タグ

ブックマーク / fujipon.hatenadiary.com (32)

  • 結局、マスコミには勝てないんじゃないかな、と思う。 - 琥珀色の戯言

    ネットで事件報道について何か素人が言いたいなら「後出し」ぐらいでちょうどいい(by 「愛・蔵太の少し調べて書く日記(9/8)) ↑のエントリを読みながらあらためて考えたのですけど、ネットでどんなに大勢の人たちが「ネット批判」をしても、結局それは「ある種のチェック機構になる」くらいが限界で、マスコミに致命的なダメージを与え、変革させるのは不可能なのではないでしょうか。 「ネットバトラー」は、すでに、負けている!(by 「活字中毒R。」) ↑の齋藤由多加さんの話をぜひ読んでいただきたいのですが、マスコミの記事に対する批判っていうのは、所詮「相手が作った土俵の上で勝負している」ようなものなんですよね。相手がニュースを発信してくれなければ、批判することもできないわけだから。 受け取った側の私たちが「ここを直してください」「ここはちょっと合意できない」などと、徹底的に修正を入れたところで、ベースとな

    結局、マスコミには勝てないんじゃないかな、と思う。 - 琥珀色の戯言
    AdYandW
    AdYandW 2007/09/18
    “マスコミの記事に対する批判っていうのは、所詮「相手が作った土俵の上で勝負している」ようなもの”
  • インターネット「鈍感力」のススメ - 琥珀色の戯言

    打たれ弱いと不幸なのか?(by「大きな声では言えないけれど」(4/11)) ↑を読みながら、はじめて自分のサイトで「ネットバトルめいたもの」をやったときのことを思い出してしまいました。あれは確か「死刑制度の是非」についての論争だったと思うのですが、自分のサイトの掲示板で、次々と繰り出される相手の「正論」に、「もうやめようよ。疲れたから……」と憔悴しつつも、眠れずに夜中に何度もドキドキしながら掲示板を覗きに行って、反論の書き込みがなければガッカリ、あればグッタリしていたのを今でも覚えています。ネット上とはいえ、他人と闘うというのは、かなり消耗するものではあるんですよね。さらに、その「バトル」は、それなりの数の人が見物しているわけだし。 2007年2月20日、小泉純一郎前首相が自民党幹事長室をたずね、中川幹事長・塩崎官房長官を前に「目先のことに鈍感になれ。鈍感力が大事だ。支持率が上がったり下が

    インターネット「鈍感力」のススメ - 琥珀色の戯言
  • 僕がコメントにレスしない理由 - 琥珀色の戯言

    べにぢょのらぶこーる - コメント欄の誓い いや、僕も昔はアダルトサイトの宣伝書き込みにもキチンとレスしていたりしたなあ、などと思いつつ。 ↑のエントリのなかで、「愛読者からの御意見」として、 アイドルのブログじゃないんだから、荒らしにレスしないのは読者とのコミュニケーションを 放棄してるってことでしょ? というのがあったというのを見て、僕は悶絶しまくってしまいました。 もし、あなたが街頭でなんらかの募金活動をしていたとします。 それで、「お願いしま〜す」なんて声をあげていたら、ヘンな男がナイフを持って襲い掛かってくるわけですよ。 「俺は募金とかやっているヤツが嫌いなんだ、お前らみんな俺に謝れ!」って。 さて、あなたはそのとき、どうしますか? (1)敢然とその男に立ち向かう (2)その男に、「募金活動の意味」を理路整然と話して説得を試みる (3)警察を呼ぶ (4)逃げる さあ、どうする?っ

    僕がコメントにレスしない理由 - 琥珀色の戯言
  • 「日記を人前にさらすなんて!」 - 琥珀色の戯言

    http://megumi-velvet.com/archives/7408.php 10周年おめでとうございます! 始めて1年目だか2年目だかに、雑誌SPA!のインタビューに答えましたが、その時のテーマが、 「日記を人前にさらすなんて!」 とかいうのでした。 僕がネットをはじめたのって、たしか8年くらい前だったのですけど、確かにネットの初期の頃、まだ「さるさる日記」が斬新であった時代には、「知らない人の日記が読める」ということそのものが新鮮でした。有名人の「作品」としての日記を読むことはできても、「普通の人」の日記が読めるなんて、ネットが普及する前には考えられなかったことです。 でも、10年ひと昔、というか、ここ数年はまた「日記を人前にさらすなんて!」という時代になってきたような気がしますけど。 10年前は「人前にさらすなんて恥ずかしい」、現在は「人前にさらすなんて危険だ」と理由は異なり

