解説:天才か異端児か 石原莞爾が満洲で繰り広げた謀略の実態は? 現代の日本人が、70数年以上前の日本人にとって「満州」(現中国東北部)がどんな意味を持っていたのかを想像するのは難しい。戦争の結果を見れば、そこにすさまじい悲劇を見るのは当然だが、ゆかりのある人々にとって満州は、いまも痛切で複雑な感情をよびさます土地だ。「満州」はもともと民族名だったのが地名になったとされる。現在の中国・遼寧省、吉林省、黒竜江省、内モンゴル自治区東部を合わせた地域。かつては愛新覚羅一族が支配していて、それが中国全土を収めたのが清王朝。清は中国の五行では「水」が表象なので、本当は「満州」ではなく「満洲」が正しいという。万里の長城最東端の山海関より外という意味で「関外の地」、厳寒の自然環境から「不毛の地」とも呼ばれた。 資源豊富で人口が希薄な満州は「夢の土地」だった 「十万の英霊、二十億の国帑(こくど=国家財産)」
![「戦争不拡大・反東条」を主張したカリスマ軍人・石原莞爾はなぜ“満州事変”を計画したのか | 文春オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f7a03f2b3add746ee06b50fe934e40e07e71cff4/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2F2%2F3%2F1200wm%2Fimg_230b537ec0b6b2d480cc1570a24a8e53396487.jpg)