個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日本人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口
ニ期倶楽部というところがやっている「山のシューレ」という催しに呼ばれて、那須高原で二日過ごした。 能楽師ワキ方の安田登さんが対談の相方にお呼び下さったのである。 お題は「能の身体性、能の霊性」。 これまで安田さんとは能楽について何度か対談している。そのつど、だんだん話が深くなる。 先方は玄人、こちらは馬齢は重ねても所詮素人であるから、専門的なことはよくわからない。 けれども、二人とも興味があることが近い。 それは「存在しないもの」とのコミュニケーションである。 「存在しないもの」、端的には「死者」のことあるが、より広く「絶対的他者(Autrui)」と呼ぶこともできる。 神も悪魔も、すべての神霊的なもの、天神地祇、妖精も鬼も河童も山姥も含めて、「存在しないもの」と呼ぶことができる。 「存在しないもの」は「存在するとは別の仕方で」(autrement qu'être) 私たちに「触れてくる」。
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Twitterに「愚痴」、ブログに「演説」というふうに任務分担して、書き分けることにしたら、ブログへの投稿が激減してしまった。 たしかにTwitterは身辺雑記(とくに身体的不調の泣訴や、パーソナルな伝言のやりとり)にはまことに便利なツールであるけれど、ある程度まとまりのある「オピニオン」を書くには字数が足りない。 わずかな字数でツイストの効いたコメントをするというのも、物書きに必要な技術のひとつではあろうが、「それだけ」が選択的に得手になるのは、あまりよいことではない。 というのは、「寸鉄人を刺す」という俚諺から知られるように、「寸鉄」的コメントは破壊においてその威力を発するからである(「寸鉄人をして手の舞い足の踏むところをしらざらしめる」というような言葉は存在しない)。 何より、一刀両断的コメントは、書いている人間を現物よりも150%ほど賢そうに見せる効能がある。 一刀両断的コメントの
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