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philosophyに関するurza358のブックマーク (184)

  • 哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで|R. Maruyama

    こんなものが読めるとは思っていなかった。驚き、悲しみ、何度も頭に血がのぼった。そして、著者の気度に慄いた。 物理学者の谷村省吾先生(以下、谷村氏)による、『〈現在〉という謎』への「補足ノート」が公開された。書の発行時から、公開が予告されていた文章だ。 谷村省吾「一物理学者が観た哲学」(pdf) http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html 書籍『〈現在〉という謎』に関しては、感想をブログに書いた: 同書で谷村氏と分析哲学者たちの応酬を読んだ私は、当初は谷村氏が「挑発者」の役を演じているのではないかと思った。裏ではお互いわかり合っていながらも、を面白くするために、敢えて対立点を強調したのではないかと。そうであってほしいとも思っていた。 しかし、違った。気だった。谷村氏は、物理学者としてのインテグリティを賭し

    哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで|R. Maruyama
  • 「相対主義」の克服--R.ローティに即して--

  • https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-02.pdf

  • メタ倫理学 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "メタ倫理学" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年12月) メタ倫理学(メタりんりがく、英語:metaethics)とは倫理学の一分野であり、「善」とは何か、「倫理」とは何か、という問題を扱う。規範の実質的な内容について論じる規範倫理学と異なり、メタ倫理学においては、そもそもある規範を受け入れるというのはどういうことか、ということについての概念的分析、道徳心理学的分析、形而上学的分析などを行う。 メタ倫理学の歴史[編集] メタ倫理学という分野は1903年G. E. ムーア が『倫理学原理』を出版したことを起点とする。そ

  • 『『差異と反復』の力(ピュイサンス)』

    ドゥルーズの大著『差異と反復』を読了しました。二〇歳代の頃、単行で出ていたものを図書館から借りて読んで以来、文庫版での再読です。若い頃、ほとんど書いてある内容を理解できいないまま、この難解な大著のコンセプトを引用しまくっていました。「反復が微細なズレを生み、その差異が新しいものの創造につながる」といったコンセプトです。しかし、再読してみると、ドゥルーズは、差異と反復を、あらゆる物事や概念の根源として位置づけており、書は、それまで主流だった同一性を重視する哲学(思想)を根から転倒しようという、実にラジカルな試みをしていることがよくわかりました。先人の有名な哲学者(思想家)の考え方に対する批判的検討もふんだんに盛り込まれています。初読から30年近く経ても相変わらず超難解な作品ですが、私の頭脳で理解できたと思われる概要を以下に記します。 ドゥルーズによれば、全ての前提として、全てに先立って

    『『差異と反復』の力(ピュイサンス)』
  • 財津理の思想研究 ドゥルーズ/ラカン/ハイデガー 『差異と反復』のわかりやすい読解3

    7月の暑さで、帰国直後からの激務(?)の疲れが出て、自宅では休息をとるようにしていたが、ここ数日の涼しさで気力と体力が戻ってきたようだ。ブログの執筆に復帰しよう。 ドゥルーズについても、ラカンについても、「欲望学」についても、論究は長丁場になるだろうから、身体的には無理をしないで仕事をすすめたい。どれだけ生きられるのかわからないが、この仕事のなかで死んでいければ、そしてこの仕事が誰かの役に立つのであれば、この上なき幸せである。 ところで、明日、千葉雅也さんと、「欲望」や「性」についてトークする(Naked Loft)。私の「欲望学」が「超越論的」という概念の超克をも目指していること、これを話そうと思っている。 さて、『差異と反復』第二章、第1段落の解説と考察をおこなう。 2012-07-15に発表した訳文(原書p96の文の1行目から20行目、ハードカバー版訳書119頁、文庫版「上」197

  • https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=13954&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

  • 常に既にあるデモクラシー|n-1

    1.システム・共同性・連帯『後期資主義における正統化の諸問題』においてユルゲン・ハーバーマスは、国家(政治システム)と市場(経済システム)の分離が建前である自由主義的資主義から、市場の失敗を回避すべく国家が積極的に市場に関わることが期待される後期資主義への変遷を主張する。国家と市場は一体となって複雑なシステムを形成し、それに大きな影響力を持つ権力者や資家、あるいはその部下であるテクノクラートがシステムを運用する一方、市民は政治から疎外され、脱政治化されていく。 その後、福祉国家体制が批判され、新自由主義的な改革が各国で進んだが、デイヴィッド・グレーバーが『官僚制のユートピア』で指摘するように、このシステムの複雑性は「縮減」されるどころか、ますます増大している。 このようなシステムの肥大化に対し、市民の政治参加を取り戻そうとする(民主化する)理論の形成が試みられた。これらの理論は、い

