illustration by Takahashi Rina 秋葉原勤務のヲタが日々の雑感などを書いてます。 « メルティブラッド アクトカデンツァ Ver.Bの追加要素 | メイン | 小畑健逮捕に見る、ナイフ所持に言い訳が出来ない現実について » 2006年09月01日 ■雑記 読売新聞に「時をかける少女」記事 今日行った歯医者でえらい待たされて、仕方なしに手に取った備え付けの読売新聞を眺めていると、記者持ち回りの日替わりコラム「記者ノート」にて、美術記者が作中に登場する魔女おばさんの博物館に絡めて作品の感想を書いていました。 コラムでは、実は細田監督と博物館描写の監修をした国立博物館主任研究員である松嶋雅人さんが大学時代の同窓生で、松嶋さんから「機会があったら舞台で使って」と誘致活動をしていたとか、作中での企画展示には仮想の展示リストも存在していて、絵画のチョイスにも趣があるとか。最
mixiのトピックのコピー を読んでその自覚の無さにぞっとする。 事実誤認について 同性愛関連のサイトのうち、量的に多くのサイトに出会い系ないし売買春もしくは猥褻画像のような表現が含まれていることは否定しない。しかし、異性愛に関連するサイトのうちに占める出会い系や売買春もしくは猥褻画像の割合に比べて有意に多いのかどうかは疑問である。また、同性愛者団体や同性愛に理解を求める個人サイトでは意識してそのようなアダルトコンテンツを排除しているように思われる。 また、同性愛関連サイトのうちそのような露骨な性的表現を含むサイトを分離することは可能である。普通、そういうサイトは「アダルト」カテゴリに別途分類される。そのためのフィルタリング会社だからだ。できるはずだ。それができないというならDoCoMoはその使えない会社を切って、是非弊社とコンサルティング契約を(^^; DoCoMoの姿勢について 差別的
ブログの良いところの1つは、様々なブロガーによって過去の知識が掘り起こされることだと思うのですが、今日もそんなエントリがありました。 ■ Three-dozen knowledge sharing barriers (Anecdote) Gabriel Szulanski という方(INSEAD の教授?)が1996年に発表された「知識共有を阻む壁」を紹介しているエントリ。様々な阻害要因を網羅&個人・組織・技術の3つのレベルに分類してくれていて、参考になります。というわけで自分用に翻訳&メモ。 ※訂正 下のリストは Gabriel Szulanski 氏の論文からの 出展 出典(9/6 再修正しました -- ご指摘ありがとうございました!)ではなく、Andreas Riege 氏の論文、"Three-dozen knowledge sharing barriers managers mus
意図したとおりには読まれないと承知したうえで,それでもできる限り確実に伝えなければならない。というのが本当のところでしょう。曖昧な表現,いかようにもとれる表現を排除して,的確な言葉を選び,的確な順序で綴る必要もある。 でもぼくは,それが苦手です。膨大な時間を費やさなければそういう文書は書けない。*1 ですからぼくは,差し障りのない話題について,感覚的に書くことが多くなります。誤読されても曲解されても文句は言えない。些細な部分をいちいち説明して誤解を解こうというのも面倒くさい。ならいっそのこと,誤読や曲解も楽しめばいい。という,これはきわめて無責任な言い分です。 麦
書いたものが,こちらの意図したとおりに読まれない。ということはよくあることです。ちょっとした言及や紹介の際に,読み手の印象に残った1フレーズが,あるいは都合のよい1フレーズが切り取られ,一人歩きしていくということもあります。切り取られた1フレーズが読者にある種の先入観を与え,先入観を持ったまま元記事が読まれたりもします。 「ぼくの言いたいことはそこじゃない」「ぼくの言いたいこととは違う」という読まれ方もする。それは,しかたのないことだと思っています。いや,当然そうなるはずであり,そうなるべきだ。とさえ思います。 同じ言葉が同じ意味を持たない。同じモノが同じ価値を持たない。同じ事実が同じ結果をもたらさない。だからこそ,モノゴトは多様で複雑に絡み合い,その混沌のなかから思いもよらぬモノが生まれ出たりもする。 ぼくのなかにあったモノと,届いた先のあなたのなかにあるモノが違っている。その変わりっ
ブログ更新初めてそうそうにして、また数日更新が止まっちゃいました。日々更新を続ける難しさを感じます。 時間や精神的余裕はあるのですが、一旦ブログをつけない生活に戻ってしまうと、なかなかブログをつける時間をひねり出せなかったり。まだ三度の飯を食べるようにブログを更新するという領域には達していないようです。 別にブログを書いてるときは、無理に書いているとかいうのは全然ないのですが、なんせ他にも興味のあることが多いので、他のことをしている間にどんどん時間がなくなってしまうという・・・あぁ、山になってる漫画にゲームに本にレンタルしてきたCDに。単に忙しくて他になにもすることがなかった期間の反動でいろんなことに手を出して破綻してるだけかも(笑) そんな訳で、もうちょっと効率よくブログを書ける環境にしたいなぁ、と。毎日30分とか決めてブログを書くとかいうのもいいかもしれません。でも、ブログ書き出すと楽
宗教やニューエイジ系でよく言われることだけれど、「人はその魂のレベルに見合った仲間と出会う」。死後の世界はそうなっている、とかね。簡単には、「類友」ってやつだと思うんですが。 誰かを憎い憎い、許せない、と思っていると、ネガティヴな感情で心がいっぱい。はっと気づくと、憎い相手がしているのと同じように、どんな手段を使ってでも蹴落としてやろうとか復讐してやろうとか考えていて、そんなとき鏡に自分を映すとまるで地獄の亡者みたいな形相になってる。これが、生きながら堕ちるということ。 一番いいのは関わらないことだ、スルーすることだとわかっていても、どうしても許せないという感情が勝った瞬間には、思わず心のなかで相手をこっぴどく罵ったりしている。心の中で、というけれど、それはもう言葉にしたのと同等の威力があるんですよ、いや、相手に対してじゃなく、自分自身にね。心で発せられた、どす黒い呪いの言葉は、自分をとて
株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。 「自分を『作品』にしてはいけない」。確かゲーテはそんなことを言っています。「ゲーテとの対話」(岩波文庫)にあったはずだけれども、昔読んだ本は離れた場所に置いてあるので確かめられません。 この警句は、特にインターネットでブログを書く若い人たちに、正しく受け止めてもらいたいと考えています。端的に言うと、自分自身を実況中継するとか、自分が着手している根気を要する仕事やプロジェクトなどの進捗を事細かに報告するとか、非常に個性的な自分の生活パターンを日々公にするとか、そういう風なパターンは好ましくないということです。自分自身にとって。(多少限定すると、日ベースのメディアで、自
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