この1ヶ月間、私は、インターネット上で収入を得られる仕組みをずっと考えていますが、既存のものではどこにも見当たりません。そして、ひとつの結論に達しました。ないのなら、自分で作っちゃえばいい♪私のように学歴やスキルがなくても、修行を積んでジャーナリストになれる仕組みを持った報道機関を作るんだ! http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_0581.html と、GripBlogの泉氏が唐突に宣言し、報道機関設立へ向けて突っ走り始めたのは昨年10月24日だった。 もっと昔の事だったような気がするけれど……。 彼女のビジネスモデルが完成を見ないうちに、いわゆる「ことのは問題」が発生、責任を問われて泉氏はGripBlogを放逐。現在に至っている。 今年8月28日 小学生から大学教授、フリーター、主婦から弁護士、医師などの専門家に至るまで、
朝から日差しがきついが、気がつけば今日は8月31日だ。夏休みも今日で終わり・・と、東京にいる僕などは連想するが、もともと北の地方ではとっくに学校は始まっているのではないかな。東京でも最近公立の小学校が早めに始まる地域もあり、夏休みの終わりというのが正確にいつを指すのかはわからない。でもまあ、旧例に従えば9月1日はもう夏ではないのだろうな。 というわけで、久しぶりに「ことのは」のことを書く。で、「夏の宿題」だけに縛られると話が端的になるので、ちょっとまだ書いていない最近の話あたりから書くことにする。 7月の終わりに、psycho78氏からメールをもらった。ちょうど、例の誕生日問題の後で、こっちも血が上っていたときでもあり、また届いたメールのトーンが、(漢字交じりとはいえ 笑)まさにさいこたんだったので、コノヤロと思い正直あまりとりあわなかった。ところが、はてなを巻き込んでばたばたしている間に
ケロヤンとその愉快なお仲間たちで思い出したが。 いわゆる松永さん問題だけど、私の立場は、基本的に、オウム残党の危険性をどうするか(どう社会が向き合うか)に尽きているので、市民派言論とかブログ・ジャーナリズム論にはそれほど関心はない(そこに介在してくるオウム的なものの危険性だけが問題)。もうちょっというと、ガ島さん批判とかオーマイニュース批判には関心はない。JANJANとかAMLとかを批判しても意味ないでしょ、勝手にやったら、くらい。ただ、オーマイニュースはネタの投下という点とその偉そうなわりに著作権はどうよのアウトローぶりが面白すぎ。さらにもうちょっというとジャーナリスト佐々木俊尚さんはオウム残党の危険性というリアルな問題をブログ・ジャーナリズム論みたいな問題に概念化(フラット化とか各種の装置)してしまうわけでそれは困ったことだと思う。繰り返すが、ジャーナリズムというのは、こうしたリアルな
というわけで、第三夜はいよいよ「Grip 報道メディア設立 企画書」における「ユーザーカルマ」がテーマです。いちいち「Grip 報道メディア」と書くのは長いので、単に「Grip」とします。おそらくこれが正式名称だったのだろうとも思われます。 では、果たして今夜こそはゴールにたどり着けるでしょうか。 この「Grip 報道メディア設立 企画書」は現在、以下の場所にある。 Grip Blog: 報道機関設立企画について PDFは全8ページであるが、上記によれば「umeさんの名前が入った1ページ(スケジュールと必要経費のページ)」は省かれているというから、オリジナルは全9ページあったのであろう。実名やスケジュールはともかく、必要経費部分が無いことは資料として痛いのだが、やむをえない。 以下、表紙を除く2ページ目から順をおって「ユーザーカルマ」について見ていこう。 2ページ 「概要」 まず、Grip
