画像・映像系のコンテンツは視覚から意味を読み解く能力がないと理解できない。 なので、キャプションとかで別途意味が書かれている。だが、そのとき、画像・映像の無意識のメッセージに対して、書かれたメッセージの意味の照合・検証といったことをする必要があるけど、それは子どもにはできない。 実際には、書かれたメッセージで洗脳するための、恐怖感情をかきたてるための画像・映像ということになりかねない。つまり、その重要さを意味で了解するのではなく、恐怖で鵜呑みにするだけ。 結局、子どもには書かれたメッセージを伝えればいいのであって、画像・映像を検証できるだけの知性を持つようになってから見ても別段遅くはない。 追記 画像・映像一般論に受け取る人がいるけど、たとえば、マレーバクの画像・映像に、「ムーミンは今日も元気」とかキャプションがあっても、別にどうということじゃないよ。そうじゃなくて、ここでのポイントは、残
⇒404 Blog Not Found:残虐なコンテンツ?オレのはらわたのことか! 残虐なコンテンツを子どもに見せないのは、子どもに意味がわからないため - finalventの日記 > 画像・映像系のコンテンツは視覚から意味を読み解く能力がないと理解できない。 その視覚から意味を読み解く能力そのものが、経験を通して獲得されるのではないだろうか。だとしたら、残虐を体験もせずましてや視聴もしない子供は、いつになったら残虐を理解するのだろうか。 それは、親が子どもを一人前にして世の中に出すとき。 子どもの経験は親のグリップのなかにある。もちろん、徐々に世界や子どもたち自身の世界をひろげていき、最後は親を捨てる。 それと、経験を通して学ぶというとき、言葉から学ぶ。恐怖の感情で反応するより、思考を先にできる子どもに育てる。
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