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2007年3月14日のブックマーク (10件)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    もういくつ寝ると 今年のはじめにやりたいことリストを作った。今見たら50項目あるリストのうち25個が達成済みだった。ちょうど半分やりたいことをやったということだ。私にしてはまあまあの結果だと思う。満足。 やりたいことリストにあるもののうち、「〜をべたい」系は概ねクリアし…

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  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    新米と秋刀魚のわた焼き お刺身用の秋刀魚を買いました。1尾250円です 3枚におろして、秋刀魚のわたに酒、味醂、醤油で調味して1時間ほど漬け込み、グリルで焼きました 秋刀魚のわた焼き わたの、苦味が程よくマイルドに調味され、クセになる味わいです 艶やかな新米と一緒に 自家製お漬物 土…

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  • Web上で自分を残す難しさ - 北の大地から送る物欲日記

    「おれはおまえのパパじゃない - 俺誰」を読んで。 なんか何度も何度も同じをことを言葉を換え、繰り返し言ってるような気がしていて、自分自身しつこすぎるなって感じもするし、アンテナやRSSで追ってくれている人たちにとっては「こいつまた同じこと言ってやがる」と耄碌じじいを見るような感じになっていることでしょうが、でも一期一会のブクマ勢にとっては「3年ROMってから書けよw そんな意見今更すぎ」と遅れてきたじじいを見るような感じになっている。どっちにしてもじじいであり、それは間違いのないところなので、じじいはじじいらしくエアガム噛んで、これからもうろんな昔話を語り続けるしかないな、と思った。 自分がWeb上で発言してることって、結構同じことの繰り返しになっている気がして、その繰り返しに意味はあるんだろうか?などと思い悩んだりしてる人も結構多いけど、こういうのを見ると繰り返しでもやっぱ発言し続ける

    Web上で自分を残す難しさ - 北の大地から送る物欲日記
  • 非人類との殲滅戦 : 本と映画と、時々仕事

    2007年03月09日 Permalink TrackBack(0) ラスボス問題 明日のために・その2(脚 非人類との殲滅戦 さて先日の「ヒーローは悩まない」 の続き 確認すると 「ヒーローは苦悩はするが悩まない」 「ヒーローはパワーアップはするが成長しない」 そんなヒーローを効果的に描くために 「物語内の『正義』と『悪』は疑いなく明確なもの=ベタでなくてはならない」 「『正義』と『悪』はヒーローの『燃え』を描くための『手段』に過ぎない」 この理念は大変素晴らしいのですが… そうは言ってもやはり 子供向けでもない限り『正義』と『悪』をベタに描くことは 難しい時代になっていることは確かです それは先日の宮崎駿の引用にも書かれていた通り 今となっては誰もが意識していることだろうと思います 『武装錬金』の和月伸宏も『るろうに剣心』の後期 『ワンピース』のような『悪人』を書きたいが難しい… と

    非人類との殲滅戦 : 本と映画と、時々仕事
  • ヒーローは悩まない : 本と映画と、時々仕事

    2007年03月08日 Permalink TrackBack(0) ラスボス問題 明日のために・その2(脚 ヒーローは悩まない 武侠小説の金庸についてネットで調べていた所偶然発見した オタクについて論じているサイト OTAPHYSICA(オタフィジカ) 「燃えは萌えに優先する」 と熱いことを言ったり 『武装錬金』を強力に推したりしていて 非常に好印象なのですが (ウチの漫画は酷評されてました(笑 その中のベタの正義論、成長のドラマとヒーローの論理辺りが大変面白かった 作品が『燃える』作品となるためには 「作品内の『正義』と『悪』はベタでなければならず 物語の中の『正義』や『悪』について『これは当に正しいのか?」』 などと読者に深く考えさせてはならない」 との主張ですが、なるほど慧眼です、耳が痛い(笑 さらに 「ヒーローはレベルアップ、パワーアップはしてもいいが成長してはならない」 と

