シリーズ 混迷続くイスラム イスラム国はなぜ台頭したのか 2015年1月5日 月曜深夜[火曜午前 0時00分~0時50分] 外国人ジャーナリストを殺害し、その映像をインターネットで公開するなど、残虐行為を重ねながらイラクやシリアで勢力を拡大するイスラム過激派組織「イスラム国」。なぜわずか数年で急成長することができたのか、その成り立ちに迫る。 2011年、アメリカ軍がイラクから撤退すると、シーア派のマリキ首相は少数派のスンニ派を政権への脅威とみなして排除するように。何千人ものスンニ派が破壊活動の容疑で捕らえられ、虐待され、あるいは路上で殺される。 宗派対立が激化する中、「イスラム国」の前身でアルカイダの流れをくむスンニ派武装組織「イラクのアルカイダ」が、国内外のスンニ派富裕層から資金を得て勢力を拡大。隣国のシリアでアサド政権と反政府勢力との内戦が始まると、混乱に乗じてシリアで組織を急成長させ
8日にアメリカ軍がイラク北部で「イスラム国」(IS)の部隊を爆撃しました。2011年にイラクから撤退したアメリカ軍が、空軍力の行使のみとはいえ、再び直接に軍事介入を行ったわけです。イラクに戻ってきたわけです。 モスル制圧時はクルド人地域に侵入せず イスラム国は、それまでISIS(イラクとシリアのイスラム国)という名称の下で活動していたスンニ派の急進派が、7月にイラク北部の大都市モスルで成立を宣言した国家です。その指導者はアブ―バクル・バグダーディでイスラムの預言者ムハンマドのカリフ(正統な後継者)であると自称し、全ムスリムに自らに従うように呼びかけています。 この勢力は、6月に数日にしてイラク西北部の広い地域を制圧しました。シーア派のマリキ首相の率いるバグダッドの「中央」政府に対する不満を高めていたスンニ派の様々な勢力の協力が、この成功の背景にありました。 このイスラム国の軍事部門は、一時
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く