日のナショナリズムの唯一のありかただと信じるからだ。 ナショナリズム

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    zu2 2013/04/06
  • ポストモダン、ポストモダン… - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    よせばいいのに、ポストモダン系の人が南京大虐殺とかの歴史修正主義マターに知的相対主義で突撃して、案の定反発くらったのに定型的に逆ギレして、プチサイエンスウォーズみたいになっているという話。 (ひとつの典型として、ここhttp://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081203/1228313553) 僕は自分でポストモダニストのつもりだけど、こういう話を見ると情けなくなる。そもそも歴史修正主義は知的相対主義の悪しき応用なのだから、そこに相対主義を持ち出して何かの解毒剤になるわけがないじゃないか。空気を読めよ。 もちろん、気持はわからないではないけれども、わざわざ中毒の現場で刺身をってみせるようなもので、どんなに弁解しても揶揄的な意図が含まれていることは否定のしようがない。デリダにせよ、フーコーにせよ、彼らはそういう態度は取らなかったし、つねに明確な戦略性を持っていたと

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    zu2 2013/04/02
  • やっぱり今のポルノは問題があると思う - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    昨日から会田誠の作品展への抗議について考えている。主に表現の自由という観点からあれこれ書いているのだが、それだけでよいのか、という問題は残る。 確認しておくと、僕は表現は基的に自由であると考えていて、それが大規模に流通するような場合に、公共性に基づく最低限の規制が必要になる、と考えている。つまり、今回のことに関しては「ポルノとして売っているのではないから、ポルノに似ているとか、芸術としての価値がないといったような理由によって規制するのはおかしい」というのが言いたいことだ。 しかし、これでは議論の水準を切り替えただけで、当の意味で問題に答えたことにはならない。そもそも会田の作品が問題になったのは、「それがポルノに似ている」からだし、会田が批判的なアイコンとして作品を機能させられるもの「それがポルノに似たものになる」からだ。たとえば、ウォホールの「キャンベルスープ」を缶詰の大量流通と切り離

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    zu2 2013/02/09
  • 紀州徳川家のこと - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    昨日、「篤姫」で徳川慶福が出てきたからかと言うと全くもってそうなのだが、紀州徳川家のことをちょっと考えた。 大体、僕らの司馬遼太郎的幕末史でいうと、紀州徳川家っていうのは単なる脇役にすぎない。坂竜馬に海難事故の賠償金を脅し取られる話が出てきて、あと「翔ぶが如く」に元家老の津田出の話がちらっと(それも不名誉な形で)出てきて、それっきりだ。資料を調べると陸奥宗光が紀州出身であることがわかるが、これを覚えている人はそうはいないだろう(僕は思いっ切り忘れていた)。 でも、それはちょとアンフェアなのではないか。 そもそも紀州徳川家は吉宗以来、徳川将軍家の血筋をほぼ独占している(御三卿も全部吉宗の子孫だから。15代慶喜だけが水戸系)。それだけでも幕末史の主役級になる資格はあるように思えるが、法福寺隊(日体育共和軍隊)という、奇兵隊型の身分超越的軍隊を作る人が出て長州征伐で善戦したり、かなり早い時期

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    zu2 2013/02/09
  • どんな懐かしさをおぼえるとしても

    随分前に書こうとして準備していたのだけど、しっかりやろうとすると永遠に無理だと思うので、軽く骨子だけ『鬼滅の刃』について書きます。 『鬼滅の刃』は見た目より単純なところと、見た目より複雑なところを含む、意外と難しい作品だ。しかし、そのメッセージは魅力的で、受け取ろうとすればちゃんと受け取れる。大ヒットしたのは、単に映像的迫力に富んでいたからでも、子どもに受ける表現だったからだけでもない(そういう要素はもちろん含まれているが、それだけではない)。漫画的、映像的にどうであるか、という話はたくさんあるので、ここでは作品のモチーフの話をしたい。ネタバレは最小限にするつもりだが、おそらく全体のストーリーの行方は読み取れてしまうと思う。そういうことも知りたくない、という方は、ここで読むのをやめることをお勧めする。 == == さて、 == == == 『鬼滅の刃』のコミックの後半の巻に、キャラクターの

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    zu2 2012/08/02
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