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戦国時代に関するdazedのブックマーク (42)

  • “信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見 | NHK

    それによりますと、この書状は今の岐阜県の美濃地方を治めていた戦国武将の斎藤道三が近隣の地域の領主に宛てたもので、その内容や署名などから、1552年ごろに書かれたと見られるということです。 道三は、織田信長に自分の娘・濃姫を嫁がせています。 書状では、「信長とあなたは大変親しいということでうれしく思う」と記したうえで、信長について「若造で至らない点もあるがご容赦いただき末永くつきあってほしい」と伝えています。 信長の人生を側近がまとめた文献「信長公記(しんちょうこうき)」ではこの書状が書かれた時期に道三は若き信長と初めて面会し、その奇抜な身なりや言動で周囲から「うつけ者」と呼ばれていた信長の才能を見抜いたとされています。 村井准教授は「道三の書状はあまり残っておらず信長に言及していることも珍しい。書状には、道三が信長のことを大事に思い気にかけていることがはっきりと記されていて『信長公記』の記

    “信長を気にかける貴重な資料” 義父 斎藤道三の書状を発見 | NHK
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    dazed
    dazed 2023/08/22
    「どうする家康」はわりと楽しく観てるけど、こんなの三成に投票するしかないだろ https://www.nhk.jp/p/tenkabito-sumapho/ts/9VZR2WRZ2X/
  • 『どうする家康』あまりに過酷な「浅井三姉妹」の運命と怖すぎる茶々の復讐劇 壮大な物語を背負った茶々の覚悟、ただ運命に翻弄される女性ではなかった | JBpress (ジェイビープレス)

    NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第30回「新たなる覇者」では、明智光秀を討った羽柴秀吉が、織田家の乗っ取りへと動く。それを阻止しようと織田家家臣筆頭の柴田勝家が動くなか、徳川家康はどちらつかずの立場を選ぶ。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部) 『徳川実紀』で多忠勝が家康に進言した内容 今回の『どうする家康』は、“気弱なプリンス”として描かれた松潤演じる徳川家康の成長ぶりが見所の一つだ。これまでは優柔不断な家康が、家臣たちから呆れられるような場面も多かったが、今となってはずいぶん昔の話のようだ。 息子の信康との築山殿が信長によって自害に追い込まれたことで、家康の腹は怖いくらいに座ってしまった。 自分は、天下人になる。そのために、やるべきことを一つひ

    『どうする家康』あまりに過酷な「浅井三姉妹」の運命と怖すぎる茶々の復讐劇 壮大な物語を背負った茶々の覚悟、ただ運命に翻弄される女性ではなかった | JBpress (ジェイビープレス)
    dazed
    dazed 2023/08/12
    “茶々が「母を見捨てた家康を恨む」という新しい展開”、脚本家の吉沢氏が戦国ドラマに先入観ないからなのか、この手の新解釈が案外におもしろい(だからダメという人もいるだろうけど)。
  • 『どうする家康』服部半蔵や穴山梅雪の存在感が光る「伊賀越え」の新しい解釈 文献には描かれていない、人物たちの心情を埋めるストーリー展開の楽しみ方 | JBpress (ジェイビープレス)

    NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第29回「伊賀を越えろ!」では、織田信長が明智光秀に討たれたことで、徳川家康が追われる身となった。家臣たちと力を合わせて、伊賀を越えて岡崎を目指すが、途中でとらえられてしまい……。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部) 少人数で伊賀越えを決行することになった家康 天正10(1582)年の「能寺の変」で、織田信長が明智光秀に討たれたことは、長く同盟を結んでいた徳川家康にとっても、衝撃的な知らせだったことだろう。 しかし、感傷に浸っている暇はない。光秀から差し向けられているであろう追手が、いつやってくるかわからないからだ。 とはいえ、信長の仇を討つべく、光秀軍と対峙するのも無謀である。このとき、家康はわずか30人ほどの重臣し

    『どうする家康』服部半蔵や穴山梅雪の存在感が光る「伊賀越え」の新しい解釈 文献には描かれていない、人物たちの心情を埋めるストーリー展開の楽しみ方 | JBpress (ジェイビープレス)
    dazed
    dazed 2023/08/05
    “もうダメかと思われたところに、本多正信を登場させるという離れ業” あの流れは、たしかに離れ業だった。史実というか通説と一応辻褄合っているのもよく考えたものだなと感心する。穴山梅雪の最期もよかったな。
  • 「本能寺の変」謀反人の明智光秀は、じつは庶民の人気者だった!…人気歴史学者が史料から読み解く「意外な二面性」とは?(呉座 勇一) @gendai_biz

