タグ

2007年2月5日のブックマーク (9件)

  • ゲームは一日一時間 子供と大人 - 最終防衛ライン3

    私はまた戻ってきた - ゲームのある生活、ゲームに使える時間の感想。 昔高橋名人が「ゲームは一日一時間」と言ってました。大人になってから高橋名人に聞いてみた〜「ゲームは一日一時間」の真相〜によると、この言葉に子供はゲームだけでなく、いろいろなことを体験して欲しいという意味が込められているそうです。深いです。 FC、SFCの頃には、家庭にテレビが一台しかなく、しかも居間に置いてあったのでゲームをする時間が限られていたという人が多いのではないか。あるいは、ゲームのやりすぎで親にFC隠されたというのも良く聞く話。そのため、必然的にプレイ時間が限られていたように思います。ラスボスよりも、親の方が強敵という冗談もあるくらいですし。 最近の子供は良く分かりませんが、据え置きゲームは親に時間を規制されているけど、DS等の携帯ゲーム機は特制限されてないんじゃないかしらと、街中でDSやらGBAをやってる子供

    ゲームは一日一時間 子供と大人 - 最終防衛ライン3
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 「俺は差別主義者じゃない。でも......」という差別レトリック - 女教師ブログ

    メディア, 読書, 言語van Dijk, T. A. (2006). 「談話に見られる人種差別の否認」(山下仁・野呂香代子訳) 植田晃次・山下仁編著『「共生」の内実―批判的社会言語学からの問いかけ』(p.p. 187-232.)(Keyword: クリティカル談話分析、社会言語学、人種差別) 【要旨】人種差別的な言説は、あからさまな形をもって出現するわけではない。むしろ《人種差別主義者というレッテルを貼られるということは損だ》という常識が共有されている現代においては、人種差別的な言説はより巧妙に潜行した形をとって言い表される。そのうちのひとつに「否認」―「私は黒人に対して何の偏見もない。しかし......」というように自身の差別的態度をあらかじめ否定しておくストラテジーがある。 van Dijk は様々な民族問題や人種差別に関する談話(ディスコース)―新聞記事や政治家の発言など―を紹介し

  • エロパロ同人が強い理由 - 萌え理論ブログ

    エロパロ同人が強い理由 SSMGの人の日記 - エロパロ同人の「パロディ」である必要性 パロディである必要をあまり感じない 全く逆に必然性を強く感じています。それはなぜかを述べていきますが、まず単にエロが強いという話との区別をしておきましょう。ビデオデッキもインターネットもエロの力が多大に貢献したのだという話はよく聞きます。しかしここで言いたいのは、エロとパロの結びつきの関係です。例えばアダルトビデオで「アイドル流出もの」は一ジャンルとしてあるでしょうが、ジャンル全体に占める割合で言えば、コミケにおけるエロパロ同人ほどは高くないでしょう。 なぜか。同人は虚構を扱うので、同一性の基準が広いからです。実在の人物は必ず一人であり、似ていても別人に留まります。対して同人では、似ていなくても特定のキャラクターだと認められることがあります。極端な例で言うと、昔TVの企画で、杉作J太郎が綾波レイの絵を描

    エロパロ同人が強い理由 - 萌え理論ブログ
  • 匿名について - kom’s log

    ネットにおける匿名の記事発信に関してはあるていどコンセンサスのある見解が流通している。すなわち次のようなことだ。ネット上においては言論がすべてであり、その内容と経歴によって人格が形成される。したがって匿名であっても個別認識が可能であり、戸籍に登録された氏名よりもよっぽど意味のある場合だってある。 この論理に私はうなずく。なるほど、ということでじゃあ実は匿名ではなくてネット実名なわけね、と得心する。しかしながら、だからネット実名で戸籍実名を批判することは正当である、といわれると私は留保をつけたくなる。なにやってもいいわけではない。順番に説明する。 ネット実名の個人が互いにその世界の内側で罵倒や応酬を繰り返すだけならば私はどんどんやればいい、と思う。でも少々事情がかわるのがネット実名とネット匿名のクラッシュだ。ネット匿名に対してネット実名は脆弱である。なぜならば、ネット実名には守りたいそのネッ

    匿名について - kom’s log
  • 生理的に受け付けない嫌いなものは、ある - 吉田アミの日日ノ日キ

    どうしても嫌なものはある。確実にある。何がどうあれ、どうあがいてもダメ。考えるのも嫌。できれば出会いたくない。だって、嫌いなんだもんというものがある。これが多ければ多いほど人生は生き難い。テキトーな距離感で出会わないようにする予防が必要。しかし、その予防をしていても不意に襲ってくることはある。それが事故であればある程度、我慢できるが人為的なものであれば、それを向けた相手に対して怒りの感情が湧く。 かくいう自分はあまり嫌いなものがない、と勝手に思っていた。理知的な人間は感情的になるものじゃない。あれこれ嫌いを作っていては、社会生活に支障をきたす。何事も我慢だというわけで、無理をしていたら自分だけストレスが溜まるという、よくない状況に。これは良くない。嫌なものは嫌だと拒絶することが必要だ。 嫌いと好きの感情は強いものだ。どうしようもない感情であって、それを押し留めることは難しい。一番多い感情は

    生理的に受け付けない嫌いなものは、ある - 吉田アミの日日ノ日キ
  • 人を嫌いになることは

    相手から嫌われてもいい、と思うことに等しいのではないかと思う。 少なくともおれは、嫌いな人以外には嫌われたくない。

    人を嫌いになることは
  • 匿名で発言できる場所はやっぱり必要 - 北の大地から送る物欲日記

    「デジモノに埋もれる日々: 慣習が生み出す情報連鎖 - 2ちゃんねる型スレッド管理のしくみ」を読んで。 2ちゃんねる以前にもいろんな掲示板が存在していましたが、ここまで巨大に、そしてさまざまな内容を網羅した掲示板群は他にありませんでしたし、これからもたぶん現れないでしょう。 何か気になることがあれば、googleで検索して調べるというのも一つの方法ですが、2ちゃんねるでその内容を含むスレッドを探す方がはるかに簡単に探している情報にたどり着ける場合が結構あります。事実、検索結果に2ちゃんねるのスレッドが出てくることもよくあります。 よく2ちゃんねらーとはどういう人たちなのか?という話題が出ますが、とても一言でまとめられないような多種多様な人たちの書き込みによって作られているのが2ちゃんねるという場所です。板と呼ばれる、各話題ごとのスレッドの集合体によってある程度は集まっている人たちに似たよう

    匿名で発言できる場所はやっぱり必要 - 北の大地から送る物欲日記
  • 田口ランディの日記と情報 : やっぱふつうが好き?

    2000年6月長編小説「コンセント」を出版。その後「アンテナ」「モザイク」(共に幻冬舎)を発表。「富士山」「ドリームタイム」(文藝春秋)「ひかりのメリーゴーラウンド」(理論社)原爆をテーマにした短編集「被爆のマリア」(文藝春秋) 「キュア」(朝日新聞出版) ノンフィクションでは「忘れないよヴェトナム」「ひかりのあめふる島屋久島」「もう消費すら快楽ではない彼女へ」(いずれも幻冬舎) 「ハーモニーの幸せ」 「水の巡礼」(共に角川文庫) 「オカルト」「神様はいますか?」「根をもつこと翼をもつこと」(いずれも新潮文庫)「寄る辺なき時代の希望」(春秋社)な生きる意味を教えてください」(バジリコ) 詳しくはホームページをご参照ください。 http://www.randy.jp/