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2006年9月21日のブックマーク (12件)

  • 自分のためにブログを書く - 北の大地から送る物欲日記

    「自分のためだけど、ただそれだけじゃない - こんな世界のはしっこで・・・ - 楽天ブログ(Blog)(from 明日は明日の風が吹く)」を読んで。 「自分のためにブログを書く」ってどういうことなんだろう?って考えてみた。 ブログを書いていれば、後からそのときの自分が何を考え、何を思い、何をしたのかを知ることができる。でも、ブログは日記とは違う。自分しか読めない日記と誰でも読むことができるブログとで、まったく同じ文章を書く人はいないだろう。自分しか読めないのと、誰でも読むことができることの違い、それは他人に自分の考えが、思いが、行動が伝わることだと思う。 自分のことが、どこかの誰かに伝わる。なんとも思われないかもしれないし、おっ?と思われるかもしれない。そんなことはない、と反論があるかもしれないし、私もそう思ってたんですと同意が得られるかもしれない。誹謗中傷を受け、ブログを荒されるかもしれ

    自分のためにブログを書く - 北の大地から送る物欲日記
  • 濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ! - 『斬(ざん)』

    えー、『消費されるブログ記事』から派生した話題が、ことのほか盛り上がったのですが、一つだけちょっと寂しいと言うかむなしい事があります。 折角、濃い言及(リンクや引用含)をしていただいているのに、トラックバックをしてくれない。それも複数箇所ある。とても参考になるイイ記事ばかりで、たいへん勿体無いので、あえてリンクします。 ・F's Garage:消費されないブログ記事を書こう ・Mugi2.0.1 - 種を仕込む人になりたい ・歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 物の書く人は己自身に向かって書くものなのだ ・最終防衛ライン2 - ブログの記事が消費されるなら、何度でも同じ事を書けばいい ・チミンモラスイ? : ブロゴスフィアのブログ消費論 その0 あのね、そりゃ、トラックバック送る送らないは各ブロガーの自由ですが、これだけ関連の濃い記事書いて、相手に直接伝えないってどーゆー事(もし、送ったけど反映さ

    濃い言及したならトラックバックを送りましょうよ! - 『斬(ざん)』
  • 『涼宮ハルヒ』の人気とスニーカー文庫の人気が結びつかない理由 - WINDBIRD::ライトノベルブログ

    Scientificclub-Run.net ちなみにこのコア層に受ければ最低限回る、という事実に気がついたのが電撃、ライトユーザー層にひたすら目を向けていてピンチになったのが富士見ファンタジアじゃないかなと思っています。 というより、ある程度の読者を得ればそれでよしとする電撃文庫と、コア層もライト層もとりこんだ大ヒットを狙う富士見ファンタジア文庫、という構図ではないかと思います。 スニーカー文庫から出ている『涼宮ハルヒ』シリーズが現在大ヒットしていますが、京アニの作画クオリティや角川社のマーケティング、あるいは作者の谷川流やいとうのいぢが軒並み絶賛されている中で、不思議と「スニーカー文庫は勢いがあるなぁ」なんて話は出てきません。なぜでしょうか。 野球にたとえてみましょう。スニーカーの4番バッターが特大のホームランを放ちました。推定飛距離160m。ビッグアーチです*1。しかし1番打者や2

    『涼宮ハルヒ』の人気とスニーカー文庫の人気が結びつかない理由 - WINDBIRD::ライトノベルブログ
  • ネットイナゴの恐怖 - 琥珀色の戯言

    S:今日の一言(9/11)−乙武さんのブログ炎上 http://d.hatena.ne.jp/satomies/20060911 僕もこのエントリで乙武さんに投げつけられている罵詈雑言の数々を苦々しく感じていたのです。 そもそも、先日はmixiで「皮膚病患者をミイラよばわり」した大学生が集中砲火を受けていましたが、ここで乙武さんに対して酷いことを書いている人々がやっていることは、そいつと同じようなことのわけで。 しかしながら、あの大学生はmixiで「身元がわかった」からこそあのように社会的制裁を受け、匿名で悪口を書く(=自分の発言に責任を持っていない)人々にはお咎めなしなのは、なんだかとても不公平なような気がします。 ところで、このエントリの中に「安易な謝罪は保身に過ぎない」(http://metalsty.seesaa.net/article/23435850.html)というのが取り上

