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ブックマーク / kokokubeta.livedoor.biz (9)

  • 広告β:ブランドを作るために割り切るということ

    アメリカの電話会社Sprint/Nextelは、お客様相談窓口に頻繁に電話してくる顧客1200人のサービスを打ち切ると発表した。ハイ・メンテナンスな顧客を抱えていることは、商売としてペイしないと判断したのだ。(B3 Annex) これは純粋に投下コストに見合わないからという判断のようで、何ともアメリカン。 来、なのかわからないけれど、商売というのは、それが簡略化されていようと 一種の契約行為になるわけで、その時点で店側が断ることも選択肢の中にはある。 消費者主導、お客様は神様というのとは別の切り口で、こちらからお断りというのも もちろんあっていいのではないかとは思う。 機会費用の観点から言っても、その望まざるお客に対して割くリソースを 他のところに向ければ、来望んでいたお客との取引も円滑になりうる。 顧客を尊重するというのは結構難しい判断で、お客を歓待するだけでなくて、

  • 広告β:ネットワークと格差社会

    格差社会の話はよく目にするのだが、なにがそれを生んでいるのか、 そこでどう生きるべきなのか、どうもハッキリしない気がする。 個々の議論はわかっても、全体として話が一につながらない印象がある。 こういう話は専門外なのだけれど、個人として他人事ではないので、 自分なりに考えてみてまとめた。ただし、長文。 1.社会がネットワーク化すると乗数的に上昇と下降が起きる 街のレストランを考えるときに、毎日同じ人が来るだけならば 非ネットワーク的であるだろう。単に近いからという理由でお客が来る。 これが、評判というネットワークが広がると、おいしいと思っただれかが 別の人を連れてきて、その人が別の人を・・・と乗数的に人が増える。 グラフにすると直線でなく、ぐぐぐ・・・ぐわっと増える例の曲線だ。 料理が逆にまずかったりすると、ぐわっと下がる羽目になる。 評判というネットワークがさらに

  • 広告β:トヨタがCMをやめない理由とか雑考

    ある女の子が、意中の男の子に告白するときに、 みんなの前でするべきか、体育館の裏で一対一でするべきか。 状況によってとるべき戦略は異なるような気がする。 両思いだったらどっちでもいいような気がするけれど、 相手の男の子が恥ずかしがり屋だったら体育館の裏だろうか。 逆に、牽制したいライバルがいるなら、あえてみんなの前でして 既成事実を作ってしまったほうがいいのかも。 男の子が優柔不断だった場合、周りの男の子(女の子)の力を 借りたいから、みんなの前で告白して追い詰めてく感じでもよいか。 その男の子が、強い意志を持っていて、プライドが高かったら、 周りの影響を嫌がるから、直接一対一のほうがいいだろう。 なんてなんて。中高生でもないのにそんな議論をしてもしょうがない。 トヨタがなぜ今でもTVCMの絨毯爆撃をしているのか考えてたのだが、 そこにはやはりある程度の合理性があ

    Bubbly
    Bubbly 2007/06/21
    CMの効果まとめ
  • 広告β:語り部と胴元―物語ルールのクリエイティビティ対決

    RPGというゲームは、何らかのメッセージを伝えているだろうか。 個人的な経験から言うと、そうであるともいえるし、そうでないとも思う。 勇者がモンスターを倒し、お姫様を救うという物語があるとすれば、 これは勧善懲悪的なメッセージにつながるのかもしれない。 その一方で、弱いところから出発して、戦闘を重ねて強くなり、パーティを組む ルールがゲームにあるならば、そこから成長や協力を読み取ることもできる。 RPGにおいてメッセージ性を持たせる要素は、上述したような 物語要素とルール要素の絡み合いがもたらしていると考えられる。 私の属するようなオールド系広告会社というのは、仕事の半分以上を 「どういうメッセージを伝えるか」「メッセージを効果的にどう伝えるか」に割いている。 いわば、企業なり商品なりのよさを伝える、語り部としての機能である。 うまく物語をつむぐことによって、特定のメ

