なぜ「お土産」論者は、キッシンジャーを誤解してしまうのか? ウクライナ情勢に即した形では、私の『フォーサイト』論考を読んでいただきたいわけだが、いずれにせよ日本の「お花畑」思考の限界が露呈していることは、言うまでもない。 「お花畑」思考者は、戦争の調停は、日本のような善良な第三者が誠意をもって紛争当事者に妥協を説得することによって達成される、などと思い込んでいるのである。 そのため「日本は善良な第三者として汗をかけ」、「ウクライナは妥協せよ」、「アメリカは世界支配を諦めろ」といった恐ろしく感情的な主張をしてしまう。開戦初期に見られた橋下徹氏のような「ウクライナは降伏せよ、降伏を要請しない者は全て『戦う一択』論者だ」といった乱雑な主張も出てくる。 しかし、戦争の開始がそうであるように、戦争の終結も、死活的な利益の計算によって初めて成り立つ。善良な第三者の口八丁手八丁の美辞麗句で、「ウクライナ