タグ

2011年10月17日のブックマーク (4件)

  • ローカル・ノレッジ/ナレッジ(地方固有の知, local knowledge)

    ローカルノレッジ(local knowledge)とは「ローカルな知を参照点として、その知的想像力を駆使する民族誌や法の理解(=抽象化され た知的システムや、一般化 と個別理解のせめぎ合いが見られる知的法廷における知の操作技法をめぐる議論)のあり方と、その知的源泉としての〈事実 知〉や〈具体知〉のダイナミズム」のことをさす。したがって、この用語は、局所的な知ないしは、文化相対主義的な意味での土着の知のことで はない。 クリフォード・ギアーツの論文「ローカル・ノ レッジ:比較論的視点からの事実と法」(1981年 のイエール大学ロースクールでの記念講義、のちに1983年に主タイトルと同じ書名に収載された論文として登場)で、一躍、知識人の間に膾炙した概念。ご く普通の名詞に、ごく普通の形容詞がついたはずの用語だが、ギアーツ(あるいはギアツ)の手に かかると注意してとりかからなければならない用語に

  • 社会学の権力性(藤垣裕子「ローカルナレッジと専門知」)(8): 分析哲学書評

    著者の用いる「ローカルナレッジ」の概念についても疑問がある。著者はローカルナレッジを、ギアツを引用した上で「現地で経験してきた実感と整合性を持って主張される現場の勘」(p. 101)と規定している。しかし、これはギアツのオリジナルをあまりに平俗化したものだと思わざるを得ない。ギアツの「ローカルナレッジ」は、異文化に属する人々が持つ、観察者には理解困難な信念で、それを理解することが文化人類学者の目標であるようなものを指し、またそれは勘ではなくしばしば体系だった思想である。(クリフォード・ギアーツ(梶原景昭他訳)『ローカル・ノレッジ―解釈人類学論集 (Selection21)』岩波書店(1991) 序文および第八章参照。)だから、単に専門家ではない一般人の素朴な常識や経験や直観と同一視すべきでないと私は考える。 それに加えて、著者のローカルナレッジについての議論には混乱があるように見える。著者

  • What is Local Knowledge?: SCIENCE

  • もうダマされないための「科学」講義の2章を読んで気になったこと - とラねこ日誌

    『もうダマされないための「科学」講義』の感想については引き続きこちらのシリーズ書いていきますが、それとは別に個人的に気になった部分を独立した記事としてアップいたします。 そんなのは貴方の杞憂に過ぎないとか重箱スミだみたいな批判も受けそうですが、気になったので放置しないで書く事にしました。それは伊勢田哲治氏によって書かれた2章の『科学の拡大と科学哲学の使い道』の事例の使われ方などについてです。を未読の方でも分かるような配慮はあまりしておりませんので、どうぞご了承下さい。あと、たぶん面白くないです。 ■生態系に価値はあるのか p75-76より リチャード・B・プリマックによる教科書が日語にも翻訳されていますが(『保全生物学のすすめ』文一総合出版)、その第一章を読むと「生態系には来的に価値があるのか」という問いが最初に掲げられています。生物学と銘打ったの最初の章に、生態系の価値をめぐる議

    もうダマされないための「科学」講義の2章を読んで気になったこと - とラねこ日誌
    Basilio_II
    Basilio_II 2011/10/17
    「ローカルな知」は今のところそうなる理由ははっきりわかっていないけれど、有効性が充分判明してるものだと思っている。その理由の追究は「科学」が続けていく必要があるだろう。