    「日記を人前にさらすなんて!」 - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 - 「ネットを手段にする」という幻想

    世間には勘違いしている人が多いみたいなんだけど、「ネットを足がかりに作家デビュー」なんていうのは、全然「近道」でもなんでもない。当に作家デビューしたければ、ネットに自作の小説をアップして感想待ちとかするよりも、世間にたくさんある文学賞に片っ端から応募したほうがいいに決まっている。「文学賞は狭き門」なんていうけれど、そこにはネットよりもはるかに高い確率で「良い作品を探している人たち」がいるのだし、うまくいけばプロへの道だって開けるはずだし、その程度の狭き門をクリアできないようなら、プロとしてやっていくのは所詮厳しいのではなかろうか。もちろん、それが最初から一発でうまくいく可能性は希少だけれど、少なくとも「なんとなくプロ目指してるんです」とか言いながら、馴れ合いのような環境で「自作を発表」して、手ぬるい「批評」なんて貰って喜んでいるようでは、いつまで経ってもどこからも声なんてかからない。そう

    琥珀色の戯言 - 「ネットを手段にする」という幻想
  • 「匿名で書き続けること」の難しさ - 琥珀色の戯言

    http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/865 ↑で書かれている「文学の定義」に関しては、僕には僕なりの考えがあるし、AkkyさんにはAkkyさんなりの考え方があることなので、とくに異論も反論もありません。いろんな意味で「文学に熱い人」だなあ、とは思いますし、そういう人がいてくれるというのは、むしろ心強いことでもありますので。 このなかで、 「文学」というものに当に権威を認めないというならば、「文学」を否定されることに何らの痛痒も感じないはずです。もし感じるとするならば、それはどこかで「文学」というものに対する権威付け(ないしは価値付け)が行なわれているからではないかという気がします。そして僕の見るところ、fujiponさんの音としては、匿名における「文学」の存在を否定されるのが嫌なのだと読みました。 と書かれているところに関しては、「当に『文学

    「匿名で書き続けること」の難しさ - 琥珀色の戯言
  • 「ブックマークされないエントリ」の重要性 - 琥珀色の戯言

    僕はけっこうアクセス解析を見るのが好きなのですけど、先日、「まなめはうす」(http://homepage1.nifty.com/maname/)さんに http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060807#p1 ↑の「週末のフール」(伊坂幸太郎著)の感想を「関連」としてリンクしていただいたので、久々に自分でも読み返してみました。それで、自分で言うのもなんですが、「ああ、僕ってけっこう一冊のでいろんなことを考えているなあ」「けっこう良いこと書いてるなあ」と感心してしまったのです。当にお恥ずかしい話なんですが。いや、他人にとっては、「なんじゃこりゃ?」というような的外れな感想なのかもしれないんだけど。 この「琥珀色の戯言」を読んでくれている人というのは普段は1000人弱くらいで、大きなブログ・サイトにリンクしていただいたときで、その2〜3倍なのだけれども、そのくら

    「ブックマークされないエントリ」の重要性 - 琥珀色の戯言
  • 「待っている人」がいなくても更新できるのか? - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/xura/20061003/p1 リアクションへのリアクション、みたいになってしまって、なんだか申し訳ないのだけれど。 僕は基的に書くことが好きだし、やっぱり個人サイトとかブログって、書くことが好きで、楽しくないと続けられないような気がする。僕はこうしてキーボードを叩いているだけでも、けっこう幸せなのだ。 でも、実際に「待っている人がいなくても、更新を続けられるのか?」と問われると、僕にはあまり自信がない。昔はあった、すごくあったのだ。それこそ、僕が人類最後の生き残りになったとしても更新できるくらいの自信があった。 3年前くらいに、事情があって、前にやっていたサイトを閉鎖した。しかしながら、サイト運営の楽しみは捨てがたく、僕は全く新しい場所で、新しい名前で、新しいサイトを始めたのだ。 ところが、これが誰も来てくれないのですよ驚くほどに。前にもど