    いよいよ能寺の変に突入するNHK大河ドラマ『どうする家康』。俳優の酒向芳(さこうよし)さんが、陰険な謀反人・明智光秀を好演し、話題を集めている。 今では嫌われ者のイメージの強い明智光秀だが、昔はどのような評判だったのだろうか。人気歴史学者・呉座勇一さんの著書『武士とは何か』(新潮選書)から、一部を再編集してお届けしよう。 人物像がよくわからない「謎の武将」 主君の織田信長を急襲した能寺の変で知られる明智光秀は、抜群の知名度の割に、出自を含め人物像がよく分からない謎の武将である。光秀の人となりを語る史料の多くは、能寺の変後に作成されたものであるため、謀反人光秀への偏見が強い。 江戸時代中期の正徳3年(1713)に刊行された『老人雑話』というがある。永禄8年(1565)生まれ、寛文4年(1664)に没した江村専斎(えむらせんさい)という医者が語った内容を、専斎の弟子の伊藤坦庵(たんあん

    「本能寺の変」謀反人の明智光秀は、じつは庶民の人気者だった!…人気歴史学者が史料から読み解く「意外な二面性」とは?(呉座 勇一) @gendai_biz
    dazed
    dazed 2023/07/22
    麒麟がくる的な光秀像。後編は「森蘭丸」はなぜ「森乱」なのか(https://gendai.media/articles/-/113599)関連記事「あの織田信長が、江戸時代に「意外なほど不人気」だった理由(https://gendai.media/articles/-/113593
  • 徳川家康最大のピンチ「伊賀越え」を徒歩で再現する総歩行距離130km超えの旅【1日目:四條畷神社~山口城】

    徳川家康が能寺の変の知らせを聞いて大阪から愛知県の岡崎城まで3日で帰ったという「伊賀越え」を徒歩で再現する旅に出ています。1日目は大阪府四條畷市の四條畷神社から京都府宇治田原町の山口城(別名:宇治田原城)まで移動したので、その過程をまとめてみました。 ◆1日目の予定ルート 1日目は四條畷神社を出発し、家康が通ったと伝わる「尊延寺道標」と「草内の渡し場跡」を経由して、家康が宿泊した「山口城(別名:宇治田原城)」まで行きます。 ◆スタート地点の四條畷神社へ移動 家康は能寺の変が発生した際に堺周辺を観光しており、四條畷神社に訪れていた際に信長の死を知ったとされています。そこで、今回の旅は四條畷神社をスタート地点に設定しています。四條畷神社の所在地は以下。今回は電車で四條畷駅まで行き、そこから徒歩で四條畷神社まで移動しました。 駅から四條畷神社殿に向かう途中の鳥居。 この階段を上れば、すぐに

    徳川家康最大のピンチ「伊賀越え」を徒歩で再現する総歩行距離130km超えの旅【1日目:四條畷神社~山口城】
    dazed
    dazed 2023/07/15
    2日目で中止になってしまった模様。企画自体は面白そうだったけど、舗装道路は馬の替わりに自転車とかでも良かったのかもなぁ。 https://gigazine.net/news/20230716-ieyasu-igagoe-failure/
  • 武力に優れ外交では凡愚の武田勝頼が打った悪手

    設楽原の戦いで壊滅的な敗北を喫した武田勝頼でしたが、武田氏滅亡まで、じつに7年の年月がかかりました。 信長は一気に武田領に侵攻したわけではなかったのです。 長篠(設楽原)の戦い以降の勝頼 武田勢に追い打ちをかけたのは徳川家康でした。 家康は、まず勝頼に攻め込まれた遠江と三河領の奪還、さらにはその地域から武田勢力の一掃を試みます。勝頼もこれに反攻したものの、三河領に関しては、ほぼ撤退を余儀なくされました。 この武田の動きを受けて信長は、嫡子・信忠に命じて長らく武田に奪われていた東美濃の要衝である岩村城を奪還し、城主・秋山虎繁を逆さはりつけという残虐な処刑で見せしめを行います。勝頼が岩村城を見捨てたことを印象づける、一種のプロパガンダ行為でした。 このあたりから勝頼は、遠江における徳川家康との攻防に主眼を置き始めます。その重要な戦略拠点が高天神城でした。家康は高天神城攻略のために二俣城を落とし

