デビューして1年ちょっとの新人です。 『ヘルハウンド 犯罪者プロファイラー・犬飼秀樹』シリーズ(1〜2巻、スピンオフ発売中) 『フェイスゼロ とある殺人の行動心理記録』 などを出していただいております。(2020年6月現在) Twitterもやっています。 読者さんと交流できるツール、素晴らしいですね。良い時代になりました。でも時々長文を書きたいこともあるのでnoteを登録してみました。 Twitterはできるだけ毎日1ツイートしようと心がけておりますが、これがなかなか楽しいものでして。140字におさめるということが難しくもあり、文字数が限られているからこそ趣があり。 あちらもよろしければ是非フォローしてくださいね。最新のお仕事情報もTwitterでお知らせします。 さてわたくし都内で暮らしています。 ひとりで起きて、ひとりぶんのご飯を作って、ひとりで寝ています。 頼る人もなくどこかに属す
北大推理小説研究会&読書サークル @mmchokudai 『禁じられたジュリエット』古野まほろ(新刊) ミステリ愛溢れる一冊、ですが最後の謎解きは不要、もしくは必要だが面白くないという人が多かったです。 暗唱のシーンが良かったですね。 内容とは関係ないですが登場人物の名前が覚えられないのは何故か、という話題が盛り上がりました。 2017-12-07 10:23:05 古野まほろ@10周年です! @FurunoMahoro 作家です。本格ミステリを中心に、青春小説、警察小説などを書いています。 通説は17歳女子高生、多数説は元警察官僚、有力説は両者のペンネーム、少数説はどちらかが本体です。最高裁の判断が待たれます。 代表作『ぐるりよざ殺人事件』、専業化記念作品『その孤島の名は、虚』、新本格30周年記念作品『禁じられたジュリエット』
1955年 住井 すゑ(すみい すえ、1902年1月7日 - 1997年6月16日)は、奈良県出身の小説家。代表作は『橋のない川』[1]で、部落差別について取り組んだ。住井 すゑ子名義による著作もある。 来歴・人物[編集] 奈良県磯城郡平野村(現在の田原本町)の生まれ。東京府豊多摩郡杉並町(現在の東京都杉並区)在住を経て、1935年に夫の郷里である茨城県稲敷郡牛久村城中(現在の牛久市城中町)の小川芋銭宅のすぐ近くに転居し、執筆と農作物自給生活の拠点とする[2]。以降60年以上、同所に居住。代表作『橋のない川』を初め、多くは農村で執筆された。 年表[編集] 1902年1月7日、奈良県磯城郡平野村満田の富裕な家庭に生まれる。実家は大和木綿の製造業と農業を営んでいた。幼い頃、被差別部落の草履商からたびたび実家に訪問販売を受け、部落問題と出会った。 田原本技芸女学校在学中に「少女世界」等の雑誌に投
イギリスのファンタジー、SF作家タニス・リーが2015年5月24日逝去されました。享年67。 1947年ロンドン生まれ。九歳で創作を始め、1971年に児童向けファンタジー『ドラゴン探索号の冒険』でデビュー、大人向けのファンタジーとしては1975年The Birthgraveが最初の作品となる。『死の王』で英国幻想文学大賞を受賞、ほか、1983年84年と2年連続して短編で世界幻想文学大賞を受賞しています。 代表作は5作からなる《平たい地球》、4作からなる《パラディスの秘録》。創元推理文庫からは"ダークファンタジーの女王"の真骨頂ともいえる《パラディスの秘録》『堕ちたる者の書』『幻獣の書』『死せる者の書』『狂える者の書』、『薔薇の血潮』上下が刊行されています。 やすらかにお眠りください。
作家の香月日輪さん(こうづきひのわ/本名:非公表)が12月19日午前5時26分、病気のため、大阪市内の病院で亡くなった。51歳だった。講談社がFAXを通じて発表した。葬儀・告別式は、近親者・友人・関係者ですでに行われており、『しのぶ会』などの予定はないとしている。 香月さんは、和歌山県生まれ。『ワルガキ、幽霊にびびる!』で作家デビュー。小説・漫画を含めた累計発行部数が370万部をこえる『妖怪アパートの幽雅な日常』シリーズ(講談社)をはじめ、『地獄堂霊界通信シリーズ』、『ファンム・アレース』シリーズ、『全裸男シリーズ(すべて、講談社)や、『大江戸妖怪かわら版』シリーズ(理論社)、『下町不思議町物語』(新潮社)などの作品を手がけた。
ロバート・ファン・ヒューリック (1945) 自筆著名 ロバート・ハンス・ファン・ヒューリック(Robert Hans van Gulik、1910年8月9日 - 1967年11月24日)は、オランダの外交官、東洋学者、推理小説家。ヴァン・グーリック、ファン・フーリク、ファン・フーリック等の表記もある。 オランダ東部のヘルダーランド州ズトフェン出身。オランダ陸軍軍医の五男として生まれ、幼年期をオランダ領東インド(インドネシア)のバタヴィア(ジャカルタ)などで過ごした。ライデン大学卒業後に、ユトレヒト大学大学院で学ぶ。東洋学博士号を取得後、オランダ外務省入省。 1938年、駐日オランダ公使館書記官として来日。東京芝の大使館2階の書斎を「集義斉」と銘し、勤務の傍ら唐名「高羅佩」・字「芝臺」として古琴や篆刻等を嗜み、東洋に関する幅広い造詣から和漢書等の収集及び研究等も行った。 太平洋戦争の勃発に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く