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ラッセルに関するDOISHIGERUのブックマーク (10)

  • ラッセルの哲学[1903-1918] - 株式会社 勁草書房

    ラッセルが20世紀初期に論じたセンスデータ論は、当に命運が尽きたのか。その議論に精緻な深みを読みとった著者が、既存の解釈を徹底的に破壊し、新たな視点から一貫した体系の提示を試みる。さらに著者自身の議論によって新たな概念を導入し、センスデータ論をひとつの世界像として完成させる、渾身の作品。 まえがき Ⅰ 論理的原子論―「ないもの」と実在 第1章 前史―『数学の諸原理』の存在論 1.1 関係の実在性をめぐる論争 1.2 『数学の諸原理』の意味論と存在論 1.3 『数学の諸原理』の存在論の問題点 第2章 「不完全記号」の学説 2.1 記述理論 2.2 無クラス理論とタイプ理論 2.3 多項関係理論 2.4 『外界の知識』以降の不完全記号の学説 2.5 「不完全記号」概念にまつわる注意点 第3章 論理的原子論の体系 3.1 実在の秩序 3.2 「ないもの」の秩序とその構成 3.3 不完全記号の学

    ラッセルの哲学[1903-1918] - 株式会社 勁草書房
  • D. F. ピアーズ「論理的原子主義-ラッセルとウィトゲンシュタイン」 - バートランド・ラッセルのページ(分館:Cool Online)

    D. F. ピアーズ「論理的原子主義-ラッセルとウィトゲンシュタイン」 エイヤー他著『(改訂)哲学の革命』(1957年)pp.57-72. * Pears, David F.( ~ )は当時、 * 書は、英国放送協会(BBC)第3放送の番組として放送された連続講義の原稿を論文集の体裁で1巻にまとめ、1956年に刊行された図書 The Revolution in Philosophy(London; Macmillan & Co., 1956)の全訳。 *(訳者)福鎌達夫氏(フクカマ・タツオ:1919~?)は当時、千葉大学助教授? 今世紀の初頭に哲学は、思想史家が革命とよぶところの急速な発達の時期を経過しました。新たな運動の中心は英国、もっと詳しく申しますとケンブリッジであり、そしてその指導的人物はムーアとラッセルとウィトゲンシュタインだったのです。このような急速な変化を革命として描

  • バートランド・ラッセルのページ(分館:Cool Online):加藤尚武「全数学の論理学化」

    加藤尚武「全数学の論理学化(B.ラッセル)」 加藤尚武著(宮田千・イラスト)『ジョーク哲学史』 (河出書房新社,1983年9月)pp.240-250. * 加藤尚武(KATO, Hisatake, 1937〜 )千葉大教授,京大教授,鳥取環境大学学長を経て、現在・東大医学系研究科生命・医療倫理人材養成ユニット特任教授。日哲学会会長(1999〜2003)。 *宮田千(MIYATA, Sen, 1923〜 )日漫画家協会会員。 論理学を軌道にのせたラッセルのパラドクス ラッセル(Bertrand Arthur W. Russell, 1872-1970)は九十八年の永い生涯に、現代世界のほとんどあらゆる問題に鋭い発言を投げかけ、かつ積極的に行動した。彼の業績は数学、哲学、平和問題、社会主義、家庭問題、宗教論、科学論、教育問題等々と、多岐にわたる。サルトルのような傑作ではないが、小説

  • ウィトゲンシュタインの哲学

  • ラッセルと認識論(石本新) - バートランド・ラッセルのページ

    * 石氏は当時,東京工業大学教授 初期におけるへーゲル主義の時代をのぞくと,ラッセルの理論的哲学は2つの大きな原則によって貫かれているように思われる。2つの原則とは,数理論理学,すなわち,記号論理学と英国経験論である。論理学と経験論という,見かけ上対立する考え方を哲学史上はじめて結合させたのは1930年代の半ばに絶頂に達した論理実証主義であるということは,よくいわれることであるが,ラッセルこそその先駆者であったということはあまり注目されていないことである。このような方法論上の類似性からラッセルと論理実証主義者との間に交流が起こり,ラッセルは論理実証主義者を後継者とみなし,また論理実証主義者はラッセルをある意味でその師と仰いでいたことは,あまねく知られていることである。たとえば,1940年に発表された『意味と真実性の探求』(An Inquiry into Meaning and Truth

  • 吉田夏彦「ラッセルの数理哲学と論理学」 - バートランド・ラッセルのページ(分館:Cool Online)

    * 吉田夏彦 氏は当時、東京工業大学教授 まえがき ラッセルは大変長生きをして、その間に、沢山の仕事をし、多くの意見を吐いた。特に、あたえられた題目は、少くとも壮年時代までの彼の専門領域であるので、この方面の彼の仕事を、与えられた紙数と日時の中で概観するのは、不可能なことである。そういう概観は、論理学関係の専門誌でそのうちおこなわれるであろう。ここでは、ラッセルや論理学についての予備知識を仮定せずに、題目に関係のあることを少し論じてみることで責をはたしたい。 1 抽象的なものの存在 現代において、物質的なものの存在、たとえば地球の存在を疑えば、狂人あつかいされることは、まず、たしかなことである。しかし、精神的なもの、たとえば、心や魂の存在は、これを否定したり、疑ったりする人は、かなりいる。唯物論者や、不可知論者である。とはいっても、そういうものの存在をみとめる人、つまり、二元論者の

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 平野智治「ラッセルと論理実証主義」 - Bertrand Russell のページ

    ラッセルの哲学的思想と、ウィーン学団から生れ、分析哲学へと発展し、今日の哲学の大きな流れをつくっている論理実証主義との関連について考えてみよう。 ロックから、バークレー、ヒュームなどと一筋のながれをつくっている英国の伝統的な経験論に、ハミルトン、ド・モルガンなどをへて、ブールにおいて一応の形を整えた記号論理学の着想と技術とをおりなして、でき上ったのがラッセルの哲学的思想体系である。したがって、彼の思想は経験論と論理学とが結合されたものであるといえる。 経験論では、あらゆる認識の基礎を感覚におき、感覚所与を唯一の認識の源としているが、ラッセルは認識の源として、感覚所与の他に、論理的形式なるものの存立を主張している。 すなわち、ものを知るということは判断を下すことであるが、判断の形式そのものは、感覚所与からは得られない、と彼はいうのである。たとえぱ「この花は白い」「この花は黄色い」「この花は赤

  • プリンキピア・マテマティカ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "プリンキピア・マテマティカ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年10月) 短縮版『プリンキピア・マテマティカ 56節まで』の表紙 『プリンキピア・マテマティカ』(Principia Mathematica: 数学原理)は、数学の基礎に関する著作である。 アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルによって書かれ、1910年から1913年に出版された、全3巻からなるそれは、記号論理学において、明示された公理の一組と推論規則から、数学的真理すべてを得る試みである。 『数学原理』のための主要な霊感と動機の1

    プリンキピア・マテマティカ - Wikipedia
  • バートランド・ラッセル - Wikipedia

    第3代ラッセル伯爵バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(英: Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年5月18日 - 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家である。 貴族のラッセル伯爵家の当主であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。名付け親は同じくイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去したが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えた。生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。1950年にノーベル文学賞を受賞している。 生涯[編集] 1872年 - 5月18日に生まれる。貴族によくみられるように正規の初等・中等教育を受けずに、1890年、ケンブリッジのトリニティ・カ

    バートランド・ラッセル - Wikipedia
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