2007年7月1日のブックマーク (2件)

  • 「北朝鮮へのエクソダス」読書メモ

    ここで読み終わる前に少しだけ紹介したこの。読み終えた。 反天連のAさんはPP研の集まりで、誉めたつもりだろうが「テッサさんのにしてはとても読みやすい」と、人の前で紹介していた。確かに読みやすい。誰にでも興味が湧くように書かれている。テッサさん自身は「”学術論文”と称される文章を書くことの多い研究者のひとりとして、自著の中でこれほど自らの体験を語ったことはなかった。こんな書き方にひどく居心地の悪い思いもした。」と書いている。 日で生活することに、日常的にほとんどなんの違和感も感じていない人間(ぼくを含めて)が読むべき物語がここにある。 先日、引用した紀伊国屋のデータ、 == 日北朝鮮韓国、米国、ソ連、中国、そして赤十字―。 冷戦下、それぞれの思惑が絡みあい、「帰国事業」は始まり、歴史は隠蔽された。 東京、ジュネーブ、平壌、済州島、大村、新潟…と世界を旅しながら、息をのむ展開で

    Arisan
    Arisan 2007/07/01
    これは読まねば。
  • 「本人が、自分で語ってみる」 - Freezing Point

    法学(訴訟法)でいう「当事者」とちがって(参照)、ひきこもりや不登校の支援業界では、「当事者」はもっぱら弱者=逸脱者のことを指すが、そのことが議論を硬直させているように思う。 弱者が為す「当事者発言」は、単に特権化して優遇するためではなく、力関係の分析と再構築のために提出される――そう考えるべきだと思う。弱者を差別的に優遇する態度は、必要な一ステップだとは思うが、「弱者に無理に語らせる」という態度にもなりかねない*1。無理にでも語らせるべきなのはむしろ強者ではないか。(いずれにせよ、言葉の提出は政治的な振る舞いだ) 「人が、自分で語ってみる」という作業については、法学・哲学・精神分析など、いろいろの文脈を参照して検討する必要を感じている。詳しくは今後の課題だとして、今はその発言ポジションを、大きく次の二つで考えている。 (1) 利害やトラブルの関係者 (2) 差別的に特権化された弱者 既

    「本人が、自分で語ってみる」 - Freezing Point
    Arisan
    Arisan 2007/07/01
    素晴らしい整理。