    「待っている人」がいなくても更新できるのか? - 琥珀色の戯言
  • そこまでしてブログを更新せねばならぬ理由 - 琥珀色の戯言

    「嫌いなブログの利用法」(http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060929#p)というエントリのブックマークコメントのなかに、 そこまでしてブログを更新せねばならぬ理由が分かりませぬ。 というのがあったのですけど、基的には僕もその意見に賛成です。わざわざ他人の悪口や揚げ足取りをやってまで、「ブログを更新しなければならない理由」なんてないですよね。ただ、人というのは自分のやっていることのすべてに理由を見出しているわけではないのも事実だし、その人の置かれている状況によって「理由」は違っていることもあるのです。 僕は仕事でいろんな人と接するのですけれども、やっぱり、「そんな歳なのに畑仕事をしなくてもいいんじゃないの?」とか「38度の熱があるのにわざわざ会社に働きに行く必要があるの?」なんて言いたくなるときってあるんですよね。 いや、率直に言うと、彼らには「必要」なん

    そこまでしてブログを更新せねばならぬ理由 - 琥珀色の戯言
  • ネットイナゴの恐怖 - 琥珀色の戯言

    S:今日の一言(9/11)−乙武さんのブログ炎上 http://d.hatena.ne.jp/satomies/20060911 僕もこのエントリで乙武さんに投げつけられている罵詈雑言の数々を苦々しく感じていたのです。 そもそも、先日はmixiで「皮膚病患者をミイラよばわり」した大学生が集中砲火を受けていましたが、ここで乙武さんに対して酷いことを書いている人々がやっていることは、そいつと同じようなことのわけで。 しかしながら、あの大学生はmixiで「身元がわかった」からこそあのように社会的制裁を受け、匿名で悪口を書く(=自分の発言に責任を持っていない)人々にはお咎めなしなのは、なんだかとても不公平なような気がします。 ところで、このエントリの中に「安易な謝罪は保身に過ぎない」(http://metalsty.seesaa.net/article/23435850.html)というのが取り上

    ネットイナゴの恐怖 - 琥珀色の戯言
  • ブログに移行すると「文章の質が落ちる」理由 - 琥珀色の戯言

    「こんな日だったね」http://home.att.ne.jp/yellow/cat/konna.htmの7/18に、 かつて時々読んでいた人のサイトを発見。いわゆる「テキスト・サイト」というのか、文章で読ませるタイプの人だった。ご多分にもれずこの人もブログに移行していたけれど、その文章の質が落ちていることに愕然とした。ブログになると同じ人がどうしてこうも薄いだらけた文章を書くようになるのか不思議に思った。 という記述を見かけて胸を突かれたような気がしたのですが、僕自身も、こうしてブログに書いている内容というのは、メインのサイト(http://www5f.biglobe.ne.jp/~iyatsue/)に書いているものよりも、「荒れている」のではないかと感じることが多いのです。 「荒れている」というのがどういうことなのか説明するのはなかなか難しいのですが、「荒削りである」とか「完成度が低い

    ブログに移行すると「文章の質が落ちる」理由 - 琥珀色の戯言
  • ブログ燃え尽き症候群 - 琥珀色の戯言

    「いつか記事が書けなくなる日」(最終防衛ライン2) http://d.hatena.ne.jp/lastline/20060720/1153384681 僕はとにかく書くことが大好きでずっと続けているのですが、最近自分でも「これ、前に似たようなこと書いたなあ」と感じながらアップしていることが多いのです。多少切り口を変えたり、新しく考えるようになったことが加わったりもしているのですが、それでも、「新しいこと」を期待している人にとっては、かなり「既視感」を与えてしまうのではないかと思います。 まあ、考えてみれば、僕というひとりの人間の経験や処理しきれる情報なんて限界があるわけだし、そんなに毎日突飛なことばかり考えて生きていけるわけでもありません。そもそも、エッセイの名手である中島らもさんや原田宗典さんや阿川佐和子さんだって、著作をずっと読んでいれば、「あっ、この話、どこかで読んだことあるなあ」

