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歴史と日経ビジネスオンライに関するriku_mioのブックマーク (6)

  • 戦国時代は寒冷化による食料争奪サバイバル戦争だった:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 20世紀前半に吹き荒れて、全欧州を瓦礫の山にし、数千万人の死者を生み出したナチズムや、21世紀に入ってから9.11に代表されるイスラム原理主義の自爆テロの嵐が発生した真の原因は、何だろうか。 第一次大戦の敗戦国、ドイツにとって過酷だった戦後ベルサイユ体制や、世界恐慌の発生、ドイツの国民性、あるいは中東諸国の専制政治体制や貧困など、様々な原因が語られてきた。しかし、どれも表面的な分析の印象は免れず、「真の」発生原因として説得力は弱い。 例えば、自爆テロの原因が貧困や専制政治にあると言うのは、9.11の自爆犯が金持ちの息子たちや国外留学組のエリートたちであったことを想起すれば、ほとんど説得力がない。ハンチントンのように「文明の衝

    戦国時代は寒冷化による食料争奪サバイバル戦争だった:日経ビジネスオンライン
  • 出生率回復に100年かかったフランス:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 人類の歴史は、究極的に人口とエネルギー源という、2つの要素の変動に駆動されているのではないか。これが、30年以上専らエネルギー問題を考えてきた筆者の偽らざる実感である。産業革命も、その後の経済成長・変動も、戦争や革命や自爆テロも、人口とエネルギー源の量的・質的変動の観点から見てみると、通常学校で習ったり、新聞・テレビ等で解説されたりする姿と随分と違って見える。 実は、この2つは歴史的に環境問題とも裏腹の関係である。残念ながら、これまで主流の歴史学や経済学政治学、あるいは社会学などでは、これら2つの要素が等閑視されているが、これらを抜きにして歴史や社会・経済変動を語っても表層的理解しかできないし、従って、人類の未来を展望することも困難と筆者は

    出生率回復に100年かかったフランス:日経ビジネスオンライン
  • 今の資本主義はもう、やめてくれ:日経ビジネスオンライン

    2009年3月期決算での最終赤字を発表したトヨタ自動車を皮切りに、ソニー、パナソニック、シャープ、東芝など日を代表する企業が最終赤字や営業赤字に転落しようとしている。実体経済に痛撃を与えた金融危機。これまで繁栄を謳歌したグローバル資主義経済の1つの転換点と言って過言ではない。 私たちの想像を超える深度で進む危機。一定の周期で訪れるバブルが破裂しただけなのか、それとも既存の社会・経済システムが激変する地殻変動の兆候なのか――。その解を探るには、全く異なるレンズを通して今を眺めることも重要なのではないか。数千年のスパンで文明の盛衰を見つめる環境考古学者に聞いた。(聞き手は、日経ビジネス オンライン記者 篠原匡) ―― 数千年のスパンで人間社会を見つめている考古学者が今の金融危機をどう見ているのか。今日はそれを聞きたいと思ってきました。題に入る前に、安田教授が唱える「環境考古学」とはどのよ

    今の資本主義はもう、やめてくれ:日経ビジネスオンライン
    riku_mio
    riku_mio 2009/02/04
    今更キリスト教などの一神教を否定するわけにもいかないので、一神教が多様化した価値観にどう適応するかが鍵だと思う。
  • 「恐慌」正面突破~危機の教訓1997:日経ビジネスオンライン

    日経ビジネスは2009年10月に創刊40周年を迎えます。この間、日経済に深刻な影を落とす経済危機が繰り返し起きました。その都度、1929年「暗黒の木曜日」に端を発する世界恐慌の再来を恐れながらも、危機を乗り越えてきました。2008年秋、世界は同時株安と信用収縮に直面しています。創刊40周年カウントダウン企画として、過去の経済危機を伝えた記事を再録していきます。 拓銀が預金払い戻しのための資金繰りに苦しんでいた11月13日、日銀幹部は「結局、道銀の拓銀に対する警戒感を払拭できなかった。たとえ拓銀救済の形になっても、道銀の行員が風下に立つのではないかという不安を持っていることを理解できなかった」と述べた。その4日後の17日、拓銀の経営は破綻、北海道の支店は合併交渉までしていた道銀ではなく、北洋銀行へ営業譲渡された。 どうして「北洋銀行への譲渡なのか」という記者会見での質問に、河谷禎昌・拓銀頭

    「恐慌」正面突破~危機の教訓1997:日経ビジネスオンライン
  • 「恐慌」正面突破~危機の教訓1997:日経ビジネスオンライン

    信用不安に陥っていた北海道拓殖銀行の経営が11月17日に破綻した。その予兆は11月第2週の金融市場にあった。舞台は預金の引き出しなどに必要な短期の資金を銀行間で貸し借りする短期金融(コール)市場である。 「来週早々にも銀行再編があるらしい」――。11月14日、銀行の資金運用担当者の間でこんな噂が急速に広まった。ある都銀の運用担当者は「銀行再編という言葉で真っ先に思い浮かべたのが、信用不安に揺れる拓銀だった」と打ち明ける。 一斉に起こった拓銀離れ 実は、10月14日からは拓銀に対して大蔵省検査が実施されており、この検査が終了したのが11月14日。追い打ちをかけるように市場では、大蔵省検査の結果が出るのは11月末といわれているにもかかわらず、「検査の結果、資産内容の悪化が相当ひどいようだ。拓銀はもうだめだろう」との噂も駆けめぐった。 さらに14日は、各銀行が万一の預金引き出しに備えた資金(準備

    「恐慌」正面突破~危機の教訓1997:日経ビジネスオンライン
  • 第16回 江戸参府したシーボルトの狙いは何か

    1823(文政6)年8月、ドイツ人のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、オランダ商館付医官として、オランダ国王ウィレム1世の命を受けて、蘭領インドのバタビア(現在のインドネシア・ジャカルタ)経由で長崎出島に入港した。 この時、シーボルトは27歳で、東洋研究の野望に燃えた血気盛んな青年だった。 ドイツの医学界の名門に生まれたシーボルトは医学のほか、動植物学・地理学・民族学など多方面に精通していた。長崎赴任から1年後、長崎奉行・高橋越前守重賢(しげかた)の理解を得て、長崎の郊外、鳴滝に西洋医学診療所兼学塾を開き、全国から馳せ参じた好学に燃える若者の指導にあたった。3年後の1826(文政9)年の1月9日(旧暦)、シーボルトはオランダ商館長ヨハン・ウィルヘルム・ド・ステュルレル(1776‐1855)と助手ビュルガーと共に恒例の江戸参府に長崎出島を出立した。 江戸参府とは、オランダ商館の一行

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