昨夜の「スラッシュドット篇」に続いて、今夜は「Digg/Pligg篇」である。え、「Grip 報道メディア篇」はどうしたかって?それは次回以降になります。自ら本質ではないと承知している件で、まさか3本も書くことになるとは思わなかったが、まあ夏の自由研究だということにする。 「Grip 報道メディア設立企画書」がコピーすることを最初の目標として掲げた「Digg」と、そのためのソフトである「Pligg」とは何だろうか? 「Digg」は技術系のニュースサイトとして2004年の11月にオープンした。それから2年足らずのうちに急成長し、今や老舗かつ王者の「Slashdot」に追いつこうという勢いである。(参考記事)おかげでSlashdotの創設者は「重要でない10人」に選ばれる羽目になったのだ。だが、私はこの件があるまでDiggを知らなかった。 Diggにおけるカルマの扱いを知るためにまずDiggの
ギャルサーなんて作家いたっけと、実は思わず調べていた私。 http://voice.fresheye.com/ais_eye/2006/06/post_2.html 今ちょうど、帰国問題と共産党についても書いているところなのに・・ 無論、共産党も市民権を得た政党なわけだし、評価すべき仕事もしているけれども、よりによってあそこに「お茶の間感覚」で行ってしまうかと。これはフレッシュアイの企画自体に疑問を感じる。取材先の人選に関しては、フレッシュアイと泉さんの相談の上で決めているだろうけれども、鈴木宗男、河村たかし、志井委員長ときては、政治の見識以前なのがあまりにもあからさま。スタッフも常識レベルの政治を知らない人間なのではないか。 本当に、私にはなぜ泉さんが政治取材をするか全く分からない。 フレッシュアイ側も、共産党というキーワードが出てくれば、それは荒れますよ。ネットの政治論議なんか、殆ど食
2006年06月14日01:35 カテゴリValue 2.0Psychoengineering Fatal Abstraction 私には、両者とも同じ罠にとらわれているように思える。 『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記 - ジャーナリストとは 2 オウム真理教と信者の責任を、ろくに検討せずに「日本国国民」と等閑視するというようなしょもない、果てしない相対主義からは、 さらに無責任社会が出て来てしまい、オウム真理教やファシズムについて、まともな対応ができないこととなるだろうから CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:滝本太郎先生へのご返事私が先のエントリーで書こうとしたのは、オウム真理教と日本人の類似性ではなく、「オウム真理教に被害を受けたと感じている日本人」と、「大日本帝国に被害を受けたと感じている中韓の国民」の類似性についてでした。 抽象化、という
少し書いておこう。誤解なさらないように。メモである。 松永さんには敬称を付ける。きっこにはつけない。特定の一人がいるとはとうてい思えないからだ。メインの女性ライターはいるのだろうとは思うが。きっこはきっこグループと考えているので「さん」とはしない。私の勝手な妄想かもしれないが。 松永英明さんときっこの関係についてだ。まず、ガチな部分は、両者にメールのやりとりがあったという松永さんの発言があるということ。たぶん、あったのだろう。また、それによれば、松永さんからきっこへのメールが端緒であった。メール内容は、きっこについてどこだったか(サイバッチだったか)で話題になっているのをきっこに知らせたということ。どのような話題でなぜ知らせたのかはわからない。気にはなる。 もうひとつガチと言っていいのは、松永さんがきっこに関心を持っていたということ。なぜ彼がきっこに関心を持っていたのかについて、ネットで十
■スタンス Q:このBlogのスタンスをはっきりさせといた方がいいですね。 M:ここのスタンスは、松永氏を排除しろと言っている訳ではない。ただ、彼の「謎めいた挙動」をクリアにしていくためのチェックというのは、きっちりとやるべきだと思う、1991を前提としてね。 Q:オウムとニューアカデミズム、アレフとネットジャーナリズム、ですか。 M:率直に言うと、こういう問題は受容と排除どっちが正しいか、そういう問題ではない。だいたい「制度の他者」である可能性がある存在に対して、「大社会解毒作用論」で受け入れるべきか、否かなんて「定式化」しえない問題でしょう?ひよこの判別じゃあるまいし。「制度の他者」というところに、「オウム」だけではなくて別の記号も入れてみればいいよ。 Q:では、どうするべきですか? M:楽をしようとせず、きちんと手順を踏んで、一つ一つきちんと事実を検証しろ、と言うこと以外にはないね。