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  • ヘンペルのカラス - Wikipedia

    だが(この世の)全ての黒くないものを、漏れなく全て調べ、もしそこにカラスが一羽も混じっていなければ、「全てのカラスは黒い」と証明できたことになる。(この写真は、全ての黒くないもの の ほんの一部でしかないが、とりあえずリンゴの一部を調べている段階のイメージ)。 前の写真の続き。この写真は(この世の)全ての黒くないものを調べるために、その一部である、黒くないタオルの一部を調べて、そこにカラスが混じっていないか、確認している段階のイメージ。(この世の黒くないもの全部を調べなければならないので、世界中(宇宙中)を駆け巡らなければならず)一体どれだけ調べればよいのか...誰にも見当がつかないが、もしも仮に... 全ての黒くないものを調べることができるのなら...もし仮にそんなことができると仮定して、なおかつ、そこに一羽のカラスも入っていなければ、「全てのカラスは黒い」と証明できることになる。 その

    ヘンペルのカラス - Wikipedia
  • なぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia

    「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英: Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は、哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形として、 「なぜ宇宙(または世界)があるのか?(Why is there a universe(world)?)」 「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」 「なぜそもそも何かが存在するのか?(Why there is anything at all?)」 などと問われる場合もある[注釈 2]。 物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極のなぜの問

    なぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia
  • バナッハ=タルスキーのパラドックス - Wikipedia

    バナッハ=タルスキーのパラドックス: 球を適当に分割して、組み替えることで、元と同じ球を2つ作ることができる。 バナッハ=タルスキーのパラドックス (Banach-Tarski paradox) は、球を3次元空間内で、有限個の部分に分割し、それらを回転・平行移動操作のみを使ってうまく組み替えることで、元の球と同じ半径の球を2つ作ることができるという定理(ただし、各断片は通常の意味で体積を定義できない)。この操作を行うために球を最低5つに分割する必要がある。 バナッハ=タルスキーの証明では、ハウスドルフのパラドックスが援用され、その後、多くの人により証明の最適化、様々な空間への拡張が行われた。 結果が直観に反することから、定理であるが「パラドックス」と呼ばれる。証明の1箇所で選択公理を使うため、選択公理の不合理性を論じる文脈で引用されることがある。ステファン・バナフ(バナッハ)とアルフレト

    バナッハ=タルスキーのパラドックス - Wikipedia
  • フィクションの哲学のニューウェイブ: エイベルの『Fiction: A Philosophical Analysis』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Fiction: A Philosophical Analysis (English Edition) 作者:Abell, Catharine発売日: 2020/06/10メディア: Kindle版 まえおき: フィクションの哲学の現状 最近出版されたキャサリン・エイベルのFiction: A Philosophical Analysisという著作を紹介したいのだが、最初に「フィクションの哲学」と呼ばれる分野の現状について簡単に紹介しておく。 わたしがやっている分析哲学系のフィクションの哲学という分野は、大まかには形而上学・言語哲学系統のものと、美学系統のものに分けられる。 美学系統のフィクションの哲学は九十年代に確立された。もう少し詳しく言うと、九十年代初頭に出た三冊の、すなわちケンダル・ウォルトンのMimesis as Makel-Believe、グレゴリー・カリーのThe Natu

    フィクションの哲学のニューウェイブ: エイベルの『Fiction: A Philosophical Analysis』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • モンティ・ホール問題をJavaで実験してみる - Qiita

    最近統計学に関するを読んでいます。 その中にモンティ・ホール問題という問題を紹介しています。 ちょっと直感に乖離しているの問題なので、プログラミングで実験してみよと思いました。 そのまま書くのもつまらないので、 FunctionalInterfaceやStrategy Patternを使って遊びました。 1 問題について軽く そのままウィキからコピーします。 (1) 3つのドア (A, B, C) に(景品、ヤギ、ヤギ)がランダムに入っている。 (2) プレーヤーはドアを1つ選ぶ。 (3) モンティは残りのドアのうち1つを必ず開ける。 (4) モンティの開けるドアは、必ずヤギの入っているドアである。 (5) モンティはプレーヤーにドアを選びなおしてよいと必ず言う。 2 コードを書く 2.1 Main まず最終的に実行するMainクラスの部分を書きます。 public class Main

    モンティ・ホール問題をJavaで実験してみる - Qiita
  • サンデル教授「バイデンが大統領選で勝っても、根本的な問題は消えない」(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース

    成功の意味を再考すべき──能力主義には暗黙のうちに人を見下すところがあったということですか。 能力主義は一見、魅力的な思想に思われました。それによると、グローバル社会で成功するのは、大学の学位を手にし、グローバル経済で競い、勝つための備えをした者、ということになります。ただ、高等教育を受ければ人は出世できると強調し続けたことには、暗黙の侮蔑もありました。 大学の卒業証書がなくて、新しい経済で活躍できていない人がいたら、それはその人の責任だということになってしまうからです。文句を言うなら自分に言いなさい、というような言い草です。 もちろん、中道左派の政党は、そんな言葉遣いをしていません。しかし、高等教育を受ければ人は出世できると強調することで発信していたメッセージは、まさにそれでした。米国では成人の3分の2が学士号を取得していない事実を考慮していませんでした。中道左派政党は、暗黙のうちに人を

    サンデル教授「バイデンが大統領選で勝っても、根本的な問題は消えない」(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
  • 友の死から始める仏教入門 - 不条理ノート

