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2007年2月10日のブックマーク (10件)

  • 「萌え」という言葉のもつ強い他者否定性 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「萌え」という言葉は、かなり他者を否定する響きの強い言葉だ。 「好き」とか「気に入っている」という意味合いに類する言葉だから、そういう否定性が強いことに気がつきにくいけれど、実は相当きつい言葉だ。 生身の人間に向かって「○○さん萌え」と言ったとする。 「萌え」という言葉を使った時点で、言った側は、言われた側を表層的にパッケージングしている。言い換えれば、言われた「○○さん」を言った側の都合のよいように解釈し、都合のよい姿形や性格だけをピックアップして、それを再構成し、その再構成した存在を気に入った、と言っていることとほぼ同様である。 なぜ「好き」ではなく「萌え」なのか、を考えれば分かることである。 二次元的なキャラクターや、表層的な属性そのものを売り物にしているタレントやモデルのような人々は、もともと再構成された状態で存在しているものである。だから「萌え」という言葉はよい評価としてしっくり

    「萌え」という言葉のもつ強い他者否定性 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • GTASA発売 ゲーム規制を考える - [ゲーム業界ニュース]All About

    グランド・セフト・オート・サンアンドレアス発売2006年1月25日、全世界で5千万以上を発売する人気シリーズ、グランド・セフト・オート(以下GTA)シリーズの最新作、グランド・セフト・オート・サンアンドレアス(以下GTASA)が日で発売になりました。発売に際して、延期や、仕様変更など紆余曲折があったのですが、それはこのシリーズの過激な表現が問題になったことに深く関わりがあります。 今回はことの発端である神奈川県が同シリーズのグランド・セフト・オート3(以下GTA3)を有害図書類に指定した経緯や背景などを整理するとともに、ゲームの規制について考えてみたいと思います。 全国に先駆け、神奈川県がゲームを有害図書類に指定 2005年5月30日、神奈川県の県民部青少年課はGTA3を神奈川県青少年保護育成条例に基づく有害図書類に指定することを決定しました。有害図書類とは具体的にどういうことでしょう

  • 負けずに強く・・・・ - ノイズなツブヤキ

    セックスより完全なもの - 傍にいて(リンク切れ、過去ログから探すのめんどいので引用だけさせてもらう) 誰かが傍にいて支えてくれるというのはとても心強いし幸せだと思うけれども一人で立てるようになりたいと一条は思う。 一人で立つことの意味は私はちと違う。一人で立ってる人なんてこの世には一人もいないよって。自分は一人で立っているように見えても、必ず誰かの何かの支えがあるはずだから。私はそれに気付いたとき、それでもいいじゃないか、一人で立てるならって思った。 私は支えてくれるのが人じゃない場合もある。ただの幻想とか物とか、そういう無機質なものや形のないものでも支えにすることができる女だ。それを誇りに思ってるし、だからこそ、私は自分がこの世でもっとも強い女だと思っている。私以上に強い人間は誰もいないよって。 ああああ、ほんとーにスルメ歌だ。(爆) 話がぶっとぶのもご愛嬌。今この瞬間を支えている歌に

  • だから僕らは傷ついた。そして僕らは癒された。 - 妄想界の住人は生きている。

    こんにちは。だんちです。 最近、二次創作ばっかりやっておりますが、感想を書いていないだけで相変わらずアニメ視聴も続けております。 そこで、アニメーションというエンターテインメントを受け取って楽しみつつ、なぜ、大人になった僕なんかがそういったコンテンツを必要とするのか、をちょっと漠然と考えてみました。 自分の経験を軸にしつつ、印象で乱暴に世代論に展開させているのですが、その辺のことは「とりあえず書いてみよう」で書いているところがあるので、「ああ。いつものことだな」ってな感じでご容赦いただけると嬉しいです。 ・「萌え」と「癒し」 「萌え」がどうのっていうのは、具体的にはあんまりよく分からないのですが、そういう括りでもって作品を否定したり肯定したり、というのは意味の無いことだと僕は思っています。 ただ、現象としての「萌えムーブメント」というものは、認識できるものなのかもしれないなぁ、とは感じます

    だから僕らは傷ついた。そして僕らは癒された。 - 妄想界の住人は生きている。
    AdYandW
    AdYandW 2007/02/10
     前半に共感できる部分が多い。“そこで。アニメですよ。美少女ですよ。萌えですよ” 飛躍しているとも思いつつ、オタクの洗礼をうけて、その方面に浅いなりに進んでいった私もそうなのかな…とも感じる。
  • 書かれなければ[後で読む]ことも出来ない : 404 Blog Not Found

