一、はじめに わが国でもっともよく知られているインド人の一人であるガーンディー(モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー)は、一八六九年、西インドはグジャラート州の小藩王国ポールバンダルに生まれた。父はその大臣であった。ガーンディーはイギリスに留学して弁護士の資格を取り、帰国後南アフリカに渡り、厳しい人種差別政策にあえぐインド人年季契約労働者たちの権利を擁護する闘争を展開した。そのときにかれは、有名な非暴力・不服従をその手段とするサッティヤーグラハ運動なるものを展開し、大きな成果を収めた。 その後かれは、インド本土のビハール州における藍生産の小作争議、グジャラート州はアフマダーバードにおける紡績工場のストライキを指導してさらに名を高め、ついには、反英独立運動の中核を担うインド国民会議派の指導者に迎えられた。インド独立闘争はさまざまな曲折を経たのち、一九四七年、インドとパキスタンとの