    ネットイナゴの恐怖 - 琥珀色の戯言
  • 304 Not Modified: ブログを書くことは時間を得ることである

    「そんなに何時間もかけてブログを更新して、時間がもったいなくないの?」 インターネット中毒の私は、こんなことを言われることがある。 「お前が書かなくても、誰かが書くからそれを探して読めばいいじゃん。」 それは違う。私は声を大きくして否定した。 「なんだよ。考えて書くより、読むだけの方が時間の無駄は少ないだろ?」 私は答える。書いた方が得られることもあるよ、と。 「ふーん。お前がそう思ってるのならそれでいいか。」 ブログは、読むだけでなく書いた方が得るものが大きいなんて、もはや語り尽くされたことと言う人もいるだろう。アクセス数を得ることができ、喜びを得ることができ、知識を得ることができ、友を得ることができる。しかし、それだけじゃない。時間をも得ることができる。 仕事の話になるが、営業が自分の売り込みたいものをプレゼンテーションし、それを聞いた顧客が判断した結果、契約を得ることになったとしよう

    304 Not Modified: ブログを書くことは時間を得ることである
  • ブロガーとしての満足感をどこに感じるか - 304 Not Modified

    いっぱいコメントをもらったときか。 たくさんトラックバックを頂いたときか。 感想のメールを頂いたときか。 多くのニュースサイトで紹介されたときか。 はてブで多くの人にブクマされたときか。 アクセス数が増えたときか。 あるキーワードでGoogleの一番上に達したときか。 書籍化などのメディアミックスされたときか。 メディア力を得ることができたときか。 ブログを通して人と出会えたときか。 伝えたい人に伝わったときか。 それとも、書きたいことが書けたときか。 Life is beautiful: エンジニアとしての満足感をどこに感じるか 私はこの記事から、「ゴール」あるいは「貢献先」を明確にすることと、今成したことがそのゴールに結びつくものかを見極めようという2つを感じた。そこで、コレは他にも当てはまるんじゃないかと思い、ブロガーとして満足感を得られることを挙げてみた。 そこで困った。この記事に

    ブロガーとしての満足感をどこに感じるか - 304 Not Modified
  • 深夜のシマネコBlog: 格差社会を容認する類の弱者が望むもの

    ●この記事についての注意。 この文章は2006年9月15日に書かれたものであり、いまの私は、この文章のママの考えかたをしていません。 また、私の男女問題の認識につきましては『若者を見殺しにする国』(双風舎)の中に記していますので、必ずそちらを一読していただけるよう、よろしくお願いいたします。 Blog記事というのは、あくまでも著者の考えかたの断片を記しているに過ぎず、その言説を行うためのさまざまな仮定された条件を読み解いて、始めて著者の考え方が読み解ける物であると考えています。 この記事は、私が論壇デビューする前のものであり、さまざまな考え方や書きかたの実験を含んでいます。 特に「過去の記事」というのは「その時点で考えていたこと」に過ぎません。一度でも過去になにか書いたら、一生、その発言について責任を取れという考え方を私は好みません。 当なら、過去の文章に手を入れるのは好きではないのです

