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批評に関するDe_Loreanのブックマーク (20)

  • 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 高橋源一郎 | Webでも考える人 | 新潮社

    9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。確かに、おれは、その問題についてツイッター上で少しだけ発言をした。それだけだ。面倒くさいし、何のためにもならない。一晩考えさせてくれ、といっておれは電話を切った。でも、おれは引き受けることになるだろう、と思った。「面倒くさくて何のためにもならないことは引き受けろ」は、高橋家の家訓なのである。 書くことを引き受けてすぐ、「新潮45」の休刊が決まった。この問題については、考えなければならないことが多すぎる。休刊の是非、雑誌や出版社、あるいは著者のあるべき姿、休刊の直接的な原因となったであろう小川榮太郎氏の論文の問題点、当該特集号の各投稿それぞれが抱えている異

    De_Lorean
    De_Lorean 2018/10/20
    “のだ。なんだかとても寂しいことだ。 「小川榮太郎・A」と「小川榮太郎・B」は、お互いのことをまるで知らないように存在している。同じ人間だと知ったら、内部から崩壊してしまうことに薄々気づいているからだ
  • 『リズと青い鳥』という残酷で美しい物語について - Retired Colourman

    追記 2018-05-15: ずっと前からこのテキストでの希美の感情の扱いが雑であることが気になっていたのですが,様々な理由から修正はしないことにしました.みなさんが各々正しい答えを見つけてほしい. 2018-04-30: 全体的に文章を修正しました : 差分 2018-04-29: みぞれの使っている楽器がフルートになっていたので直しました.こういう重要なところで間違えるやつは何をやってもだめ.:差分 2018-04-28: 希美の心情について修正をしました. : 差分 0. はじめに この記事は,映画「リズと青い鳥」の感想についての記事です. このブログを読む前に,自分が当てはまるものの注意書きを読んでいただけると助かります. まだ『リズと青い鳥』を見ていない人へ この記事にはネタバレがあります.まず『リズと青い鳥』を見てください.できればこの記事を読まずに.そうしてあのイントロの衝撃

    『リズと青い鳥』という残酷で美しい物語について - Retired Colourman
  • アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い

    稿は、ストリート・カルチャーの諸々の要素が、原因や責任を問われうる証拠=エビデンスを十分残さないでたちまちに変質し霧散していくという、そうした刹那性を、今日の文化状況に抗するかたちで改めて肯定しようとするものである。2010年代の日は、生のあらゆる面において、いわば「エビデンシャリズム」(エビデンス主義)が進展している時代ではないだろうか。 1 エビデンシャリズム批判 稿では、エビデンス(カタカナで言われる、広い意味での証拠・証憑、質的であるより量的なものを望む傾向がある)を残し続けなければならない、エビデンスを挙げていわゆる「説明責任」(アカウンタビリティ)を果たせるようつねに準備しておかねばならない──その種の説明はしばしばひどく形骸化しているが──、という強迫的な「正しさ」の緊張感をいや増しに増すことを「エビデンシャリズム」と名づける。(1)この用語は、エビデンスが健全な議論に

    アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い
  • [批評]二種類の幽霊、二種類の霊媒(メディア)―― 揺動メディアとしての映画論|佐々木友輔|BLUE ART

    佐々木友輔|SASAKI Yusuke 映像作家・企画者。1985年神戸生まれ。映画制作を中心に、展覧会 企画や執筆など様々な領域を横断して活動している。イメージフォーラム・ フェスティバル2003一般公募部門大賞。主な上映に「夢ばかり、眠りは ない」UPLINK FACTORY、「新景カサネガフチ」イメージフォーラム・ シネマテーク、「アトモスフィア」新宿眼科画廊、「土瀝青 asphalt」 KINEATTIC、主な著作に『floating view “郊外”からうまれるアート』(編著、トポフィル)がある。 映画の「盲域」について書く。日々膨大な数の映画が撮られ、研究や批評が書かれていても、なぜか多くの場合見落とされているか、軽視されているか、無視されている領域について。まだほとんど手つかずのその場所は、限りなく広くて深い。奥に進むためにはきっと長い時間が掛

    [批評]二種類の幽霊、二種類の霊媒(メディア)―― 揺動メディアとしての映画論|佐々木友輔|BLUE ART
    De_Lorean
    De_Lorean 2016/03/20
    “ステディカムがカメラワークのぎこちなさや映像の揺動を取り去ったとき、カメラを持つ撮影者と大地との接点たる「足」も同時にどこかへ消えてしまった。”
  • 映画レビュー『インファナル・アフェア』『ディパーテッド』 : 二百十日

    ・『インファナル・アフェア』 評価B ・『ディパーテッド』 評価C- マーティン・スコセッシ監督の『ディパーテッド』がアカデミー賞に輝いたことで、この映画と原作の『インファナル・アフェア』を比較した文章は星の数ほども群がり出たことだろう.僕も少しばかり思うところがあるので、この二作品にご興味をお持ちの方にはしばらく付き合って頂きたい. 『インファナル・アフェア』は2002年の香港映画である.潜入捜査官としてマフィアに入り込むヤン(トニー・レオン)と、逆にそのマフィアから警察に潜入しているラウ(アンディ・ラウ)の緊張感溢れる駆け引きをスタイリッシュに描き、世界各国で好評を博した.日では特に人気が高いという. その『インファナル・アフェア』のハリウッド版が『ディパーテッド』である.製作・監督はマーティン・スコセッシ、ヤンの役をレオナルド・ディカプリオ、ラウをマット・デイモンが演じ、舞台をボス

