私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 食べたいと思ったら食べたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつが食べたいと思えば、あんみつは今すぐ作って食べなくてはいけないものになる。食いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…
そんな奴ばかりでうんざりする。 まともな思考が出来るやつ、まともな対話が出来る奴はいないのか? いっそもう極端に、人間なんてクズだと人間全体に絶望してしまいたいが、 まともな人間もごくごく僅かに存在する事実を知っているため、そんな短絡的な事も出来ない。 絶望はいっそ楽だ。しかし絶望する事で自己を誤魔化してると知ってしまっていては既に絶望は無理だ。 そもそも、人間に対し「これはひどい」と感じ、うんざりするというのは、僕がそもそも、彼らにまだ、基本的に期待しているということなのだろうか、基本的に「彼らはいい人である」と信じているから、うんざりするのか。 そうかもしれない、僕はおそらく幼少期それなりに幸せな家庭で育った、それこそ「よつばと」のような世界観で。 だから人間は基本的に皆いい人だし、誰かを理不尽に詰ったり、差別をしたりする人なんていうのは基本的に存在しなくて、高校生以上にもなれば、皆品
http://d.hatena.ne.jp/hisamura75/20070918/p1 少なくとも、Claudiaさんに日記で“御大”って書かれたのは自分だけでしたので、念のため申しておきますが、不快感とか気にしている、ということはまったくありません。それは、私が、あだ名とかニックネームで呼ばれるということ自体に不快感を覚えないということがまず理由の一つ。 そして、おそらくこちらがもっと大事なこと。その呼び方には、プラスの意味がある一方で、ある種の揶揄的な意味合いもあるような気はします。しかしその呼び名は、私と、それを付けた人、それで呼ぶ人との間で、一定のコミュニケーションを取り合った後に、ある一定の理解、了解があって付けられたものです。だからその呼び名を受け入れることが出来ますし、関係をより発展させるための潤滑油にもなり得る。それに違和感を感じるようになったら、それを変えることもできる
「3人の良さ」という文章 (id:kany1120:20070829)を書いたところ、「なんで恋愛は3人じゃできないんだろう?」というコメントをいただきました。 ところで、外山滋比古先生の「思考の整理学」を読んでいたところ、こんな文章に行き当たりました。 アメリカの女流作家、ウィラ・キャザーが、 「ひとりでは多すぎる。ひとりでは、すべてを奪ってしまう」 ということを書いている。ここの「ひとり」とは恋人のこと。相手がひとりしかいないと、ほかが見えなくなって、すべての秩序を崩してしまう、というのである。 着想、思想についても、ほぼ、同じことが言える。「ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう。 この本はタイトルの通り、思考=知的活動を整理するためのTipsを取り扱っているので、この後、論文を書いたり学問をする際には、テーマを1つに絞らないほうが良い・・・と、話が続きます。 ひ
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