ぷらっと沿線紀行(30) 「山また山という言葉は、この国において初めてふさわしい」宮本武蔵のプレートが浮かび上がる無人駅から、普通列車が走り出した=岡山県美作市で冬空の下、一瞬の日差しの中を駆け抜ける「スーパーはくと」=鳥取県智頭町でHOT7000系開発の基礎になったキハ281系気動車(JR北海道提供) 1935(昭和10)年から4年間にわたって朝日新聞紙上に連載した小説「宮本武蔵」で、作家の吉川英治(1892〜1962)は、武蔵の生地とされる作州宮本村をそう表現した。 古絵図や地誌によって作中の宮本村を作り上げた吉川は37年、この地を訪れた。「そこへの旅行を宿題にしつゞけてゐた胸中故郷の土地」(「随筆宮本武蔵」)への旅だった。 11月上旬、いまは岡山県美作市になった宮本を訪ねた。 「何(い)つ方(かた)を向いても山で、平面の耕地は甚(はなは)だ少い。然(しか)し山は嶮峻(け
「懐かしの夜行列車に乗ろう」と、30日夜網走駅発、1日午後函館駅着のダイヤで、JR北海道の夜行急行「大雪」が15年ぶりに運行された。 B寝台車、座席車各2両の客車4両を寝台特急「北斗星」や「カシオペア」用のDD51型ディーゼル機関車で牽引(けんいん)。旭川、札幌を通り、普段は特急や急行が走らなくなった函館線小樽経由のルートで、16時間50分かけてのんびりと走った。 車内では「北海道の夜行列車の代表」と言われた現役時代を懐かしむお年寄りや、珍しい夜汽車の雰囲気を楽しむ家族連れ計100人が、この日のために用意された駅弁などを楽しんだ。 沿線では1日、鉄道ファンがあちこちでカメラを構え、久しぶりの雄姿を撮影していた。 2日は同じ列車が昼間、「JR20周年記念号」として、太平洋側の室蘭線経由で網走まで戻る。 夜行急行「大雪」は昭和26年、青函連絡船に接続し、函館−旭川−網走間に誕生。途中、特急列車
戦前にタイムスリップ−。昭和14年に8カ月間だけ使用され、「幻のホーム」と呼ばれる東京メトロ銀座線新橋駅の旧ホームが1日公開された。 地下鉄開通80周年の記念イベントで、応募約3000通の中から当選した150人が3組に分かれて見学した。 白、黒、青のタイルで壁面に「橋新」と右から書かれた駅標や、今の半分ほどの長さしかない短いホームをじっくりと観察。停車中の日本初の地下鉄車両1000形を再現したラッピング車両に乗り、車内に掲示した地下鉄開業当時の写真の入ったポスターなどに見入った。 銀座線は当時、新橋を境に東京地下鉄道と東京高速鉄道の私鉄2社が浅草間と渋谷間をそれぞれ営業し、直通運転が始まるまで壁を隔てて別々にホームを設置していた。 現在、幻のホームは夜間の留置線となり、「第三軌条」と呼ばれる線路沿いに敷設した鋼体には、今も600ボルトの高圧電気が流れている。ラッピング車両を停車させたのは、
「幻の新橋駅ホーム」で見た謎の15センチ 2007年12月01日 東京メトロ銀座線の「幻の新橋駅ホーム」が1日、一般に公開された。アサヒ・コム記者は現地におもむき、多くの謎を発見した。関係者に疑問をぶつけてみたが――。(アサヒ・コム編集部) 〈写真特集〉はこちら 幻の新橋駅の壁にある駅名標 タイル作りだ ホームと電車の床に間にある「謎」の段差。これを補うために、電車の床にはスロープの板が置かれている。 車内から見た段差。スロープの高さは15センチはある 丸いアーチ型の柱が残る。〈写真特集〉はこちら 現在の新橋駅の改札口を出て、8番出口へ向かう通路の途中。「関係者以外立入禁止」と書かれた銀色の金属製扉の向こうに、幻のホームは静かに眠っていた。 2本の線路の両脇にホームがある「対向式」。だが、ホームとして残っている部分はごくわずかで、会議室、駅員の休憩スペース、トイレなどが、ホームの上に「建て
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