2023年10月6日のブックマーク (5件)

  • ブログを始めたら登録すべきASPは2つだけ【複数登録の失敗談あり】

    ブログを始めたらまず最初にやっておきたいのがASPへの登録ですね。 ASPに登録することで、ブログを収益化することが可能になります。 「最初はとにかく多くのASPに登録を」と多くのブログで言われていますが、僕は反対派。 ブログを始めたばかりなら、登録すべきASPは2つで十分です。 その理由と複数登録による失敗談をブログ歴3年目の僕が自分の経験から解説していきます。 こんな人のお役に立てる記事です。

  • 桑名の夕市、米相場

    桑名の土地柄とお米の歴史【桑名には米会所がありました】 江戸時代(天明六年)から米の相場を決める所 ができました。 明治二十六年(1893)3月の記録によると 桑名は仲買人が22人 米穀売買石数1,197,570石 売買代金13,866,212円 と他の米穀取引所を凌駕するほど 賑わっていたようです。 明治時代には年貢が金納となってますます 米の売買が盛んになり木曽三川の河口に 位置する桑名は、伊勢・美濃・尾張という 日屈指の穀倉地帯を背景に米の町として の側面も持ち、米の町として栄えました。 当時,桑名の相場は、 日で唯一夕方にも開き「桑名の夕市」 と呼ばれ全国にさきがけて相場を決めたので 【桑名の相場が全国の米相場を決める】  と言われたようです。 また、東京の料亭の酒盛りや宴席で歌われた 「♪桑名の殿様,時雨で茶々づけ・・・」 という『桑名の殿様』の歌は、米相場や 木曽の檜ひのき

    桑名の夕市、米相場
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    AUDCAD 2023/10/06
    “桑名の夕市、米相場”♪桑名の殿様,時雨で茶々づけ・・
  • 桑名の夕市

    桑名は、気候と良質の土壌(どじょう)に恵まれた上、木曽・長良・揖斐の三川が通じ、尾張・美濃・伊勢のお米の産地との交通がきわめて便利であり、中世より、伊勢神宮の献納米(けんのうまい)や京都への移送米を扱っていた関係上、米の取引が次第に増えていきました。 取引が盛んになると、米問屋(こめとんや)が米会所(こめかいしょ)として発展します。 江戸時代初期には、桑名会所が設立され、庄内米・出羽米・近江米なども桑名に移送されるようになりました。桑名産の米は品質優良で、酒造りに適した米としても選ばれる程で、他藩の米に比べて高い価格で取引されていました。 1784(天明4)年には、藩主の許可を得て、吉津屋(よつや)に米会所(米市場)が設立され営業を始めました。当時、開設に尽力したのは、今一色町の市岡家であったといわれています。 明治期になると米の取引は政府の許可制になり、桑名は、1877(明治10)年に許

    桑名の夕市
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    AUDCAD 2023/10/06
    “桑名の夕市”
  • 桑名市 指定文化財

    現在の新築児童公園となっている1,411㎡の全域に、明治27年(1894)12月29日から昭和6年(1931)12月同所が閉鎖となるまで、37年間桑名米穀取引所があって、日米価史上特異な存在として全国に名声をとどろかした。 新築一帯は明治13年(1880)田地5,000坪を埋め立てたところで、取引所を中心に40数軒の仲買店が軒を並べ、さながら別世界の賑わいをみせ、相場通信連絡には旗信号を利用し、多度山を中継所として名古屋に報じた。 取引所の 前身桑名米市場の創始は天明4年(1784)で、その後間断なく続き、新築に移転する以前は殿町にあり、大阪堂島、東京蛎殻町、山口赤間関(下関)の3ヶ所と共に注目され、また桑名の夕市は翌日相場の指標として重要視せられた。

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    AUDCAD 2023/10/06
    “桑名米穀取引所跡”
  • 一代で巨富築いた大投機師、父の借金完済した“節倹9カ条” 諸戸清六(上)(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

    米や株の相場師として明治時代に一代で巨富をなした諸戸清六(もろと・せいろく)は、現在の三重県桑名市に生まれました。当時米相場で盛んだった町でした。諸戸は父の残した莫大な借金に奮闘した節倹の人でしたが、そのエピゾードは枚挙に暇がないといいます。諸戸はいかにして「2000金余」という借金を3年で完済したのか。時の大蔵大臣、大隈重信が語る諸戸とは――。市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。 【画像】投機に明け暮れた青春時代 蛎殻町の米相場でスッテンテン 穴水要七(上) 3回連載「投資家の美学」諸戸清六編の1回目です。 「しまった、50銭」大隈が語る諸戸 明治時代の大投機師、諸戸清六はエピソードの塊のような人物である。大隈重信が諸戸邸を訪ねた時の思い出を語っている。 「わが輩はたっての勧誘に応じて、諸戸の伊勢(編注:現在の三重県)の居宅の客となった。邸宅はさながら城廓をなしているが、強盗を防ぐ

    一代で巨富築いた大投機師、父の借金完済した“節倹9カ条” 諸戸清六(上)(THE PAGE) - Yahoo!ニュース