佐々木俊尚 @sasakitoshinao 野田さんが首相か。またも「史上最低の宰相」とか「菅の方がまだましだった」とか言い出す人がいっぱい出てくるだろうな。いつまで同じ事を繰り返し続けるんだろう・・。 佐々木俊尚 @sasakitoshinao 震災への対応にしろ、グローバリゼーションとどう向き合うかという問題にしろ、だれもが納得できる解決方法なんてもはや存在しないんだよね。皆すべての責任を政治に押しつけて、ないものねだりし続けてるだけ。
再び教科書のための頭の整理のメモです。 最近は社会学でも「既得権」という考え方に反応する人が増えているような気がします。これも先日のエントリでちょっと触れた「社会学者の構造改革派バイアス」の表れにみえなくもないです。が、社会学を救うというわけじゃないのですが、今回はちょっと別の視点から論じてみます。 ここでは、レントについて、社会学的な概念を使うとどういうことが言えるのか、ということを検討します。(その他の面での既得権の話(機会不均等の話など)---こちらの方が本流の社会学には親和的なんでしょうが---はしていません。) まずはおさらい。レントとは、簡単に言えば市場価格から乖離して上乗せされた価格の部分のことです。レントによって、その事業への新規参入が阻止されたり、あるいは逆に退出をコントロールしたりします(準レント)。で、レント・シーキングとは、レントを獲得するための政治的・社会的活動で
経済危機の打撃をもっとも受けたのは、意外なことに新聞だった、とEconomistは論評している。サンフランシスコからは地方紙が消えるかもしれない。イギリスでは昨年、70の地方紙が消えた。NYタイムズさえ、グーグルに買収されるとかNPOになるとかいう噂が流れている。日本でも、朝日新聞社のボーナスは48%減額されたそうだ。 新聞社には気の毒だが、この流れはもう変わらないだろう。価格は限界費用に等しくなるという市場原理はきわめて強力なもので、長期的にこの法則からまぬがれた産業はない。情報の限界費用(複製費用)はゼロなので、その価格がゼロになることは避けられない。ましてウェブのように完全競争に近い世界では、新古典派経済学の教科書に近い結果が短期間で成立し、レントはゼロになってしまう。 これは実は新しいことではない。クラークも指摘するように、産業革命の恩恵をもっとも受けたのは単純労働者であり、資
斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち
村上春樹さんの「正論原理主義」 村上春樹さんのインタビューが、文藝春秋四月号に掲載された。そのインタビューの中で語られている「正論原理主義』という言葉が、インターネットのあちこちで波紋を呼んでいるようだ。 引用しておくと、正論原理主義という言葉は以下のような文脈で使われている。 ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細っ
雇用問題の本質は「市場原理主義」でも「階級闘争」でもない。戦後しばらく日本社会の中核的な中間集団だった企業の求心力が弱まり、社会がモナド的個人に分解されることだ。それは農村共同体が解体して社会不安が強まった1930年代の状況と似ている。かつてのような軍国主義が出てくることはないだろうが、こういうとき警戒すべきなのは、かつての青年将校のような短絡的な「正義の味方」である。 このような伝統的コミュニティの崩壊は、近代化の中では避けられない過程で、多くの人々がそれを論じてきた。これをもっとも肯定的に論じたのは、マルクス・エンゲルスだった。遠い昔からの民族的な産業は破壊されてしまい、またなおも毎日破壊されている。これを押しのけるものはあたらしい産業であり、それを採用するかどうかはすべての文明国民の死活問題となる。[・・・]昔は地方的、民族的に自足し、まとまっていたのに対して、それに代わってあらゆ