    ヒーローは悩まない : 本と映画と、時々仕事
  • 方法的信頼 - 旧 はてブついでに覚書。

    デカルトは”方法的懐疑”という手法を使って「我思う、ゆえに我あり」というものにたどり着いたという。 幼児の時から無批判に受け入れてきた先入観を排除し、真理に至るために、一旦全てのものをデカルトは疑う。 この方法的懐疑の特徴として、二点挙げられる。一つ目は懐疑を抱く事に人が意識的・仮定的である事、二つ目は一度でも惑いが生じたものならば、すなわち少しでも疑わしければ、それを完全に排除する事である。つまり、方法的懐疑とは、積極的懐疑の事である。 (中略) 方法的懐疑を経て、肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられ、純化された精神だけが残り、デカルトは、「私がこのように“全ては偽である”と考えている間、その私自身はなにものかでなければならない」、これだけは真であるといえる事を発見する。 ルネ・デカルト - Wikipedia 人を根源に立ち帰らせるためには、いろいろと徹底的に懐疑してみるのはいい

    方法的信頼 - 旧 はてブついでに覚書。
    AdYandW
    AdYandW 2007/03/14
    “結果の保証がなくたっていいじゃない。やれるかどうかわからないなんて当然じゃない。 意味なんていいじゃない。 まずは信頼してみようよ”
  • とあるブログの舞台裏 ブロガーはブログを作ると同時にブログに作られる

    ブログを扱っていて、それが私のエネルギーを吸い取る力場だと感じることがある。私が記事という餌を積極的に与える気にならなくても、ブログは乳をほしがる赤子のように私に吸い付き、必要なものを吸い取ってすくすく育っていく。私は誇らしく、恐ろしい。ひとつはブログを自立的に感じるまでに育てたことが、残りひとつはブログが自分でも制御不能のものになってしまうことが。 そもそも私にとってのブログとはWeb上に蓄えられているログを指す概念ではなくなっている。もちろん、それを中核とするが「ブログ」は私が外部であることを許さず、ある部分では重なり合った存在で、同様に読者やリンクもその境界をブログに侵されている。 そうして出来た「交流の混ざり物」がブログで、その内部に含まれるものは私起源のものだけではないのに、私の中に入ってくるから不気味に感じ魅力的に感じる。 しかし、まぁ、私がどれだけ自分のブログを恐れても、これ

  • 好意と悪意の狭間 - novtan別館

    ブログなどで表明した自分の意見や感情についてのコメント・ツッコミに対して必要以上に善意・好意であるとか悪意であるとか考えるのはしんどいよなあと思ったりする。お互い背景を書かれていること以上には知りえない程度の関係において、期待できることは限られているわけだし。 だからコメントは常に冷静な批評として受け止めることにしている。明らかに悪意が放出されていたとしてもそれを受け止めなければならない義務はないし、それよりはその悪意の部分をフィルタリングした結果として残ったものについての意味を考えた方が建設的ではないか。 と、冷静な人格を装っている自分が主張しているわけだ。ここに何かを書くときに既に自分の思考のかなりの部分がそぎ落とされているからそう思えるのかもしれない。もっと心の赴くままに、あるいは心の奥底までを書き連ねているのであればそんなことを言っていられないかもしれない。 それでもやはり他人の真

    好意と悪意の狭間 - novtan別館
    AdYandW
    AdYandW 2007/03/14
    感情的な部分とは切り離して、冷静に向けられた言葉を受け止めたいとはよく思っていること。ついついありもしない悪意を勝手に読み取って、感情的な部分で過剰反応してしまうことが多いからな…。
  • ゆとり教育よりゆとり労働 - The best is yet to be.

    モトケン先生のブログで、医師の労働環境に関するエントリが立てられている。やはり国循ICUの医師一斉退職は衝撃だったのだろう。国循といえば西日唯一のナショナルセンターであり、ICUはそこの中枢の一つである。ICUの欠員を埋めるために別の科から医師を配置転換するとなれば、ICUに人材を出した科にはさらにまたどこかから医師を持ってくるという風に、院内ドミノ的な状況も予想される。畢竟、どこかで負担は強まるわけだ。 ���դ�ϫƯ�����μ¾��ˤĤ��� - �����۸��ΤΤĤ֤䤭 我々があまねく医療サービスを享受できている現状は医師の献身的な労働に支えられていることを、改めて実感する。以前に当ダイアリでも保育士や教師の労働環境に多少触れたことがあったかと思うが、それらのいずれの職業にしても、一般的な民間企業と同等以上の労働量を構成員に負わせることで、消費者の要求に合わせたサービスを提供で

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