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ブログ・サイトと言及されましたに関するAdYandWのブックマーク (6)

  • 自己満足の向こう側にあるものは - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「自己満足の向こうがわへ……。 - こんな世界のはしっこで・・・ - 楽天ブログ(Blog)」を読んで。 この納骨堂のアクセスがどれ位なのかは分からない。だが、アクセス解析の付いている他のブログで書いていた頃よりは確実に納骨堂は今まで私が書いてきたブログの中で一番多くの人々に読まれているという実感がある。この様に自己満足に勝手気侭に他人の書いたものに対して書いているのに有難い事だ。此処をアンテナやRSSリーダーに登録して読んで下さっている方々には心から感謝している。 Ad.Y&W氏は御自分の事を「無愛想」だと言っているが、私のような偉そうな物言いよりはまだましなのではないかな。 結局、私は「自分が楽しむためにがどうするか、どうしたいか」がまず第一ということ考えているようで、そのためか、全てが自己満足の範疇で収まってしまっているように思える。 私もそうだ。兎に角、己が一番楽しいと思えるように

    自己満足の向こう側にあるものは - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
  • http://blog.livedoor.jp/matonokami/archives/50268674.html

  • 自分のためにブログを書く - 北の大地から送る物欲日記

    「自分のためだけど、ただそれだけじゃない - こんな世界のはしっこで・・・ - 楽天ブログ(Blog)(from 明日は明日の風が吹く)」を読んで。 「自分のためにブログを書く」ってどういうことなんだろう?って考えてみた。 ブログを書いていれば、後からそのときの自分が何を考え、何を思い、何をしたのかを知ることができる。でも、ブログは日記とは違う。自分しか読めない日記と誰でも読むことができるブログとで、まったく同じ文章を書く人はいないだろう。自分しか読めないのと、誰でも読むことができることの違い、それは他人に自分の考えが、思いが、行動が伝わることだと思う。 自分のことが、どこかの誰かに伝わる。なんとも思われないかもしれないし、おっ?と思われるかもしれない。そんなことはない、と反論があるかもしれないし、私もそう思ってたんですと同意が得られるかもしれない。誹謗中傷を受け、ブログを荒されるかもしれ

    自分のためにブログを書く - 北の大地から送る物欲日記
  • 誰か私の骨を拾って下さる方を求めている - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「自分のためだけど、ただそれだけじゃない - こんな世界のはしっこで・・・」を読んで。 じゃあ、結局のところ、自分以外の誰のために続けているのかというと、読んでくれる誰かのためという事になるのだろう。 顔も見えない、名前も知らない。人数もわからない。でも確かに存在している誰かのために、書く、書き続ける。そういう部分があると思う。 誰のために更新し続けるのか、それは確かに自分のためだけど、ただそれだけじゃないのだと思う。 見守っていてくれる誰かがいるから、ここまでこれたし、今日もこうやって書いていられるという側面もたしかにあるだと思う。 Ad.Y&W氏は、私が勝手に「骨を拾う宣言」をしている相手でもある。私も氏を見守っている一人だ。私だけではない。氏のブログはもっと沢山の人が見守っていると思うよ。だから、私やその人達の為に書き続けて欲しい。 私は、自分の為に書き続けている。何かを読んだら何か

    誰か私の骨を拾って下さる方を求めている - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
  • 何時か理想の自分になれると信じているよ - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「ここでの「私」は、作り上げた「私」です。 - こんな世界のはしっこで・・・」を読んで。 私の記事「歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - どんなものでも傷付く者はいる」にAd.Y&W氏が記事上げをして下さった。 私は、ネット上ではある程度気持ちを落ち着かせてから、文章やコメントなどを書くようにしています。普段、口が悪さや短気などで、ついつい言いたくもなかった酷いことを相手にぶつけてトラブルを起こしてしまうことがあるので、せめてネット上では自分の言葉や感情をコントロールしておきたいと思っているのです。 成る程、氏はリアルでのご自分の短気さや口の悪さを言っていたのだな。そして、ネット上ではそういった自分を見せずに言わばネット上の人格を作り上げていたと、そういう事か。 それならば、私も氏とそれほど変わりは無いという事になる。私も短気ではあるし、それ故、相手に対して言わなくてもいい事を言ってしまったりするのだ

    何時か理想の自分になれると信じているよ - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
  • ブログでのコミュニケーション - こころの風景

    「もっとトラックバックを活用しませんか」という記事に複数のトラックバックをいただいた。既にトラックバックを有意義に活用して楽しんでいる方の賛同トラックバックは「援護射撃」としてありがたかった。しかしブログをやっている大部分の人は、『考え出すとほぼ送れなくなってしまいます…。』と書かれているAd.Y&Wさんのような感じなのではないだろうか。もっとトラックバックを活用しようと呼びかけた私自身も、実はいまだ発展途上である。「大したこと書いていないから」とか、かえってノイズになってしまったりしてしまうのではないかということが送ることを考えるたびに浮かんで来るような時期もあったな。 それでも読み返して、うなずき以上の意見があれば送ろうとか思った時期もあったんだけど、自分のブログにおける全体的な自分語りの強さとか、それを相手側に送ってまで読ませるというところに何か抵抗のようなものを感じて躊躇しているう

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