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ブックマーク / www005.upp.so-net.ne.jp (7)

  • 科学と技術の諸相-質問集

    【告知】2019年12月をもって、Q&Aコーナーで利用してきたメールデコードのCGIが提供中止になったため、当ホームページ内部から質問を受け付けられなくなりました。そこで、代わりにQ&Aの一部を掲載するブログを開設し、そのコメント機能を介して質問できるようにしました。以下のリンクからブログにアクセスしてください。 なお、ブログの仕様により、トップページからはコメントできないので、個々の質問/回答のページでのコメントとして質問をお送りください。すぐに表示はせず、いったん吉田が質問を受け取り回答を作成してから、新たな質問/回答として掲載します(様子を見て、方式を変更するかもしれません)。 また、「気になるニュース」を独立させたブログも開設しました。内容は、当ホームページと同じです。

  • 科学の回廊

    アインシュタイン/ボーア論争の勝者 【「科学の回廊」目次に戻る】 (この小論は、読者が量子力学について理工学部2回生程度の知識を持っていることを前提として、執筆されています) 量子力学の解釈を巡って繰り広げられたアインシュタインとボーアの論争は、20世紀前半の科学史を飾る象徴的な出来事として有名である。 すでに相対論の提唱者として高い名声を博していたアインシュタインが、新興理論である量子力学に対して数多くの鋭い批判を提出し、一方のボーア陣営が、こられをことごとく跳ね返して、量子力学の正当性を証明した──論争の顛末は、しばしばこのように紹介される。しかし、アインシュタインが量子力学のどの点を問題ありとしたのか、ボーアらの反論は果たして物理学的に妥当なものだったかについて、科学史家は必ずしも明快に解説していない。歴史的には、1927年(第5回ソルヴェイ会議)から1935年(EPR論文とそれに対

    DOISHIGERU
    DOISHIGERU 2012/09/02
    ボーアとアインシュタインの論争に対する重要な指摘
  • 科学と技術の諸相

    この秋、『高校物理再入門』というタイトルの著書を刊行予定です。高校で勉強する(似非)物理が、どのように真の物理学とつながっているかを解説する内容です。期待せずにお待ちください。(2020年07月28日) Excel「お節介機能」のせいで遺伝子名を変更(20/08/30) マイクロソフト製表計算ソフトExcelに搭載されたオートコレクト機能のせいで遺伝子の論文にエラーが多発したため、ついに科学者側が折れて遺伝子名を変更することになった。 このエラーは、主に遺伝子の略称を日付に変換するというもの。例えば、ヒトのタンパク質Septin2をコードする遺伝子「SEPT2」は「2-Sep(9月2日)」に、Membrane associated ring-CH-type finger 1の遺伝子「MARCH1」は「1-Mar(3月1日)」に勝手に変えられてしまう。こうした誤変換は2004年に最初に指摘さ

    DOISHIGERU
    DOISHIGERU 2012/09/02
    量子重力の入門書を書いた人。興味深い記事が多い。
  • 石本新「ラッセルとプリンキピア・マテマティカ(数学原理)」 - Bertrand Russell のページ

    * 石新氏は当時、東京工業大学教授 バートランド・ラッセルというと、人によってそのイメージが異なるのは当然であろう。ではあるが、なんといっても90才をこえてもなおかくしゃくとして平和運動の第一線にたっているラッセルのイメージがいちばん強烈であろう。しかし、悟りをひらいた東洋的哲人といった面影もないわけではないし、さらに、中年以上の人にとっては1930年代のおわりにおけるラッセルの結婚観に由来するニューヨーク大学での受難事件(注:1940年)が思い出されて、かなり極端な道徳観の主張者としてのラッセルの姿もうかびあがってくるかもしれない。また、第一次大戦中における果敢な反戦運動家としてのラッセルも、私たちの記憶に深くきざみこまれている。 しかしながら、私たち論理学を専攻しているものにとっては、ラッセルというとやはりその主著である『数学原理』」(Principia Mathematica)が思

  • ラッセルと認識論(石本新) - バートランド・ラッセルのページ

    * 石氏は当時,東京工業大学教授 初期におけるへーゲル主義の時代をのぞくと,ラッセルの理論的哲学は2つの大きな原則によって貫かれているように思われる。2つの原則とは,数理論理学,すなわち,記号論理学と英国経験論である。論理学と経験論という,見かけ上対立する考え方を哲学史上はじめて結合させたのは1930年代の半ばに絶頂に達した論理実証主義であるということは,よくいわれることであるが,ラッセルこそその先駆者であったということはあまり注目されていないことである。このような方法論上の類似性からラッセルと論理実証主義者との間に交流が起こり,ラッセルは論理実証主義者を後継者とみなし,また論理実証主義者はラッセルをある意味でその師と仰いでいたことは,あまねく知られていることである。たとえば,1940年に発表された『意味と真実性の探求』(An Inquiry into Meaning and Truth

  • 平野智治「ラッセルと論理実証主義」 - Bertrand Russell のページ

    ラッセルの哲学的思想と、ウィーン学団から生れ、分析哲学へと発展し、今日の哲学の大きな流れをつくっている論理実証主義との関連について考えてみよう。 ロックから、バークレー、ヒュームなどと一筋のながれをつくっている英国の伝統的な経験論に、ハミルトン、ド・モルガンなどをへて、ブールにおいて一応の形を整えた記号論理学の着想と技術とをおりなして、でき上ったのがラッセルの哲学的思想体系である。したがって、彼の思想は経験論と論理学とが結合されたものであるといえる。 経験論では、あらゆる認識の基礎を感覚におき、感覚所与を唯一の認識の源としているが、ラッセルは認識の源として、感覚所与の他に、論理的形式なるものの存立を主張している。 すなわち、ものを知るということは判断を下すことであるが、判断の形式そのものは、感覚所与からは得られない、と彼はいうのである。たとえぱ「この花は白い」「この花は黄色い」「この花は赤

  • EPR論文を巡って

    §1.Einsteinと量子力学 1925年の「重力および電気の統一場理論」に始まる一連の論文で、Einsteinは、一般相対論にn-bein場を導入するなどの改良を施すことによって重力場と電磁場が統一され、これをもとに物質を含めた物理学の「最終的理論」が完成できると信じていた。 「一般相対論ができあがってから理論物理学者は、重力場および電磁場に対する論理的に統一された理論をつくろうと努力した。しかし、…量子力学がつくられてからは、人々は一般にこの問題を追求することをやめてしまった。彼らは、この問題は今まで用いられた意味での場の理論の枠の中では解決できるものでないと考えたからである。このような考えに反対して、私はここで1つの理論を提出しよう」 「重力場および電磁場の統一理論」(1931)*1 1932年には、統一理論に物質場を導入するに当たって、「粒子の内部でも特異点が現れてはならない」と

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