JR西日本とJR東海は一日、東海道・山陽新幹線の総合指令所(東京)が地震などの被害を受けた場合に備え、新大阪駅近くの「第二総合指令所」で新幹線の制御訓練をした。 第二指令所は一九九九年、阪神・淡路大震災を教訓に建設された。普段は社員の訓練施設として利用し、常駐の指令員はいないが年一回、訓練を兼ねて実際の列車制御を行う。 この日は、両社の指令員延べ約百四十人が参加。東京から大阪に制御システムを切り替え、新幹線の走行地点や電力の供給状態などをモニターで確認しながら、新神戸駅での停止などに即座に対応した。担当者は「万一のときでも新幹線を滞りなく運行させるためには、指令員の即断力と現場との密接な連携が必要です」と話していた。 (12/2 09:02)
浅草−上野間2・2キロで始まった東京メトロは現在、8路線183・2キロに拡大した。来年には池袋、新宿、渋谷をつなぐ副都心線が開通し東京圏ネットワークが完成、同社は軸足を「新路線建設」から「自立経営」に移していく。 民営化後の平成17年、商業施設「エチカ」が表参道駅に誕生、20年度までに池袋駅にも計画中。ほかにもコンコース内に酸素カプセルや玩具の自販機「ガチャガチャ」を置くなど限られたスペースでの収益確保に知恵を絞っている。 建設中の副都心線では快適性やバリアフリーを意識。初めて吹き抜け構造を取り入れて圧迫感のある地下鉄のイメージを一新し、8駅にエスカレーター140基、エレベーター30基を設置する。 来年3月から全席指定の特急列車、小田急ロマンスカーの千代田線乗り入れも始まる。平日はゆったりとした通勤電車に、週末には千葉方面から箱根直通の行楽列車となる。 「変わるという意識付けを持つことが、
写真集「三木鉄道」が一日、出版された。三木市宿原の三木高校教諭、稲継泰朗さん(31)が、ここ七年で撮った約八十点を収め、車両や駅員、沿線の四季、住民との触れ合いを伝えている。来春の廃止を前に「愛着ある鉄道が、多くの人の心に生き続けますように」との願いを込めた。(佐伯竜一) 稲継さんは幼いころ、明石に遊びに行くときなどに三木鉄道を使った。長いホームや切符売り場、車両の部品などに心を奪われ、鉄道ファンに。高校のころから全国の鉄道を撮り始めた。 しかし、三木鉄道の写真はほとんど撮ったことがなかった。就職で県内に戻ったころから週末に通い、これまでにフィルム約二百本分を撮影。作品を見た人に勧められ、今秋から写真集の準備を進め、自費出版にこぎ着けた。 沿線で咲き誇るシダレザクラやレンゲ、のどかにトラクターが行く水耕、車両の到着を待つ子ども、年間を通じて安全運行に努める駅員…。カラー写真の一枚一枚が、愛
新型E233系、ローレル賞 2007年12月02日 JR中央線と青梅・五日市線を走る新型通勤電車「E233系」が、全国の鉄道愛好家でつくる「鉄道友の会」が選ぶローレル賞を受賞した。 ローレル賞を受賞し、式典に合わせて出発するE233系車両=東京・JR立川駅で 同賞は、性能やデザイン、製造企画、運用などの面から卓越した車両を選ぶもの。E233系は昨年12月にデビュー。機器の二重化による故障に強い車両、座席や内装の改善、空気清浄機の装備による快適性の向上などが評価された。
新幹線、財源捻出できる 与党プロジェクトチームの長勢氏 2007年12月02日 10:40 政府と与党による整備新幹線の建設計画見直しに向けた協議が、十二月半ばに始まる。見直しの与党案を検討してきたプロジェクトチーム(PT)メンバーで、自民党整備新幹線等鉄道調査会長代理を務める長勢甚遠前法相が、政府との折衝で中心的な役割を担うことになる。財源問題をめぐり、政府と与党の考え方には開きがあるが、長勢氏は「与党としてまず(見直しを)やる、と決めた。将来像を早く決めなければならない」と強調する。 PTは二十八日の会合で、北陸新幹線金沢−敦賀間など未着工区間三ルートの新規着工、整備費の地方負担の軽減、並行在来線支援を盛り込んだ見直しの与党案をまとめた。会合後、座長の津島雄二元厚相、井上義久公明党副代表(富山市出身)とともに記者会見した長勢氏は「本年度末までに結論を出す」との与党の目標を踏まえ