現役ジャーナリストが、長年培ってきた取材経験などを通して、IT業界のビジネス動向から事件まで、その真相をえぐり出します。 いまIT業界に求められていること 震災後、被災者を支援するためのウェブサイトがものすごい勢いで立ち上がっています。これらの取り組みは、本当に素晴らしい。その立ち上がりのスピードといい、完成度といい、日本のウェブ業界の技量の高さに... 被災地で何が起きているのか、そしてNPOはそこでどんな活動をしているのか 本日、NPO日本ユニバーサルデザイン研究機構(日本ユニバ)の神田の事務所に出向き、代表の横尾良笑(よこお・よしえ)さんにインタビュー取材してきました。日本ユニバーサルデザイン研究機構http://www.npo-u... Donating Goods to the Disaster Victims: What You Should Know! On the 17th
これ⇒「フラット化」を自分に都合よく解釈する人々 佐々木俊尚さんの発言を引用して id:finalvent さんが意味不明と感想を述べた、という状況。 (中略) 佐々木さんや、あるいは(もう少し素朴な感覚として)花岡信昭さんが疑問を感じているのは、どんな言説も価値体系の外側から批判されてしまうような世界ではあっても、しばしば大勢がひとつの方向でワッと糾合する話題があるということを、どう考えたらいいのか、という問題だと思う。炎上の現場を見て私が感じる違和感は、参加者の大半が自分の正義を確信していること。たまたまその「場」において自分たちが多数派となったのではなくて、自分たちがその「場」で多数派となっているのは当然だ、と考えている様子なのです。 (中略) 世の中にどれほどたくさんの価値観があるにせよ、特定の問題について対処の選択肢は多くない。もっと書けば、価値観の多様性はパチワークのような仕組
佐々木氏の新エントリーが出たが、前エントリに送った筈のTBが反映されていなかった。いつもの事だが私は反映されたかどうか確認していなかったのである。今回再度試したが通らなかった。氏が削除、拒否という事はないだろうから、けろやん氏の言うとおり(参照)、 はてなtoはてなは、軽くて、 はてなtoその他は、結構重たく、 特に、独立系?ブログへは、届き難いです。 ということだろう。R30氏へのものも、なかなか通らなかった。 以前ereni名義(Ereniはサブアカ)で少しだけ日記をつけていたのだが、その時は予備ブログだったので、TBを飛ばすことがあまりなく、わからなかった。 佐々木氏の所はコメントを受け付けていないので、つながりをつけること自体が出来ない。さてどうするか。 もう一度チャレンジ。ここれで通らなきゃ、はてな以外でブログ立ち上げて、そこからやるまで。 「ジャーナリスト」達の無責任な「言論」
⇒CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:ネット世論の「拠って立つ場所」とは もちろん、ジャーナリストには責任がある――たしかにそうだ。自分自身もジャーナリストを名乗って20年近く活動してきた私も、そう思う。だったら、ジャーナリストを名乗らないブロガーには責任はないのだろうか? もし責任があるとすれば、その責任の度合いは、ジャーナリストと異なるのだろうか? あーあーマイク入ってる?あーあーそこが出発点です。この前文、すべて、いらね。「新明解国語辞典(三省堂)によれば」なんてレトリック使って笑いを取るサービス、不要。 フラットなネットの地平線の中において、ジャーナリストの言説とブロガーのエントリーは相対化されつつある。その相対化されつつある現状の中で、ジャーナリストとブロガーの責任の度合いは相対化される可能性はあるのだろうか? ブロガーはジャーナリズムのプロでは
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