シリア料理、と言われてイメージはわきますか?中東でも名高いシリア料理には太陽の恵みたっぷりの野菜がふんだんに使われます。内戦で多くの人々が故郷を追われ周辺国や欧州に逃れた結果、難民たちがたどり着いた国々ではシリア料理店が急増しています。そして日本にも…。シリア人シェフのナーゼムさんが、知られざるシリア料理の魅力を伝えます。
まずは、本当にインド料理店が増えているのかを調べてみました。NTTタウンページ株式会社によりますと、「インド料理」の登録件数は10年前の2008年には569件でしたが、2017年には2162件と4倍近くに急増しています。 それだけインド人の料理人が増えているのか?インド大使館に聞いてみると、意外な答えが返ってきました。 「インド料理店といっても、インド人ではなくネパールの人がやっている店が多いように思います。海外の日本料理店も日本人がやっているとは限らないのと同じですね。インドとネパールは食文化も近いですし」 そこで今度は、日本に住んでいるネパール人について調べてみました。 在留外国人統計によると、日本に住む外国人はことし6月末時点で263万7251人。統計を取り始めた昭和34年以降で最も多くなり、総人口のおよそ2%と、日本に住んでいる人の50人に1人は外国人ということになります。 国籍・
子どもの頃、学校の給食で「ソフトめん」を食べたことがありますか?袋に入った白いうどんのようなスパゲッティのような、あの麺です。地域によっては知らないという人もいると思いますが、東日本を中心に給食用として広く提供されてきました。しかし、東京の学校などでは最近、給食に出る機会が減り、提供されなくなる地域も出てきているといいます。こうした中、この「ソフトめん」の給食のイメージを変えて、新たな需要を掘り起こそうという取り組みが始まっています。(大津放送局リポーター 三角朋子) 滋賀県彦根市にある中学校の給食の時間。一人前ずつ袋に入った「ソフトめん」が出されていました。子どもたちは袋をあけてソースをかけて食べます。この日は、人気のカレー味でした。 滋賀県の学校給食で出される「ソフトめん」は、パンに使う強力粉に、県産小麦20%を配合した指定の粉を使い、温かいまま届けるのがルールです。このため、生産は地
将棋界で60年以上、プロ棋士として活躍してきた史上最年長の加藤一二三九段が、20日の対局に敗れ、現役引退となりました。
24日、11月24日は「和食の日」です。江戸時代の料理本に記された当時のスイーツなどを家庭で再現できるレシピが、インターネット上で公開されました。 公開されたのは、今から230年ほど前、江戸時代の天明5年に刊行された「万宝料理秘密箱」という料理本に記されている卵料理5点です。くずし字で記された調理手順を現代の言葉に翻訳したうえで、調理方法や材料などは家庭でも再現できるように表現されています。 例えば、当時のスイーツ「冷卵羊羹(ひやしたまごようかん)」のレシピでは、材料にある「くず粉」を手に入りやすい「かたくり粉」に置き換え、「容器ごと水で冷やす」という手順は「冷蔵庫で2時間ほど冷やす」と表現しています。このほかにも、卵と鶏肉のすり身を蒸したオムレツのような料理や、卵を使ったかまぼこなどのレシピが公開されています。 国立情報学研究所の北本朝展准教授は「江戸の食習慣を想像しながら作ると、ふだん
江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜の弟、徳川昭武が明治時代に書き記したとされる直筆のアイスクリームのレシピをもとに、子どもたちが当時のアイスクリーム作りに挑戦する催しが、昭武が暮らしていた千葉県松戸市で開かれました。 25日は、市内の小中学生40人余りがこの資料をもとに当時のアイスクリーム作りに挑戦しました。子どもたちは、フランス料理店のシェフから説明を受けながら、レシピにそって、容器に牛乳と卵の黄身、それに砂糖とレモンを加えてかき混ぜ加熱していきました。このあと原料をアルミ缶に移し替え、氷と塩が入った鍋に入れて缶をまわしながら冷やして固めていき、およそ1時間ほどでアイスクリームが完成しました。 昭武が記したアイスクリームは、卵に対する牛乳の比率が一般的な作り方より3倍ほど多いのが特徴だということです。 アイスクリームを食べた子どもたちは「甘みとレモンの酸味が混じり合いとてもおいしいです」と話
自民党の野田聖子前総務会長は、8日告示される総裁選挙への立候補を断念する意向を複数の議員らに伝えたことが分かりました。これにより、総裁選挙は、安倍総理大臣が無投票で再選されることが確実となりました。
石破地方創生担当大臣は9日夜、記者団に対し、安倍総理大臣の後継を目指したいとして、みずからを領袖(りょうしゅう)とする派閥を新たに立ち上げる考えを明らかにしました。 そのうえで石破大臣は、記者団が「みずからが国政を担う準備なのか」と質問したのに対し、「そう受け取っていただいて結構だ。政権構想を練るのに時間と労力はいくらかけても足りない。何をやるのかをきちんと提示して、いつの日か審判を頂くために備えたい」と述べ、安倍総理大臣の後継を目指したいとして、みずからを領袖とする派閥を新たに立ち上げる考えを明らかにしました。 石破大臣は派閥には所属せず、みずからに近い無派閥の議員らで作る連絡会の顧問を務めてきましたが、連絡会を解散して「派閥」にすることで、党内基盤を固めるねらいがあるものとみられます。
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