■ 概 要 本提言は、今般の雇用危機を契機に、日本の労働市場が抱える構造的問題の解決を促すものである。特に、 終身雇用制を維持していくことで雇用と生活の安定が作り出せるという考えからの決別と、総合的な雇用システムの転換を提案している。 これからの雇用政策は、産業構造の変化に合った能力を身につけさせるかに重点を置くべきで、より良い転職を促しす仕組みづくりも必要である。 雇用政策は、産業政策や成長戦略と密接に関連付けて考えていくべきである。政府が積極的に関与すべきポイントは、 規制や障壁が存在する産業に対する規制改革、および国家の成長戦略的分野に対する産業政策と雇用政策のセットでの実施である。人材育成・ 教育訓練システムを、産業政策的視点で大胆に導入していくことも重要である。 ■研究報告書(全文) ■ 目 次 はじめに 1.幻想としての終身雇用制 (1)かけ離れた実態 (2)そもそもそんなに長
かつてアメリカでは、就任式を終えて、ホワイトハウスに入った新大統領は、道を隔てたAFL-CIO(米国労働総同盟産別会議、米国最大の労働組合連合体)本部に挨拶に出向いたという。特に、民主党の大統領であった場合は、労働組合は大きな支持基盤でもあり、「ビッグ・レーバー」といわれた一大勢力であったから、大統領自ら足を運んだのも当然だった。 ところが、今はAFL-CIOの委員長の方から、ホワイトハウスへ出かけるらしい。現在のジョン・スウィニー委員長は、ほとんど毎週訪れているとのこと。ちなみに、ブッシュ大統領は、8年間の任期中にスウィニー氏を招いたのは、わずか一回だった。 オバマ大統領は占拠活動中からも労働側に好意的(プロ・レーバー)であり、EFCA法案(後述)にも支持を表明している。労働長官には、労働組合ティムスターズのショップスチュワードの娘であるヒルダ・ソリスを任命している。 退潮傾向の労働組合
松本零士氏がセリフの「盗用」をめぐって起していた裁判で敗訴した。彼がpro-copyright派の愚劣さを世の中に示した功績は大きいが、この事件もいろいろなことを考えさせる。 松本氏の脳内では、すべての情報は作者が所有しているのだろうが、これは著作権という誤った制度が生み出した幻想だ。情報の複製が「盗用」なら、彼の「銀河鉄道999」は宮沢賢治の盗用だ。そもそもヴィトゲンシュタインが指摘したように、自然言語の文法も語彙も社会的に共有されているのだから、私的言語はありえない。複製や共有を盗用というなら、すべての表現は盗用なのだ。 トヨタの没落も単なる販売戦略の誤りではなく、「自家用車」という幻想の終わりの始まりではないか。私は免許をもっていないが、今まで不自由したことはほとんどない(例外はシリコンバレーでタクシーがなかったとき)。少なくとも日本の都市では、タクシーですべて用は足りる。わざわ
本書のタイトルから、生政治という言葉でよく語られる「監視社会」批判の類を想像する読者も多いだろうが、フーコーはこうした問題にはまったく触れていない。彼が主題とするのは、生政治のもっとも洗練された形態としての経済的自由主義であり、その代表はハイエクである。生政治と自由主義というのは、常識的には対極にあるように思われるが、フーコーが晩年の『知への意志』でも警告しているように、自由を抑圧からの解放と考えることは、ナイーブな左翼的錯覚である。逆に、自由主義はきわめて高度な統治技術を必要とするのだ。大いなる規律の技術、すなわち個々人の行動様式をその最も細かい細部に至るまで毎日規則正しく引き受けるものとしの規律の技術が発達し、急成長し、社会を貫いて拡散するのは、自由主義の時代と正確に同時代のことでした。[・・・]ここにおいて管理はもはやパノプティズムの場合とは異なり、ただ単に自由に対して必要な歯止めで
中小企業にIT導入が進まないのは、それなりの実情があるからで、決して経営者が無関心だからではない。つぶさに現場を歩いてみると、それぞれの環境でしぶとく生き残る姿が見えてくる。 もう中国へ行っちゃってます 仕事で、ある中小企業の経営者と話をしていた。業務の流れを見て「この部分をITで自動化すれば生産性は大幅に上がりますね」とつぶやいたら、こんな言葉が出てきた。「齋藤さんね。トコロテン作るみたいに入口から押しこんだらピューっと出てくるような製品は、もうみんな中国に行っちゃっていますよ」 そうなのである。自動化でほとんど対応できる製品は、日本の中小企業にとってほとんど仕事にならない代物なのだ。 別の経営者との会話。 筆者 この装置は何ですか 「ワイヤハーネスを作る機械ですよ」 筆者 使ってないみたいですね 「その装置は1回動かすと1日で1万個くらいできるのですよ」 筆者 そりゃスゴイ、どうして使