    数年前、友人を亡くした。じとりと、夏に移り変わろうとしていた。僕らは二十歳で、まだ失うものなんてないと思っていた。それが人間で一番美しい季節だなんて誰にも言わせない。春には春の苦しさがあって、夏の苦しさには考えが及ばなかった。誰もが自分の存在の不確かさに怯え、踊り、ただ朱い夏を待つのが僕らの仕事だった。 けれどもこうして夏を迎えてみると、過ぎ去った春がどんなに美しいものだったか、思い出さずにはいられない。 その夜、一斉に掛ってきた携帯電話で彼の訃報を知るとすぐに地元行きの高速バスに飛び乗った。 「どうか嘘であってくれ」と席に浅く腰掛け、指を絡める。灰色の汗が流れ出す。暑い、寒い。まだなにも始まっていないのに、すでになにかが終わろうとしていた。けっして心地よい気分ではなかった。 葬儀は彼や僕の意思とまったく関係なく、滑らかに進んだ。頬の内側を噛むとたちまち鉄の苦味が口腔に紘がる。絢爛に葬られ

    友の死から始める仏教入門 - 不条理ノート
  • 女性哲学者が少ないのは、哲学が女性差別的であるから? - 道徳的動物日記

    昨日にアップしたGoogle社員による「反多様性メモ」についての記事では「一般的に、女性は男性よりも数学やソフトウェア・エンジニアリングに対する関心が低い傾向にある」「Googleの社員やソフトウェア・エンジニアの大多数が女性であることの原因は、男女差別ではなく、興味関心の対象に男女間で生得的な違いがあるためだ」という論点を扱った。 それに関連して、「哲学を専攻する学生や哲学の博士号を取得する院生に女性が少なく男性が多いことの原因は、男女差別ではなく、興味関心の対象に男女間で生物学的な違いがあるためだ」という趣旨の主張を行っている記事を紹介しよう。 heterodoxacademy.org https://www.aei.org/articles/does-philosophy-have-a-woman-problem/ Heterodox Academyに掲載されたこの記事は、女性哲学者

    女性哲学者が少ないのは、哲学が女性差別的であるから? - 道徳的動物日記
  • 半世紀もくすぶっていた難問に挑んだ「天才哲学者」驚きの論考(千葉 雅也)

    このたび、ドイツの若き哲学者マルクス・ガブリエルを一躍有名にした著作『なぜ世界は存在しないのか』の翻訳が講談社選書メチエから刊行された。同書でガブリエルは、「新しい実在論」という立場を主張している。 私はこれまでカンタン・メイヤスーやグレアム・ハーマンらの「思弁的実在論」を紹介してきたが、ガブリエルの立場もそれに関係する。今日の大陸哲学では、「実在論ブーム」が広く巻き起こっているのである。 ガブリエルの「新しい実在論」とは、いかなるものなのか。ひとまず、「世界は存在しない」というキャッチーな主張は脇に置くことにする。それは実は、二次的なことだからだ。私の整理では、ガブリエルの言わんとすることの体は、「質主義vs.相対主義」という対立から抜け出す第三の道を開くことである。 「世界は存在しない」とは? 質主義vs.相対主義というのは、極端に単純化すれば、次のような対立だ。 富士山を、別の

    半世紀もくすぶっていた難問に挑んだ「天才哲学者」驚きの論考(千葉 雅也)
  • なぜ世界は存在しないのか 書評|マルクス・ガブリエル(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    書は二〇一三年に刊行されるやいなや哲学書としては異例のベストセラーを記録し全世界を驚愕させた、哲学界の新星マルクス・ガブリエル(当時三三歳)の出世作である。 書の内容を一言で言えば、それは現代に巣喰う「無意味」の底をぶちぬいて「意味」へと突破しようとする哲学的思索の努力と要約しうるであろう。 ガブリエルによると、私たちは二重の無意味にとりつかれている。第一に、自然科学的世界像が唯一正しいとされるものの、そこには人間の居場所がどこにもない。このような状況に面してポストモダンは、科学的世界像も含め「あらゆるものは幻想である」と主張した。しかし第二に、このように言うことによってこの立場そのものも一個の幻想と化してしまう。こうした二重の無意味に囲まれながら、私たちは意気消沈し、なす術を知らず相変わらず自然主義の抑圧に屈している。 この二重の無意味からの脱却の切り札をガブリエルは「世界は存在しな

    なぜ世界は存在しないのか 書評|マルクス・ガブリエル(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
  • なぜ私は私なのか - Wikipedia

    「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。 世界中に今現在、沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?) この問いには色々な名称がある。たとえば「私の問題(わたくしのもんだい)」、これは日の哲学者永井均が使用する山括弧付きの〈私〉という表記法を使って「〈私〉の問題(やまかっこわたくしやまかっことじの-)」と表記されることもある。またオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提出した「

    なぜ私は私なのか - Wikipedia
  • あなたに「多数決」を使う覚悟はあるか? 経済学者・坂井豊貴の「コンドルセの多数決論」