    武力に優れ外交では凡愚の武田勝頼が打った悪手
    dazed
    dazed 2023/07/09
    「どうする家康」の提灯記事ではあるけど、なかなかに面白い内容。勝頼が上杉景虎を支持して北条と同盟を続ける歴史ifがどうなったのか、観てみたい気もする。
  • 国際日本文化研究センター学術リポジトリ

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    dazed
    dazed 2023/07/09
    “日文研フォーラム 第268回 耳塚の「霊魂」をどう考えるか/魯成煥”
  • 戦国日本と大航海時代 -平川新 著|新書|中央公論新社

    秀吉・家康・政宗の外交戦略 平川新 著 15世紀以来、スペインやポルトガルはキリスト教布教と一体化した「世界征服事業」を展開。16世紀にはアジアに勢力を広げた。書は史料を通じて、戦国日とヨーロッパ列強による虚々実々の駆け引きを描きだす。豊臣秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか、徳川家康はなぜ鎖国へ転じたのか、伊達政宗が遣欧使節を送った狙いとは。そして日が植民地化されなかった理由は――。日史と世界史の接点に着目し、数々の謎を解明する。 書誌データ 初版刊行日2018/4/19 判型新書判 ページ数304ページ 定価990円(10%税込) ISBNコードISBN978-4-12-102481-7 書店の在庫を確認 ❑紀伊國屋書店 ❑丸善&ジュンク堂書店 ❑旭屋書店  ❑有隣堂  ❑TSUTAYA

    戦国日本と大航海時代 -平川新 著|新書|中央公論新社
  • 【どうする家康】「ファンタジーすぎて興醒め」ヤマ場の築山事件 “新解釈” 脚本に違和感の嵐「歴史に敬意がない」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

    6月25日、NHK大河ドラマ『どうする家康』の第24回「築山へ集え!」が放送された。世帯平均視聴率は10.0%だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。 家康(松潤)は、正・瀬名(有村架純)が「築山」(瀬名の住む屋敷)に、敵である武田家の重臣らを招いていることを知る。このことが信長(岡田准一)に知られてはまずいと、築山に踏み込んだ。 だが、瀬名は「戦い、奪い合うのではなく与え合う。互いの国が、慈愛の心で結びついて大きな国をつくれば、織田も手出しはできない。そういう国をつくりたい」と、壮大な “謀(はかりごと)” を話す。 それを聞き入れた家康は、武田勝頼(眞栄田郷敦)と手を結ぶが、やがてそれは信長の耳にも入りーーという話が展開された。 「家康が正の築山殿(瀬名)と嫡男・信康を死に追い込んだとされるのが、世に言う『築山事件』です。築山殿が武田側と内通していることを、信康のである徳姫(ド

    【どうする家康】「ファンタジーすぎて興醒め」ヤマ場の築山事件 “新解釈” 脚本に違和感の嵐「歴史に敬意がない」(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
    dazed
    dazed 2023/06/27
    あくまでフィクションとして観れば、徳川、武田、上杉、北条、伊達の連合で秀吉勢と対峙とか胸熱展開なのだが、個人的には盟主が北条だともっと熱かった(北条五代を大河ドラマに!推進派)
  • 夫に弟を殺され、秀吉に城を攻められ、行方不明に…悲劇の連続、大福御前のジェットコースター人生 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    戦国一、波乱万丈の人生を生きた女性。 そう問われれば、誰の名前を思い出すだろうか。 戦国時代は一寸先も闇。 どのような人生が待ち受けているか、分かったものではない。そういう意味では、当時の女性全員が、波乱万丈といってもおかしくはないだろう。なかなか1つになど、絞り切れるものでもない。 そんななかで、今回、ご紹介する女性はというと。 じつは、比較的、名の知れた……というタイプではない。どちらかというと、ひっそりと、だが、懸命に生きた証を残した方。 その生き様を知ってしまうと。 ひょっとしたら、この方が一番波乱万丈なのではと思ってしまう、そんな女性である。 名は「大福御前」。 「おふくごぜん」と読む。鉢形城(はちがたじょう)の城主である北条氏邦(うじくに)の正室だ。そんな彼女を、嵐のような出来事が次々に襲う。 今回は、そんな「大福御前」の起伏激しい人生をご紹介。 彼女が選択した「最期」とは、一

    夫に弟を殺され、秀吉に城を攻められ、行方不明に…悲劇の連続、大福御前のジェットコースター人生 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
  • NHK岐阜放送局|筋肉関ケ原

    ~合戦の地で60秒筋トレ~ 天下分け目の決戦の地「関ケ原」 筋トレをやるか、やらぬかも人生の分かれ目です 裏切りにおびえる戦乱の世、ストレスばかりの現代社会、 どんな時代でも役に立つ「強くて優しい筋肉」を一緒に鍛えませんか?

