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ブックマーク / next49.hatenadiary.jp (3)

  • 高校生が知ることのできる職種はすでに供給過剰 - 発声練習

    教育業界の根的なパラドクスとして、高校生が知ることができるぐらい宣伝ができる職種はすでに供給過剰であるというのが成り立つと思う。 基的に個々の職種ごとに需要が決まっている。理想的には、需要の分だけその職種に適切な人材を供給すればよいのだけど、その職種向けの教育機関(大学の学部・学科、専門学校など)を作ってしまうと、その教育機関の維持のために一定数の人材を輩出しなければならなくなる。教育機関の数が少ないならば問題ないのだけど、多くなれば当然のことながら需要を超えた人材の輩出がされていまう。 需要を超えていること自体は悪いことではなく、その程度が問題。質の高い人材がその職種に就くためには、多少の供給過剰の方が好ましい。でも、その程度がひどくなると、高校と教育機関そして教育機関と社会が分断されてしまう。 高校生まで宣伝が届くようになるということは、そこまで宣伝しないと学生が集められないという

    高校生が知ることのできる職種はすでに供給過剰 - 発声練習
  • 価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習

    卒業していく君へ。 卒業おめでとう。当は面と向かって言ったほうが良いのだけど先生という立場だと私の発言が思った以上に重くなってしまうので直接君にはいえない。でも、君への言葉を一度形にしておかないと私の頭に一生こびりつきそうなのでここに書かせてもらうよ。 今年、君は卒論に苦しんだね。君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。何度も何度も「研究には正解とか不正解とかない。誰も答えを知らないから研究になっているんだ。だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。」と伝えたのだけど、最期最後まで君は自分の主張の正しさを自分の言葉で言えず、常に私の保証を求めたね。はっきり言って

    価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習
  • 真っ赤な論文原稿が指導教員から帰って来たら? - 発声練習

    指導教員から真っ赤になった論文原稿が帰ってきたとしたら、基的にあなたは良い先生のもとで学んでいるという証拠。まずは、先生にお礼を言うこと。 はじめに フェアな態度が重要。 多くの場合は先生と学生の関係は一対多であるので、あなたが論文の指導をもらいたいときには他の学生もそう思っているということをよく理解する。うまく、他の学生とタイミングをずらして指導を受けるのはうまいやり方. 指導教員も自分の仕事を持っているわけなので、締切り直前に論文指導を求めても拒否されることがある。自業自得だと思って諦めること。 指導教員の指導は論文の書き方、内容、表現に関するものであり、「あなた」に対するものではないので冷静に指摘を受け止めること。 指導教員が一番がっかりするのは、一生懸命指導した内容に対して無視されること。それが、故意あるいはそうでないとしても「無視した」という結果が重視されるという点をよく理解す

    真っ赤な論文原稿が指導教員から帰って来たら? - 発声練習
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