時田 @tokitadesu 前コミティアに毎回来てくれてた人に「いつもありがとうございます」って声かけたら「ライン越えましたね…」ってお顔されてて、まずい事したなと思ったら案の定その後二度と来てくれなくなったので、その流れでエゴサしていいねRTするの申し訳なさある。あのお顔が忘れられない。
時田 @tokitadesu 前コミティアに毎回来てくれてた人に「いつもありがとうございます」って声かけたら「ライン越えましたね…」ってお顔されてて、まずい事したなと思ったら案の定その後二度と来てくれなくなったので、その流れでエゴサしていいねRTするの申し訳なさある。あのお顔が忘れられない。
僕には常識が無い。だから、常識知らずだ。 常識的な、考え方が出来ない。だから、異常だ。 世間では「普通をはみ出す」とか「まともから外れることが成功の鍵だ」というようなライフハックがよく紹介される。そして、僕は「常識外れ」だ。しかし、彼らの言う「常識外れ」と僕の言うそれは大きく異なっている。そして、常識はずれであることは苦痛だ。「普通をはみ出す」というのが、「自分で考えた証」だとか「成功への近道」だとかいう、ふざけた考え方が嫌いだ。 いらだちを書かせてほしい 僕は無関心だ僕は巷で流行っていることに興味が沸かない。どんなにサッカーや甲子園、アイドルが盛り上がっていようと興味が沸かない。その流行している「もの」を面白いとも思わないし、それから利益を得られるとも思えない。これは、普通の人達と同じ感覚だろう。 しかし、普通は「とりあえず」とか「目の前にあるから」とかの理由である程度興味を持つらしい。
タイトルの通りです。自分とは違う投票行動をした人を尊重する。 ※暑中お見舞い申し上げます 選挙の後は、他人の投票先をくさすコメントをネット上ではしばしば見かけるんですよね。私の観測範囲だと、東京都知事選挙、大阪府知事選挙(最近は大阪市長選挙もセット)なんかは鉄板で、「あんな○○な候補に投票するなんて、東京/大阪の人間は○○だ」みたいなコメントは毎回見かけます。 今回の選挙でも、「自民党/野党に投票するなんて○○だ」というのもあれば、特定の候補者に投票したことを「頭が悪い」「民度が低い」としているのも散見しました。Twitterでちょっと検索すると、大量にRTされているものがありますから、この種の行動をする人は一定数いるのでしょう。 私自身はこれまでにも書いてきた通り富裕層であるため、自民党に投票したほうが良いのだけれど、自民党の最近のやり方は適切ではないと考えているため、野党に投票するとい
そのとおりだと共感する意見がおおいのに 実際、弱者に向けて優しいメッセージを発してる人がいないってどういう現象? 百歩譲って自分の手で救ってあげろとは言わない せめて、そう言う寛容な意見に共感するなら、行動でそれを示せばいいのに 頑なに共感に全勢力を向けて現実に行動を起こさないのはなんなの? この問題に限らずあらゆる社会問題でこれと同じことが起こる これって何て現象なの? 振る舞いだけ寛容なのに一切行動が伴わず誰も救わない人達の群れ これが偽善? ※追記 例の記事の下記の内容を読んでいないと思われるブコメが目立ったので参考までに。ちなみに私は事件加害者と似たような立場にいると自覚しています。 「社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う。」 ※結論
※8月14日から8月26日までは「夏期充電期間」ということで、ブログの更新を原則お休みいたします! またお逢いしましょう! 「箇条書きは、やめてください。極力、文章にしてください」 ・ ・ ・ 僕は、自分のゼミ生や大学院生に、このように指導をすることがあります。 大学院の場合は、これに加えて、論文指導のときは、パワーポイントなどを用いた「プレゼン」も禁止します。ゼミへの提出書類は、すべてワードで文章で打ち込んだものを準備してもらい、パワーポイントなどでプレゼンすることを禁止してしまいます。 それはなぜか? あのね、いじめぢゃありません(笑) ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ それは端的に申し上げると「箇条書き」ばかりをしていると「頭が悪くなる」からです。 ええと、「悪くなる」は言い過ぎました(笑)。 「箇条書きは頭がよくならない=思考のトレーニングにならない」 からです。 だから、僕
これはもうはっきりと言えることですが、自分が気に入らなかったり、よくわからない文章を読んだときに「文章の方が悪い」と思っちゃう人はほぼ確実に低学歴でしょう。つまり「自分のためにかかれた以外の文章」を読む訓練が出きていません。自分のために書かれた文章というのは自分を言及対象に含み自分が興味がある、ある程度知識がある分野について自分という読者が読みやすいように書いてくれている文章です。それが否定であるか肯定であるかは関係ありません。とにかく自分向けに書かれているかどうか、それだけが大事なのです。食べ物で言えば、おっぱいを離れたばかりの幼児向けの流動食ですね。こういう自分好みの味付けをしてくれた文章しか読むことができないのはお子ちゃまです。お子ちゃまがこれ以外の文章を読むと「目が滑る」のです。なぜかというと、お子ちゃまは自分向けの文章以外を知らないからです。お子ちゃまにとっては、自分向けに書かれ
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