    ブログ燃え尽き症候群 - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 : サイトの「勝ち負け」の定義

    「Quick Japan/Vol.62」(太田出版)の「総力特集・山下達郎」より、山下達郎さんと山口隆さん(サンボマスター)の対談の一部。 (音楽の「主流」とは?という話になって) 【山下:主流は筒美京平さんとかであって、僕の音楽はまったく主流ではない。 山口:そうかなぁ。でも1位とかガンガン獲ってたら、流じゃないんですか? 山下:経済活動とかチャートで1位を獲っても、それをもって主流とは言えない。音楽についての勝ち負けというのはすごく難しい。相撲だったら横綱にならなきゃ勝ちじゃない。オリンピックだったら金メダルを獲ればマイルストーンになる。しかるに、音楽にどうやって勝ち負けを付けるかと言えば、それは1位なのか、東京ドームで公演することなのか。でも、1位を獲っても、100万枚売っても、その曲に対してある人は涙を流して感動するけど、ある人はゴミだと言う。1億3千万の日人を全員満足させる音

    琥珀色の戯言 : サイトの「勝ち負け」の定義
  • 琥珀色の戯言 - 「ブロガー」とは何者なのか?

    http://www.narinari.com/Nd/2006066146.html この記事を読んで、僕はかなり憂な気分になりました。いや、ブログというツールは、多くの人に「発信する喜び」を与えているのは事実だし、僕もその恩恵を受けている人間のひとりなのですが、「ブロガー」たちが「プチマスコミ化」しているというのもひとつの現状なのです。 このオシム監督への「訪問事件」だって、もしこの人たちが「自分のブログでその顛末を紹介する」という「野心」を持っていなかったら、たぶん、ここまでのことはやらない可能性が高かったと思うのですよ。でも、「それで注目されたい!」とか「自分のブログで紹介する」なんていうような「目的」ができてしまうと、人というのは、けっこう自分の枠を外れたことだって、できてしまうような気がします。 話題になった「30日間マクドナルド生活」とかも、「サイトで紹介する」という「目的」

    琥珀色の戯言 - 「ブロガー」とは何者なのか?
  • 「お前は最近面白くない」 - 琥珀色の戯言

    「最近の○○はつまらない」なんて、世間ではよく言われますよね。正直、僕のサイトも最近面白くないんじゃないかと思うし、そういう声も聞こえてきます。「昔はもっとイキオイがあったのに」とか「マンネリ化してますよね」とか。 いや、それはもう、認めざるをえないところもあるんですよね。僕も書いていて「うーん、こういう内容の話、前にも書いたよなあ」なんて思うことが最近は多いのです。同じ人間の「引き出し」なんて、所詮、限界があります。 実際、中島らもさんや原田宗典さんといった「有名エッセイスト」たちですら、出版されているエッセイ集を何冊も読んでいると、「あっ、こういう話、前にも読んだことがあるなあ…」と思うことはありますし。ちなみに、中島さもさんには、「先月と全く同じ内容のエッセイを人も気付かずに編集者に渡した」という伝説があるらしいです。それはそれで信じがたいのだけれども。 http://d.hate

    「お前は最近面白くない」 - 琥珀色の戯言
  • 一流の「論客」になるためには - 琥珀色の戯言

    http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/17b5c616ce002a8224965284f5de2f82 要するに、「ネット上で頭が良さそうに見せるには」というコツが書いてあるのですが、いろいろと思い当たるフシもあり、興味深く読ませていただきました。 あと、僕が考えた「論客」になるための秘訣としては、「自分のオリジナルを書くとボロが出るので、常に他人が書いたものを『批評する側』にまわれ」ということです。要するに「揚げ足を取れ」ってことですね。 まあ、僕は基的に「論客ごっこをしている人」などには、全然興味も共感も抱けないのですけど。 彼らの言いたいことって、たいがい「俺は頭がいい」ってことだけなんだものなあ。 でもさ、常々疑問なのは、「医者は、患者にもっとわかりやすい言葉で説明しろ!」って言っているような「論客」たちが、自分のブログで日人の大多数が知らないような

