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2012年11月3日のブックマーク (3件)

  • 『週刊少年ジャンプ』に漫画を持ち込んだら編集者に「キツイですね」と言われた / その漫画をすべて公開中

    『週刊少年ジャンプ』に漫画を持ち込んだら編集者に「キツイですね」と言われた / その漫画をすべて公開中 2012年10月29日 幼い頃から一流の漫画家になりたいと思っていた私(佐藤)は、思い切ってジャンプに持ちこみをしてみた。集英社の「週刊少年ジャンプ」である。持ちこみのための手続きは簡単だ。電話をして、訪問希望日を伝えるだけ。 電話で「○月○日○時ごろにお伺いしたいのですが」と言うと、「では○○(担当者名)宛てでお越しください」と言われた。人生ではじめてマンガを描き、原稿を持って集英社に行ってみた。 受付には訪問者用の用紙が備えられており、そこに用件と担当者の名前を記入する。それを受付の女性に手渡してしばらく待っていると呼び出され、接客用のスペースへと案内された。 当初の予定時刻が13時であった。しかし5分経っても担当者があらわれない。10分経ってもあらわれない。まあ、昼時ということもあ

    『週刊少年ジャンプ』に漫画を持ち込んだら編集者に「キツイですね」と言われた / その漫画をすべて公開中
    Cru
    Cru 2012/11/03
    確かにこんな話でも彼が演出したりしたらすごい魅せてくれるんだろうなという期待が細田守にはある。――って話では全くないな。スイマセン。
  • そして、彼らのクリエイティビティは「承認」によって逆算される|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    どこか懐かしささえ感じる話題だけれど、これから思い至る人もいるんだろう。 ・ “消費の時代”から“生産の時代”へ 米を作る。米をべる。生産と消費。ひと昔前までは単純な話だったように思う。それがいつのまにか、いわば「」付きの「生産」になり始めた。大雑把には「モノ」の生産が飽和することで「価値」の創出が重視されるようになった。有形無形の「価値」を生み出すこと。それも「生産」の意味になった。ターニングポイントはそれこそ大量消費も極まったバブル期あたりだろうと思う。さんざんいい古されたことだけれど、当時の「イケてる」人々が身にまとっていたのは服や時計やバッグといったモノそれ自体ではない。それらのモノに対してあの時代が担保していた「価値」である。だから、消費者にとってもそれは単純な消費行動ではなかった。 こうして消費者の「選択」が重視されるようになると、「選択」自体が表現行為と見做され始める。もち

    Cru
    Cru 2012/11/03
    ”どのクラスタにも属さず理解もされない個性に価値はない”--言い切ったねぇ。ステキ。いや全くそのとおり、社会的にも経済的にも。多くの視点で。流通する価値ってのは社会的経済的なもんだし。
  • 暴力の予兆表現とおおかみこどもの雨と雪 - 指輪世界の第五日記

    「おおかみこどもはさ、雪斜面の疾駆のような躍動的なシーンが素晴らしかったのもあるし、あと、暴力の予兆表現が当に、実に素晴らしかった」 「ふうん?」 「以前、伊藤計劃さんが、スピルバーグの宇宙戦争のキャッチボールシーンはすごい、って書いていたけれど、http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050701」 「なにこれ読めばいいの」 「読んだほうがいい」 「伊藤計劃さんは苦手なんだよなー 話したでしょ? 神林長平先生が取り上げてたから虐殺器官とハーモニーを読んだんだけど、環境に対する主人公の主体性が、まさに…」 「読んだ」 「暴力行為そのものというよりも、それへの徴候、予兆をはらんだ状況を描くことが大事だと僕は思う。たとえばサウダーヂはそこがよかった。主人公の土方労働シーンでの肉体や重機の物理的な力の描写が強力で、そのへんからくる映画全体に常に伏流した暴力の予感

    暴力の予兆表現とおおかみこどもの雨と雪 - 指輪世界の第五日記
    Cru
    Cru 2012/11/03
    なるほど。アニメーション表現(とそれを裏付ける技術)は頭ひとつ飛び抜けてるよなぁ、あれ。