今起きた 今日は平日であり、私は新卒社会人であり、出勤日である スマホを見たら沢山着信が入ってた 折り返す勇気はない 上司は嫌な人だし 配属は営業だし 研修もなしにいきなり飛び込み営業やらされてるし このままフェードアウトして辞めてしまうのもいいかなと思ってる とりあえず仕事のことは忘れて秋葉のヨースターショップにでも行こう
![今起きた 今日は平日であり、私は新卒社会人であり、出勤日である スマホを..](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
先日ヴィーガンインド料理レストランに行きました。 私はヴィーガンではありませんが、Googleの口コミがえらく高かったので「どんなもんじゃい」という気持ちで入店しました。 前菜?のジャガイモのスープが豚骨スープかと思うくらい旨みが強くて、メインのカレーのプレートもとても美味しく、楽しい時間を過ごせました。 ヴィーガンインド料理はどういう考え方で構成してあるのでしょうか。 やはりトマトの旨味が土台となっているんでしょうか。 僕がインド料理から学んだものは「スパイスのチカラ」もさることながら、それ以上に、「野菜の旨さ」でした。 僕は日本人ですし、和食も一通り学んできましたから、おいしい料理にはダシが不可欠、という概念は人一倍強く、また明確だったと思います。この場合の「ダシ」は、当然、鰹ダシを中心とした動物性のダシということになります。昆布ダシってのもありますが、それはあくまで鰹などの動物性と組
掛算順序について学習指導要領解説を見て整理したらいろいろ反論あって、結局のところ問題が三層構造になっていることと、表現という層が認識されていないことで混乱があるように見える。 前回のブログに書いたように「被乗数と乗数の順序が,この場面の表現 において本質的な役割を果たしている」と学習指導要領解説で説明されていて、表現の問題であると整理されています。 掛算の順序と学習指導要領 - きしだのHatena というの書くと「解説だから・・」みたいな反応がつきますが、文部科学省の通知に「学習指導要領は大綱的な基準であることから,その記述の意味や解釈などの詳細については,文部科学省が作成・公表する学習指導要領解説において説明」とあるので、運用においては最重要な文書だと思います。 まあそれはそれとして、だいたい「交換則があるんだから」とか「ルールは固定されていない」とかが主な反論になっていて、交換則は計
酒井順子が(高校まで女子校で)「男は人間だとは思えないというところがある」と言ってて あーなんか分かるな、そういう女性いるなと思った ダメとか差別的だとかは全然思わなくて、 ずっと共学だった男である自分を省みても 女性を同じ生き物とは思えないとこあるよな、って。 でも、よく考えたら、俺は男に対してもそんなに「同じ生き物感」を感じていないというか、 男同士だから分かるよねみたいな前言語的了解事項って 少なくとも俺にはそんなにないというか、 そもそも別の人間って別の生物だよね、と思ってる気がする。 となると、不思議なのは酒井順子をはじめとする(特に女子校育ちの)女性が、 同じ女性を「理解可能な他者」として捉えていることのほうな気がし始めた。 連帯感、共感、生物学的な不都合の共有、なにが根幹かはわからないけれど、 女性って他者をそんなふうに捉えることができるのか。 だから、男同士の群れ=ホモソを
東京都知事選(6月20日告示、7月7日投開票)について、政治団体「NHKから国民を守る党」が11日、13人を公認候補として擁立すると発表した。最終的に計30人の擁立を目指すという。同団体は、前参院議員の立花孝志代表が設立した。立花氏は多数の擁立方針について「政治に関心を持ってもらうため」などと説明した。供託金は同団体が支払うという。 選挙ポスターについては1口1万円の寄付を募り、寄付者の政治的主張などを掲載するという。立花氏は「1万4千カ所あるので、全部やったら1億4千万円。選管などに聞いているが問題ないと考えている」と話した。(土舘聡一) ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/defaul
『花束みたいな恋をした』は、ファミレスの物語だ。坂元裕二が脚本を書き、2021年に公開された同作は、主人公2人の甘く、苦いラブストーリー。それは、ファミレスでの告白からはじまり、ファミレスでの別れ話で終わる。 ちなみに筆者はこうした「ファミレスでだらだらするシーン」が出てくる物語を「ファミレス文学」と呼んでいるが、本作は「ファミレス文学」の代表格といえるだろう。 学生が社会人になっていくときの心の動き、そしてある種の「子どもだった自分たちへのノスタルジー」を多分に含んだ本作は、深夜のファミレスで過ごした時間が、どこか夢のような、幻のような空間だったことも表している。ファミレスで、恋人とだらだら話した時間は、もう戻ってこない。本作を見終えたあとに感じるのは、そんな気分だ。 そして、現実に、そんな「だらだらできたファミレス」は過去のものになっているのかもしれない。 苦境に立たされるファミレス
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く