    NHK岐阜放送局|筋肉関ケ原
  • 戦国時代屈指の戦いを描いた「長篠合戦図屏風」

    1575(天正3)年、織田信長・徳川家康連合軍と、武田勝頼との間で起きた長篠の戦いは、戦国時代屈指の合戦といわれ、これまで多くの映画やドラマの題材となってきた。その模様を描いた図屏風が、激戦を今に伝える。 数千挺の鉄砲で武田をせん滅 長篠の戦いは1575(天正3)年4月、武田勝頼1万5000(兵数は諸説あり)の大軍が徳川家康の支配下にあった長篠城(愛知県新城市)に攻め込んだことによって始まった。長篠城に籠城した兵は、わずか500弱。落城は時間の問題と思われたが、20日間近く武田の包囲をしぶとくしのいだ。その間に、織田信長が3万の軍勢を率いて家康の支援に動いた。家康軍8000と合わせて、総勢3万8000となり(こちらの兵数も諸説あり)、設楽原(したらがはら)という南北に長い窪地に布陣した。 武田も引っ張り出されるように設楽原に陣を張り、5月21日、両軍は激突した。結果は、武田軍の壊滅で終わっ

    戦国時代屈指の戦いを描いた「長篠合戦図屏風」
  • 『どうする家康』武田勝頼が大河史上最もカッコいい描かれ方をしている斬新さ 岡崎のクーデターも『三河物語』に忠実ながら新解釈を展開する絶妙シナリオ | JBpress (ジェイビープレス)

    NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第20回放送「岡崎クーデター」では、武田信玄亡きあと、武田勝頼率いる武田軍が意外に手ごわい戦いぶりを見せて、徳川家康を追い詰めていく。そのうえ、家康の嫡男である信康が城主を務める岡崎城で不穏な動きが・・・。その見所について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部) 「武田勝頼」は果たして無能だったのか? 歴史は勝者によって作られる――。そう言われるように、敗者となった歴史人物には辛辣な評価が下されることが珍しくない。それも敗北の影響が人のみならず、組織全体を廃れさせたとなれば、その悪評は時代を超えて語り継がれることになる。 戦国時代においていえば、今川氏を滅亡へと追い込んだとされる今川氏真や、羽柴秀吉に敗れて北条氏を滅ぼすことになった北条氏政

    『どうする家康』武田勝頼が大河史上最もカッコいい描かれ方をしている斬新さ 岡崎のクーデターも『三河物語』に忠実ながら新解釈を展開する絶妙シナリオ | JBpress (ジェイビープレス)
  • 小田原の梅干し | 田中屋本店 小田原市

    戦国時代小田原に居城を構え関東一円に勢力を広げた北条早雲は、梅干の薬効と腐敗を防ぐ作用に注目し、戦時として梅干を重用し、城下及び周辺に梅の木を植え梅干しづくりを奨励しました。戦場においては、梅干を紫蘇で巻いて土や泥が付着するのを防ぎました。これが紫蘇巻き梅干の始まりです。 江戸時代に入ると、東海道の宿場として箱根越えをする旅人たちが小田原梅干を携帯するようになり、江戸後期には小田原宿の名物として全国的に知られるようになりました。 明治、大正時代になると日中に輸送手段として鉄道が敷かれるようになり、小田原梅干はますます日の隅々にまで送られるようになりました。また伊豆や箱根を訪れる観光客のお土産としても喜ばれるようになりました。 相模の温暖な気候に育まれた小田原の梅は、肉厚で、表皮が薄く、梅干にした際に柔らかな種離れの良い梅干に仕上がります。塩蔵の梅干には欠かせない塩が海に面した小田原に