    一流の「論客」になるためには - 琥珀色の戯言
  • 文章から人はわからない - 琥珀色の戯言

    http://blog.livedoor.jp/otaruohtaru/archives/50436344.html 僕は以前、「ネット上の文章と人間性」に関して http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060119#p3 http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060204#p2 ↑のようなことを書きました。僕は基的に「文章の力」を信じたい人間なので、こういう物言いになってしまうのかもしれませんけど。 中学校の頃だったかな、僕はけっこう真剣に悩んでいたのです。 外見とか、スペック(学歴とか職業)とか、口のうまさとかじゃないところで、当に自分のことを好きになってくれる人と出会いたいものだ、と。 でも、年を重ねるたびに、僕にはだんだんわかってきました。 「人間性」なんていうのは、実は、外見とかスペックとか以上に「虚飾」なのではないか、と。

    文章から人はわからない - 琥珀色の戯言
  • 「才能」の墓場から - 琥珀色の戯言

    先日ある宴席で、同僚の女性にこんなことを言われた。「先生って、あんまり勉強しなくても成績良さそうなタイプですよね」と。そんなふうに実際に言われてみると、それはそれで悪い気はしない。もちろん、そういう言葉にはイヤミとしてのニュアンスが含まれている場合も多いのだが、彼女はそんな感じで言ったわけではなさそうだし。 そんなふうに言われて、むろん悪い気はしない。そうか、そんなに頭良さそうに見える?なんて、心の中でニヤついていたりして。 でもまあ結局、僕と彼女は似たような偏差値の大学を出て、一緒に働いているわけであり、僕としては、「いや、自分なりに勉強したつもりなんだけどねえ」なんて答えたのだけれど。 僕の学生時代は「勉強ができる人たち」と過ごしていた時期が長かった。「天才的にできる人たちばかり」という領域ではなかったけれど、「天才的から中の上くらいの偏差値」の人たちばかりが、僕の周りにはいたわけだ。

    「才能」の墓場から - 琥珀色の戯言
  • 「インターネット人類補完計画」の果てに - 琥珀色の戯言

    最近、僕にとって、サイトでものを書くことが「楽しい」と言える時間は、どんどん少なくなってきているような気がする。それは単に、エネルギーの枯渇なのかもしれないけれど。 僕がサイトをはじめたころの5年前くらいの個人サイト界には、まだ、「自分のサイトを作るような人間」のあいだには、一種の共同体意識があったような気がする。お互いに意見の相違はもちろんあったのだが、それでも、「まあ、俺たちは所詮『インターネットで自己主張をしあっている、中途半端なクリエーターだもんな」というような感触がお互いにあったのだ。でもそこには、「ネットという新しいツールで何かができるんじゃないかという希望」みたいなものが漠然と存在していた。そういう意味では、「ネットの可能性を信じていた」僕たちは、ひとつの政党のなかの派閥みたいなものだったわけだ。そして、世間の「ネットなんて気持ち悪い」という風当たりに対しては、お互いに支えあ

    「インターネット人類補完計画」の果てに - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 - 「空気が読めない人」

    「嫌われている証拠を見せて」 http://aozora.sub.jp/diary/rnote.php?u=diary/2006/03/20050306_1442.htm 「空気の続き」 http://aozora.sub.jp/diary/rnote.php?u=diary/2006/03/20050308_1515.htm 「子連れは邪魔?」 http://kasumination.blog50.fc2.com/blog-entry-13.html 僕は「空気が読めない人」というのが大嫌いなのですけど、この3つの文章を読んでいて、それが誤りだったということにようやく気がつきました。そう、僕が嫌いだったのは、当は「空気が読めない人」じゃなかったのですよね。 逆に「当に空気が読めない人」に対しては、全然腹なんて立ちません。例えば、お葬式で3歳くらいの子どもが異様な雰囲気に耐え切れずには

    琥珀色の戯言 - 「空気が読めない人」