ウェブ3.0とは何か この春ごろから、ウェブ3.0という言葉が急に大まじめに語られるようになってきている。少し前までは「3.0」というのは冗談のタネでしかなかったが、そうではなくなってきたようだ。 たとえばイギリスの新聞ガーディアンは2月に、「ウェブ3.0はパーソナライゼーションとレコメンデーションだ」と評するJemima Kissのコラムを掲載している。またアメリカのブロググループはReadWriteWebは昨年初めに「ウェブ3.0って何だろう定義コンテスト」を開き、その話を題材にして「Web3.0はパーソナライゼーションなのか?」という記事を書いている。日本語訳はこちら。 また日本でも、技術評論社のWeb Site Expert誌が5月24日発売の最新号で、「Web2.0の次の波」という大がかりな特集を組んでいる。 ではウェブ3.0とはひとことで言えば何なのか。 先ほどのReadWri
先月、情報大航海プロジェクト(通称「日の丸検索エンジン」)のシンポジウムが行なわれた。席上、プロジェクト側が技術的な成果を説明したのに対して、会場からは「こういう産業政策はもう古いのではないか」とか「ビジネスモデルが見えない」といった疑問が相次ぎ、演壇の某教授(学界の長老)が「若者を育てようとしているのに、それをdiscourageするような話ばかりするな」とキレたそうだ。ここに問題が象徴されている。その長老教授は、主観的には善意で新しいプロジェクトを育てているつもりなのだ。 このプロジェクトの名前に「大航海」とついているのも皮肉である。以前の記事でも書いたように、株式会社という制度は、この大航海時代に生まれたものだ。それは、出航した船の半分以上は帰ってこない、非常にリスクの高いプロジェクトの資金を調達するため、リスクを株式という形で小口にわけ、無事に帰ってきたらもうけは株主が山分けでき
当ブログを「読書ガイド」として使う方もいらっしゃるようなので断っておくと、ここで取り上げる本は、私の個人的な興味で選んでいるので、必ずしも万人向きではない。左側の「おすすめの本」にリストアップした本は、買って損はないと思うが、記事で取り上げる本は、専門的な本や読みにくい本もある。 本書も一般向けとはいいがたいが、扱っているテーマは重要である。歓待というのは英語ではhospitality、やまとことばでは「もてなし」だろうか。これはレヴィナスやデリダを読んだ人にはおなじみだろうが、一般にはわかりにくい。その対義語である排除という言葉と対にして考えたほうがわかりやすいかもしれない。 近代社会は「排除の論理」で成り立つ社会である。その根本原理である財産権は、物を排他的に支配し、他人を排除する権利だ。古代の共同体も、よそものを排除するシステムだったが、折口信夫の「まれびと」信仰のように、他から
最近、マイクロソフトに関して3つの大きな話題があった。第1はヤフーに対する買収提案、第2はソフトウェアについての情報公開、そして第3は欧州委員会から巨額の罰金を科された事件だ。 この一見、無関係に見える3つの出来事には、1つの共通点がある。それはマイクロソフトが、インターネットによって生じた大きな変化に追いついていないのではないかという危機の兆候だ。 ヤフーが必要な理由は「多様性」 2月初め、マイクロソフトはヤフーに対して約446億ドル(4兆6000億円)で同社の買収を提案した(関連記事)。これは敵対的なものではないが、ヤフーが拒否したため、マイクロソフトがTOB(公開買い付け)をかけて敵対的買収を行なう可能性もある。 しかし今回の買収が成功すると見る専門家は少ない。買収提案から1ヵ月で、マイクロソフトの株価は20%近く下がった。ヤフーはサービス業だから、その最大の資産は人材であり、これは
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