戦後日本を代表する前衛芸術家、岡本太郎さん(1911〜96年)が制作した巨大壁画「明日の神話」の誘致表明書を吹田市がまとめ、壁画を所有する「岡本太郎記念現代芸術振興財団」(東京都・与謝野馨理事長)に提出した。当初は「太陽の塔」が建つ万博記念公園に誘致する計画だったが、日本万国博覧会記念機構の協力を得られず、開発の進む旧国鉄吹田操車場跡を最有力地として誘致する計画となった。これで名乗りを上げた広島市、東京都渋谷区との三つどもえの争いとなる。(山澤義徳) 「明日の神話」は縦5・5メートル、横30メートルの巨大壁画で、原爆の炸裂する瞬間を表現している。1968年のメキシコ五輪に向けて建設中だったメキシコシティ内のホテルのロビーに飾られる予定だったが、建設が中止。平成15年9月、現地の資材置き場で見つかるまで、長い間行方不明となっていた。 財団側は、壁画を提供する条件として「公共の場所で、展示の意
File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(本社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(本社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(本社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから
悪条件のトンネル内を走るため、地下鉄の新型車両には常に最先端の技術が導入されてきた。 80年前に初めて登場した1000形は木製全盛の時代にあって骨組みから外板まで全鋼体製。間接照明や木目調の豪華な内装に驚いた客が、草履を脱いで乗車したという逸話も残っている。 昭和29年に丸ノ内線でデビューした300形は東京芸大が手掛けた斬新な外装が話題に。真っ赤な車体に幅40センチほどの白線が入り、さらに細いステンレスが波形の幾何学模様を描いている。63年から外観を一新した02系に置き換えられるが、「『なくさないで』の声が強く、02系の屋根に丸みを持たせて少しでも似せた」(東京メトロ車両部)ほどの人気だった。 千代田線を走る6000系は左右非対称のユニークな前面もさることながら、回生式チョッパ制御装置を世界で初めて取り入れた画期的車両。最新型10000系は来年6月開業予定の副都心線に備える。車両をつなぐ扉
さようならトロッコ列車 島鉄、最後の運行 2007年12月01日 島原鉄道(長崎県島原市)の観光トロッコ列車が30日、最後の定期運行を終え、島原駅でさよならセレモニーがあった。運行開始から10年間で31万693人の乗客を運んだ名物列車だが、来年4月の島鉄南線廃止に伴い姿を消す。 平成新山を望みながら安新大橋を渡る最後のトロッコ列車=30日午後1時40分、長崎県南島原市深江町で 97年4月、雲仙・普賢岳の噴火災害で落ち込んだ観光客を呼び戻そうとスタート。毎年3月末から11月まで、平成新山と火砕流・土石流の跡などを望む島原―深江間の約9キロを往復1時間かけて走った。 車内で噴火災害の語り部を務めた島原市の大川三郎さん(76)は「リピーターが多く、東京の人に名前を覚えてもらったのが最大の思い出」と名残惜しげだった。 島鉄は9日にトロッコ列車の特別運行を計画しているが、予約でいっぱいだという。
鉄道文化館、四国にオープン 2007年12月01日 愛媛県西条市大町のJR伊予西条駅東側に、「四国鉄道文化館」と、西条市長を務めた後に国鉄総裁として新幹線の生みの親となった十河信二氏を顕彰する「十河信二記念館」、西条市の産業と観光を紹介する「市観光交流センター」がオープンした。十河氏の遺族を含む約100人が出席して開館を祝った。 四国鉄道文化館に展示された0系新幹線車両とDF50型ディーゼル機関車=愛媛県西条市大町で 文化館には、新幹線開業時に走った0系車両、四国各地を走ったDF50型ディーゼル機関車をはじめ、サボと呼ばれる金属製の客車行先標、厚紙でできた硬券切符なども展示。十河信二記念館は、十河氏の書や手紙、受章した勲章などで、十河氏の人となりと功績をたどれる。市観光交流センターには、西条祭りのだんじりを中心に、ちょうちんや写真などを展示。自噴水、うちぬきコーナーや西日本最高峰、石鎚山を
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