  • 少数者が、相対的弱者にヤツあたりすること=差別論ノート34-タカマサのきまぐれ時評

    ■「少数者が、相対的弱者に暴力をふるうこと=差別論ノート33」の続編。 ■ひさしぶりに『毎日新聞』をよんだが、紙面が実におもしろい。■そのなかで ひろった記事のひとつが、「野宿者支援パトロールをして思う=市川明代(川崎支局)」。その一部だけ転載する。 …… 「誰が弱者なのでしょうか」 7月上旬、神奈川県版で川崎市内の野宿者の現状を連載した私は、市内の病院に勤めていたという女性看護師から批判とも受け取れる電子メールをもらった。 川崎市内には、JR川崎駅前を中心に約900人の野宿者が暮らす。看護師は「酒を飲んで救急車を呼び、病院で暴れる野宿者たちは生活保護を受けられるのに、私は子供を市立保育園に預けられず、高いお金を払って私立保育園に入れて働いている」と憤り、「記事の内容は美しすぎる」と指摘した。 私は野宿者を支援するNPO「川崎水曜パトロールの会」(水パト)の週1回の夜間パトロー

  • 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。 - シナトラ千代子

    「ブロゴスフィアみたいなものって案外大事なのかもしれない」的話です。 こちらで漫才の話が出ているんですが。 ○F's Garage @fshin2000 :消費されないブログ記事を書こう TVで漫才が消費されるのは情報の再利用性が低いからだ。 このあたりをネタに(内容にはおおむね同意なので)。 これって 消費される漫才 ⇔ 消費する仕組みとしてのテレビ ⇔ 消費する視聴者 という関係があってのことで、それぞれの力関係があるから*1、漫才がどうこうという話ではないように見えます*2。 これは来は左側の形が理想なのですが、テレビで売れると忙しくなって右のほうの形になってくる。 こうなるとなにがマズイかというと、評価する軸がひとつ、つまりテレビしかないということで、忙しさも相まってどんどん芸が単調になり、消費されやすいものへと変質していく。つまり漫才がそもそも消費されるものだからではなく、消費

    消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。 - シナトラ千代子
  • 消費されるブログ記事 - 『斬(ざん)』

    先日 YouTube で、ダウンタウンとゲストによる昔のトーク番組を観ました。その中で、ダウンタウンが漫才に対する考え方などを語っていて、それがとても興味深かったのです。今回はそこからの触発です。 漫才は、結局ネタを練って作り上げてイイ物を完成させても、TVなどで大衆に公開してしまう現状では、せいぜい5~6回も見れば、内容(展開、オチ)が分っているために面白くなくなる。つまり消費されてしまう。それはとても効率が悪い。それなら漫才という、時代にそぐわない笑いはやめよう。って事でやめたんだ。ってな事を語ってたのですが、ブログの記事についても同じだなぁーと感じたところ。 一生懸命、構成や文体を考えて記事書いて、推敲して、誤字脱字チェックして、校正して何度も確認してアップする。で、少し話題になったとしても、所詮一週間もしないで忘れ去られ、瞬く間に消費される。それは、とても効率の悪いやり方だよなぁー

    消費されるブログ記事 - 『斬(ざん)』
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • 「公務員が……」っていうけれど - 双風亭日乗はてな出張所

    朝、テレビをつけたら、みのさんが「公務員は、けしからん」と怒っていました。 で、午前中のワイドショーを見ても、夕方のワイドショー的ニュースを見ても、公務員が起こした事件や事故をあげつらい、「けしからん」モードで報道していました。 一連の報道を見ていて、気づいたことがあります。 そういえば、少年犯罪が集中的に報道されたときも、こんな感じだったなあ、と。 マスコミは、まったく懲りずに同じことをやっているんだなあ、と。 目印になる(ネタになる)ような事件・事故が起こると、事件・事故の重大さや凶悪さよりも、誰がそれを起こしたかを意図的に拡大して取りあげる。1社がそれをやると、次から次へと他社も同調し、メディアスクラムになる。 少年犯罪のときには、少年たちの誰もが、凶悪事件を起こす予備軍であるような雰囲気に、世の中が包まれてしまいました。今度は公務員かよ……。何でもいいんだな、きっと。必要なんだな、

    「公務員が……」っていうけれど - 双風亭日乗はてな出張所