  • 広告β:口コミの原則

    テレビCMにはフリクエンシーの理論というものがある。 難しいことはない、ターゲットに3回はあてろということだ。 理論はよくわからないが、3回あたらないと、あまり意味がないらしい。 2回ではだめだ。3回がいい。4回でもいいが、無駄になる。 この場合は、「3回が閾値」ということができる。 何事にも閾値はある。そこに至らなければ、意味がないという数字だ。 「頭のいい人が成功しない理由」というに、閾値の話があった。 だれもが中途半端にやめてしまう。それでは足りない。閾値を越えない。 閾値を越えない限り、やっても意味はないのだと。 閾値というのは重要な概念だ。執念深さが成功に結びつきやすいのは、 普通レベルのしつこさでは閾値を越えられないからかもしれない。 広告の話に戻る。 人がある商品を買う際には、買う決断が必要だ。 そのためには、決断の閾値を越えなければいけない。

  • 広告β:いま再びファジィに注目してみる

    まだ若者にカテゴリされる年齢であるにもかかわらず、最近ものを忘れがちになってきた。 完全に忘れてはいないのだが、正確な名称などをを思い出せなかったりする。 歳を重ねるにしたがって、一般的には記憶力が衰えるとされるようだ。 そして、その事はあまり喜ばしいこととはされず、朝、ご飯をべたことを 忘れてしまうような「痴呆症」と連結されて、負のイメージが付きまとう。 (ちょっと前に、「老人力」と名が付いて少し名誉回復したかな) どこかで読んだか聞いたかしたのだが、正確に記憶する力自体は、 生物的に下等とされる存在でも持っているらしい。 自然淘汰的な考え方にのっとるならば、人間はもっと記憶力がよくなっても いいのではないかと思う。 (いまとなっては、言語やらなんやらという道具があるわけだけど。) あと、頭の悪い人はよく「物覚えが悪い」というふうに形容されることがあるが、 「物

  • 広告β:法人向けはオヤジから

    Microsoft Officeは高い。あまりの高さに、暴動を起こしたくなるくらい高い。 仕事の関係上、自宅のパソコンにもOfficeを入れてあるのだけれど、 その暴力的な高さにうんざりする。自腹なのに。 どうやらこれらのOffice製品は、販売額の半分以上が利益になっているようで、 こりゃあうらやましいというのが正直なところ。それに比べればTVCMなんぞ よくても媒体費の15%くらいまでしかいかず、かわいく見えてしまう。 で、世の中にはフリー系のOffice製品がいくつかあって、今ではMS Officeとも 互換性が高いはずなのに、なぜに普及しないのかということを考えるに、やはり BtoB独特の慣習とフリーソフトの特性がうまくかみあっていないのだろうなと思う。 Officeのような、互換性がモノをいう商品においては、主要な大企業で 採用されるかどうかが命運を決めるとい

  • 広告β:Googleは電通を踏み潰すか

    ブログIsologueなどでは以前に指摘されていたが 日経BPで、Googleが広告業界とどのような関連を持つかについて いくつかの示唆を伴う指摘をしていたので、尻馬に乗る。 …グーグルが提供する検索連動型広告「AdWords」やコンテンツ連動型広告「AdSense」などの広告サービスは、特定のキーワードに関連するページに広告を表示する。そこへの訪問者を呼び込むため、「そのキーワードに関心がある人」を誘導できる可能性が高い。グーグルは、従来の意味での広告業というよりは、いわばネット上の「集客」「セールス」の代行サービスを行っていると見ることもできる。 ここ、注目。 確かに、Googleにおける「広告」の役割は、従来の一般的な広告とは役割が一部異なり、 ブランド/商品イメージを向上させたり、話題にさせたりする機能はない。 その代わり、精度の高いマッチング機能があるし、トラッキン

  • 広告β:ブックマークの次はどうだろう

    ソーシャル・ブックマーク(SBM)。 海外ではDiggが、日でははてなブックマークが優勢で久しいけれど、 思ったよりもこの業界(?)に変化が少ないように感じる。 業界の順位変化というわけではなくて、質的な変化についてだ。 確かに、みんなのブックマークを共有する・ページ単位でブックマークというのは、 ブログの隆盛とあいまって、それだけで十分に興味深いものだった。 コメント・タグも、単に備忘録としてだけではない使い方をされている。 いまやコメントやタグも含めて、ひとつのブログスフィアといってもいい。 しかし個人的には、まだまだ面白くなりうるものではないかと思っている。 確実に変化を生む土壌はそろってきている。 それは単に、みんなのブックマークがたまってきたということだ。 第一に、非常によく言われていることだと思うのだが、 だいぶブックマークのたまった人は、整理に苦労し

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