2014年9月20日のブックマーク (4件)

  • 【編集日誌】「気持ちいい」新聞はダメ? - MSN産経ニュース

    毎日新聞の与良正男専門編集委員が、ある社長さんが「(産経を読むと)気持ちがいいんだ」と語った、という逸話を紹介してくれています(17日付毎日夕刊)。結論として、与良氏は「『気持ちいい』は気味悪い」と新聞を読んで爽快感を得ることに嫌悪感を露(あら)わにしていますが、果たしてそうでしょうか。 新聞は、事実を正確に伝えるのがもちろん基ですが、各社がそれぞれの立場から論点を提示するのは、言論の自由がある日では、当たり前の話です。メディアが相互批判をするのも社会が健全な証拠です。 自分の考えに近い新聞を読んで、気持ちの良い一日のスタートを切る生活のどこが、気味悪いのでしょうか。 もちろん、国益を害したウソを32年間も放置するような新聞を毎日読んでいれば、「気持ちいい」朝は迎えられないでしょうが。(編集長 乾正人)

    【編集日誌】「気持ちいい」新聞はダメ? - MSN産経ニュース
    Barton
    Barton 2014/09/20
    なんという直撃wwwwwwwいいねえ、アサヒの次はマイニチがターゲットですかw
  • 先日、能楽堂で能をみてきた。

    結論からいうと、すげーよかったっす。 いままで30年くらい生きてきて、触れずに過ごしてきたことをちょろっと後悔した。 いや、後悔と言ってもぜんぜん遅くないというかむしろ早いほうだと思うんだけど。 なにしろ、客席の平均年齢が70歳くらい。(中には90歳くらいでは?という人も) 若い人は着物をお召しの人(習ってるっぽい)や外国人観光客が多かったね。 で、何がいいって、なんつーの。まず、フィジカル。 想像してた倍くらい動きがゆっくりで、想像してた倍くらい声がでかかった。 あれアスリートよ。オペラ歌手とかもすごいけど。また質が違う感じ。 あと鼓もすごい。音も信じられないくらい響くんだけど、すごいのが誰もタイミングを合わせようとしないの。 タイミングが合ってないのに誰もあわてない。 合ってないんだけど、合ってる。 何言ってるかわかんねーと思うけどそうとしかいいようがない。 ちょっと意味がわかんない。

    先日、能楽堂で能をみてきた。
    Barton
    Barton 2014/09/20
    そうは言うけど、見に行く「機会」がないからでない?地方とかでは公演どこでやっている、という現実にぶつかる。
  • 地下鉄民営化経費先送り 大阪市議会、補正予算減額で可決 - 日本経済新聞

    大阪市議会は19日、会議で補正予算案を一部減額修正して可決した。市立学校長の公募関連経費も盛り込まれた。一方、市営地下鉄民営化の準備会社設立経費4000万円の採決は、過半数を占める野党会派の反対で見送られた。市長と各会派市議が意見交換する「政策協議会」の設置条例案など、橋下徹市長が推進する条例案も野党の反対多数で否決された。補正予算案で公明、自民、民主系、共産の野党各会派は、家庭ごみ収集の民

    地下鉄民営化経費先送り 大阪市議会、補正予算減額で可決 - 日本経済新聞
    Barton
    Barton 2014/09/20
    >外国人観光客誘致策で、マンション空き部屋を宿泊施設として利用可能にする条例案も否決 これも否決されたのか。
  • 個人ユーザーの環境の便利さに企業ユーザーが追いつけない理由

    今、パーソナルコンピューターの世界で起こっているのは、コンシューマーライゼーションだ。つまり、コンシューマーの世界で使われているコンピューターの当たり前が、企業で使われるコンピューターでの当たり前になりつつある。 だが、そのさらにもとをたどると、今のコンシューマーが享受しているテクノロジーは、企業で使われているコンピューターでは当たり前のことだった。たとえば、どのパソコンを開いても同じメールを読み書きできたり、たとえ、そのコンピューターがネットワークから切り離されていても同一のファイルを読み書きできて、ネットワークに接続された時点で同期されるといった具合だ。ひとつのファイルを複数のユーザーが共同編集するといったこともそのひとつだ。 ずっと前からこれらの機能が当たり間の環境として利用できたのだから、企業のパソコン環境は、当なら、ひとりのユーザーが適材適所でさまざまなコンピューターを使い分け

    個人ユーザーの環境の便利さに企業ユーザーが追いつけない理由
    Barton
    Barton 2014/09/20
    情報リテラシーの問題もあるしね。個人差が激しすぎるし。普通に考えたらchromebookをメインに据えるのは怖いわ。回線繋がってなければ、殆ど意味をなさないもの。ネットワークに依存する、という怖さが見直されるべき