    2007年01月25日21:00 カテゴリBlogosphere 書かれなければ[後で読む]ことも出来ない 賢明な読者のみなさんはご存じのとおり、blogはその逆を行っている。 Life is beautiful: ブクマコメントに「後で読む」と書かれたら負けだと思っている こうやってブログを書いていてつくづく思うのは、簡潔で分かりやすい文章を書くことの難しさと大切さ。だらだらと思いついたままに長い文章を書くのは簡単だが、「小粒でピリリと辛い」文章を書くには推敲に推敲を重ねる必要がある。当初は、私もそう思っていた。blogも文章である以上、「よい文章」の書き方ルールがそのまま適用されるのだと。 しかし、blogは「読んでもらいたいから書く」より、「書きたい事があるから書く」のに向いたメディアである。アルファブロガーなどと呼ばれ、書いた記事が片っ端からはてブされるようになると、より「読まれ

    書かれなければ[後で読む]ことも出来ない : 404 Blog Not Found
  • 忘れられない程度の存在感を残す - 『斬(ざん)』

    はたして、オレのネット上での知名度ってのはどれくらいなのかなぁ?とふと感じる。まぁ、それ程有名ではないけど、はてブ界隈では、少しは名前というか、「あぁ、あのブロガーか」くらいなモンなんじゃないだろうかくらいにしか思えないけど。どうなんだろうか? まだまだ Web 世間は広いし、伝わる余地は余りあるほどだろうケドも。なんちゅーか、ある程度、存在感があれば、更新頻度を落としても忘れられることも無いだろうし、落とした中で、クリーンヒットな記事を出していけば、毎日あくせく更新しなくても、ぼちぼちでも置いてけぼりをうことも忘れられることも無いんじゃないだろうか? 私は近頃、自宅でPCの電源を入れない日が数日続いたりしてます。 私自身、ブログに興味がなくなっているのかも? takoponsの意味:■カクテルパーティガール……もとい、効果。(コメント欄) のレスをもらってふと考えてみた。たぶんだけど、

    忘れられない程度の存在感を残す - 『斬(ざん)』
  • BEMOD: 漫画: 父、帰る

    作:大沢駿/2007年2月3日/4p/鉛筆漫画 一人反省会 手塚治虫さんが『 マンガの心 』というの中で、漫画の要素は4コマ漫画に集約可能であり、ストーリー漫画を描きたいならば4ページで起承転結のある物語をつくるところから始めよと書かれていました。そんなわけで、鉛筆漫画をちびちび描こうかなと思っております。 2052年に父と娘が再開する場面、しかし宇宙船で父が帰ってきたのは2053年だった。壁に描かれているのは第一次世界大戦のプロパガンダポスターであり、1年の差が娘をポスターの中で笑う女性へと変えてしまった。もう少し内容を詰め込むなら、宇宙船自体が未来への平和の象徴として旅立った何かだったら良かったのですが、構成が思った以上に上手くいっていないので、整理しないと駄目ですな。 ともかく、どんどん描いていきましょう。

    AdYandW
    AdYandW 2007/02/10
    “漫画の要素は4コマ漫画に集約可能であり、ストーリー漫画を描きたいならば4ページで起承転結のある物語をつくるところから始めよ” 
  • コンプレックス持ちであるというコンプレックス

    コンプレックスを持っている、というのは、持っていない人からするとやはり面倒臭いと思われるのだなあ。 コンプレックスを持つことは悪だ、とまでは言われないだろうが、コンプレックス持ちは陶しくて敵わない、くらいは言われそうだ……実際自分も他のコンプ持ちに対してそう思ってしまうし。 しかし、どうしようもないのだよなあ。どうしようもない屈託があるからこそコンプレックスなのだし。 一度中りしたものを喉が拒否するみたいに、コンプレックス周辺のことに関して自分の欠点をすぐに認めることがどうしても出来ない。泣きそうになりながら何とか認めたところで相手にこっちの葛藤を酌む理由などなくて、続いて掛けられるのは優しい言葉どころか責め言葉なわけで。あー。 何か書いてたら唐突に『みんな死ねばいいのに』の一言で片付けたくなってきた。ダメだコイツ。

    コンプレックス持ちであるというコンプレックス
    AdYandW
    AdYandW 2007/02/10
    自分でも時々、面倒というか、もっと楽に考えられたらいいのにぐらいには思ったりしている。
  • http://d.hatena.ne.jp/nanari/20070201

  • 「向こう側」と「こちら側」の断絶 - 誰かお尻拭いてください

    「向こう側」だって別に輝かしく素晴らしい世界などではない。もともと「向こう側」の住人だった人に聞いてみれば、ほとんどの人がそう言うだろう。準ひきこもりだけが際立ってダメな人間として描写されているのは、それが著者の世界観だからである。確かに非コミュにも克服するべき問題はあるだろう。しかしあまりにも非コミュと非非コミュの差を誇大に描き出すことは、余計に社会参加の敷居を高くしてしまうように思う。アマゾンのレビューを見ていても、当事者にとってはこのの内容は余計に非コミュを悪化させかねないもののようである。mixiでは書けない日記 - 「向こう側」は別に素晴らしくなんかない 同感です。上山和樹氏も以前こう言っていた。ひきこもりは、異常に恥ずかしい。 その羞恥を増幅することで人の社会意識を高めようとする試みは、傷口に焼け火箸を突っ込んで治そうとするようなもの。 【そもそも社会意識が高くなければ、「