  • 「信長の野望」では公家風の弱小キャラだが…今川家最後の当主・今川氏真を「暗愚な君主」とするのはもう古い 名を捨てて実を取り、戦国時代を生き延びた実力者

    徳川家康に見限られ、没落した戦国大名・今川氏真はどんな人物だったのか。歴史家の安藤優一郎さんは「歴史ドラマやゲームでは和歌や蹴鞠に熱中し、十年弱で今川家を滅亡させた愚かな戦国大名として描かれることが多い。しかし、そのイメージは間違いだ」という――。 戦国大名・今川氏真は当に“暗愚の君主”だったのか 海道一の弓取りと称されて、東海地方で勢威をふるった今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、名門今川氏は凋落の一途をたどる。 桶狭間の戦いからわずか十年弱で戦国大名としての今川氏が滅亡したため、そのイメージは決定的なものとなったが、そこで今なお厳しい視線に晒さらされているのが、義元の跡を継いだ嫡男の氏真である。 今川氏真というと、これまであまり良い印象を持たれていない。蹴鞠けまり、和歌といった貴族趣味に熱中し、酒色に溺れ、軍事に関する才覚は持ち合わせていなかった――今川氏を父・義元から当主を継ぎ

    「信長の野望」では公家風の弱小キャラだが…今川家最後の当主・今川氏真を「暗愚な君主」とするのはもう古い 名を捨てて実を取り、戦国時代を生き延びた実力者
  • 『北条五代』特集 <第一部>発売記念インタビュー 【歴史奉行通信】第七十八号|伊東潤

    第一部はこちらから。こんばんは。伊東潤です。 歴史奉行通信第七十八号をお届けします。 秋も深まり、寒さが足元から迫ってくる季節になりました。 私は寒さには強いので、四十代は真冬でも暖房抜きで仕事をしていましたが、 さすがに寄る年波で、 ここ数年は電気ストーブを使うようになりました。 さて12月7日、いよいよ故火坂雅志氏との共作にして上下巻の大作『北条五代』が発売されます。 作は火坂氏の急逝の後、私が後を引き継いで完結させたものです。 今回は作の発刊を記念したインタビューを掲載します。 なおここで北条氏と書いているのは、小田原北条氏のことになります。 是非お楽しみください。 〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓 1. 『北条五代』発売記念インタビュー 執筆のきっかけ / 大変だったこと など 2. 『北条五代』発売記念インタビュー 北条氏への想い / 読者へのメッセージ など 3.

    『北条五代』特集 <第一部>発売記念インタビュー 【歴史奉行通信】第七十八号|伊東潤
  • 関東戦国史1438-1590

  • PHP新書『謙信×信長 手取川合戦の真実』5月中旬発売

    砕け散るまでぶつかれ──夢と幻に押し流された戦国最大の死闘「手取川合戦」を描く新刊『謙信×信長 手取川合戦の真実』(ISBN:978-4569854717)にご期待ください。 川中島合戦は、不意な遭遇戦ではなかった! 上杉謙信の後継体制は関東対策で変化した!? 桶狭間合戦を引き起こしたのは、斯波義銀だった! 太田牛一がついた唯一の嘘とは? 「天下布武」はやっぱり旧説が正しい!? 織田信長は天下人になりたくなかった? 武田信玄の遺言は、勝頼を守るためのブラフだった! 謙信お得意の嘘つき外交……? 当時の軍制は、東国の上杉・武田・北条が最新式だった? 長篠合戦の「根切」とは? 覆された武田軍の回生策! 数年ごしの計画で上洛作戦が始動、誰もが予期せぬ大動乱到来! 羽柴秀吉は手取川合戦で大活躍したことを同時代の史料が複数証言! 謙信は最後の遠征で、武田勝頼・北条氏政との同盟を考えていた!?

    PHP新書『謙信×信長 手取川合戦の真実』5月中旬発売
  • 『どうする家康』今川氏真を「名門を滅亡させたダメ当主」扱いしなかった理由 父が偉大すぎる悲哀、リーダーとしての苦悩を描いた点が画期的だった | JBpress (ジェイビープレス)

    NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第12回放送分の「氏真」では、徳川勢が今川領を攻め落としていき、家康が今川氏真と対面。二人はともに少年時代を過ごした駿府での記憶をたどりながら、内に秘めたる思いを口にする。知られざる氏真の素顔に迫った回となった。第12回の見どころポイントについて、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部) 今川氏真と徳川家康の関係とは? 大河ドラマ『どうする家康』の第12回は「氏真」というタイトルのままに、溝端淳平演じる今川氏真がクローズアップされた。 氏真は天文7(1538)年に今川義元の嫡男として生まれる。幼名は龍王丸(りゅうおうまる)。今回のドラマでは、人質として今川氏に来た幼き家康に対して、氏真自身が幼名を名乗るシーンがあった。 その後の家康はというと

    『どうする家康』今川氏真を「名門を滅亡させたダメ当主」扱いしなかった理由 父が偉大すぎる悲哀、リーダーとしての苦悩を描いた点が画期的だった | JBpress (ジェイビープレス)