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ブックマーク / kokokubeta.livedoor.biz (6)

  • 広告β:一方ロシアが鉛筆を使うには

    ちょっと好きなジョークがある。 アメリカNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、無重力状態ではボールペンが書けないことを発見した。 これではボールペンを持って行っても役に立たない。 NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。 その結果ついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、どんな状況下でもどんな表面にでも書けるボールペンを開発した!! 一方ロシアは鉛筆を使った。実話ではないらしいが、なにか、重要なことが含まれているような気がする。 トヨタだったか、彼らは「なぜ?」を5回繰り返すという。徹底的に考えて、カイゼンを進めていく。この徹底した態度は重要だ。しかしこれとはまた異なる、デザイナーの考え方が好きだ。彼らは、「なぜ?」から入っていって、最後は「もし〜だったら」で出てくる。

    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/10/04
    このコピペが好きじゃないのは、「一方ソ連は」じゃないところなんだよな。ネットユーザーには30代以上も多いと思うのに。
  • 広告β:一億総表現社会に期待する

    昔から、そして今も、コンテンツの収益化というのは難しい問題であるとおもう。ちょっと前まではCDとか、新聞紙とかいった物理的制限のあるモノを経由させることでお金をとる仕組みがあったけれど、データだけでやりとりするようになれば、コピーし放題、どうやってお金を取るのかも結構難しくなってきている。 そういったお金の取り方とは別に、コンテンツというものをどうやって評価すればいいのか、という問題もあったりする。コンテンツは消費してみないと評価し得ないうえに、ひとりひとりの時間は限られているので、そうかんたんに市場で評価すればいいというわけにもいかない。このまえ雑誌編集をやっている人と飲んだら、「煽った内容なんて当はやりたくないが、そうしないと全然売れなくなってしまう」と愚痴をこぼしていた。 テレビには視聴率という評価基準がある。どれだけ多くの人が見たかという数値ということになっている。テレビマン

    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/12/29
    自分が言いたいこといわれた。ただ、思うのは、1000万人が表現する世界というのは、残りの1億人の中に、今までよりも惨めな思いをする人を増やすことにもならないだろうか。
  • 広告β:不気味の谷のアバター

    不気味の谷という概念があるそうだ。 日のロボット工学者、森政弘が1970年に提唱した。森は、人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作においてより人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。このような、外見と動作が「人間にきわめて近い」ロボットと「人間と全く同じ」ロボットによって引き起こされると予想される嫌悪感の差を不気味の谷と呼ぶ。(不気味の谷現象-wikipedia) たしかにロボットなどでは、物のヒトに似ているものがあって、「なぜここまで似せなければいけないのか」という思いとともに、何となく不気味な印象をうけることがある。多くのロボットにおいては、機能を果たす上では、必ず

    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/09/12
    ハゲのおっさん問題のとき、「あれって肉体がもはやアバター化してるからだろ」って指摘したけど、感性阻害されまくりのファシストの妄言は誰もかまってくれなかったね。
  • 広告β:エコと広告

    ここしばらく忙しく、テレビをあまり見ていなかったので、久しぶりにまとまった時間をかけて見てみた。いろいろなところで聞いていたが、やはりパチンコの広告がものすごく増えている。それとともにびっくりしたのは、エコネタが段違いに増えていること。これは原油高が大きく影響しているのだと思われるが(パチンコ広告が増える遠因でもあるが)、番組、CM問わず何かと「エコ、エコ」という言葉が出てくるので、世の中変わったなあという気持ちになる。 広告屋的に気になったこととしては、「エコ買い」や「エコ替え」というメッセージングである。「エコ買い」のほうは、スーパーで賞味期限の古いものから買うような、無駄な廃棄を減らす買い方がエコというような意味を持つようだ。「エコ替え」のほうはトヨタのメッセージで、燃費の良いクルマに買い換えようというような意味合いを持つらしい。 もともとエコは広告メッセージとして消化しにくい。

  • 広告β:広告が環境に溶けていく日

    しばらく前から自分はゲームについてのを読みあさっている。それは私がゲーマーであるからではなく、何となくこれからの広告の道を示唆する何かがゲームというものに潜んでいると考えていたからだ。もちろんそれはテレビゲームの中に企業名を仕込むとか、そういうことではない(いわゆるゲーム内広告)。もっと大きなところで、広告のメッセージ構造の転換があると考えている。 とても示唆的な言葉が斉藤由多加氏の著書「ハンバーガーを待つ3分間の値段」に書かれていたので、長いけれども抜粋する。 ゲームの企画者の意志やメッセージはどこに表現されているのでしょうか。それは、実は、「枠組み」そのものに込められているのです。(中略)『シムシティー』というゲームはシミュレーションのお手というべき名作です。(中略)悪化した住環境を改善するには・・・?その答えは「公園を作ってやる」ことです。(中略)このゲームのプレイヤー達はや

  • 広告β:批評に足る広告はなくなったか

    雑誌「広告批評」が来年休刊するようで、いろいろな広告系ブログで言及がある。自分はあまり熱心な読者でもなかったが、ちょっと気になった。思うに、広告の批評は広告プラン(ニング)に対してなされてきた。そして、広告プランニングが疎外されていくという状況の中で、対となる批評行為も成り立たなくなっていくかもしれない、という話だと思う。ここでいうプランニングとは、メディアプランニングだけでなくて、マーケティングやクリエイティブ開発全体を含んでいる。そして、これは業界全体に発生している構造問題だ。 プランニングというのはプランナーの労働に紐付いているので、マス向けだろうが、ネット向けだろうが一定の金額がかかる。で、もともとテレビ中心のマス広告の時代では、メディアの絶対金額が大きい=コミッションが大きいのでプランニングはタダ同然で提供しても十分に仕事が回った。いや、おつりが来た。悪意のある言い方をすると、

    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/04/21
    アニメも企画料だけで500万、と言って成立しうるアニメだけが生き残るようになるのかも、ということを想像した。おそらくその方が総体として幸せ量が増えるのではないか。
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