    映画レビュー『インファナル・アフェア』『ディパーテッド』 : 二百十日
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    De_Lorean 2016/03/04
    素晴らしい批評
  • 39:プロヴォークとコンポラ — 「日本写真の1968」展(東京都写真美術館)の余白に(1) – ART iT アートイット:日英バイリンガルの現代アート情報ポータルサイト

    牛腸茂雄 シリーズ「日々」より 1967-70年 コンポラ論の当否は、プロヴォークとの差異に掛かっている。同じ時代に現れたこれら2つの写真表現は当初から混同されがちであった。ワイドレンズ、横位置、日常のスナップショット・・といった共通点を列挙する議論には事欠かない一方、その差異のほうは「フィルムあるいは印画の仕上げのみ」(後出記事、東松照明)、つまりコンポラ=小綺麗な写真、プロヴォーク=アレ・ブレ写真というエフェクトの相違、あるいは前者は現実肯定的(ノン・ポリティカル)、後者は現実批判的(ポリティカル)というような制作態度の相違 —所詮は見る側の印象に依存した不分明な相違— にのみ求められることが多く、きちんと線引きのできた批評は皆無に等しい。 だがプロヴォークの同人、森山大道と中平卓馬は、コンポラ写真と混同されることをはっきりと拒絶している。 森山:[…]何でもないということを叙述してい

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    De_Lorean 2016/02/14
    プロヴォークとコンポラ — 「日本写真の1968」展(東京都写真美術館)の余白に(1)
  • 『ファイト・クラブ』(1999) - 伊藤計劃記録 はてな版

    ひとりひとりの、かけがえのない命と皆はいう。でも、ぼくらは唯一無二の美しい雪のかけらなんかじゃない。かといってごみくずでもない。ぼくらはぼくらだ。でも今や都市が世界を覆い、個々の存在は無に等しい。個人主義が進行するほどに、どういうわけかぼくらは個人の無力をより一層痛感する。 ぼくらは財布の中身じゃない。ぼくらは仕事じゃない。ぼくらはスウェーデン製の家具なんかじゃない。でも今、ぼくらはまさにそのすべてでもある。物に囲まれて都市に生きるぼくらは、ほんとうの痛みをいつのまにか忘れている。神経性の痛みばかり抱え込んで、傷つけ、傷つけられることによってぼくと君とを分かつ、その痛みを忘れている。痛みも他者も、いまやすべてが頭のなかにある。 そんな時代を笑い飛ばしつつ、ラストにささやかなラブ・ソングを歌う、20世紀最強最後の凶悪な詩。20-30代の立ち位置を確認する、「年齢の高い」若者のための映画「ファ

    『ファイト・クラブ』(1999) - 伊藤計劃記録 はてな版
    De_Lorean
    De_Lorean 2015/10/11
    “「セブン」「ゲーム」では時間の引き延ばし(語りの遅延)に重点を置いたフィンチャーは、ここでは全く逆の映画文法を採用しているのです。単位時間当たりのカット数とシーン数が映画史上最も多いのではないかと思
  • スナヲさんの近代文学論争まとめ(全25回)

    籠原スナヲ @suna_kago 【没理想論争(逍鴎論争)とは】 坪内逍遥が「小説って色んな種類があるけどさー、どれも個性だし褒めたり貶したりする批評よくないよねー」と言ったのに対して、鴎外が「は? 褒めたり貶したりすんのが批評に決まってんじゃん」と噛み付くことで起こった論争。最終的に逍遥の方が折れた。 2012-09-16 22:59:20 籠原スナヲ @suna_kago 【『舞姫』論争とは】 石橋忍月の「鴎外っちの『舞姫』って小説さー、マジ主人公のキャラ支離滅裂だよねー。あの展開でエリスちゃん捨てるのありえなくない?」という批評に、鴎外が「分かってねーな! 俺はヘタレ主人公を書きたかったんだしアレでいいんだよ!」と反論して起こった論争。 2012-09-16 23:06:51

    スナヲさんの近代文学論争まとめ(全25回)
  • 『楽園追放』は3DCG表現を逆手に取った演出に注目 - あにめマブタ

    どうも。ヒグチです。 『楽園追放』について、インプレッションな感想記事を残しておきたいと思って書いてます。 次のセクションから完全に【ネタバレ】していくので、気をつけてください。 楽園追放 Expelled from Paradise【完全生産限定版】 [Blu-ray] 出版社/メーカー: アニプレックス発売日: 2014/12/10メディア: Blu-rayこの商品を含むブログ (40件) を見る 僕が感じた全体像として、牧歌的なSF作品というのがやっぱりあるんです。 。 色々なものが一見解決したかのように見える世界で、人類はゆるやかに肉体的にも精神的にも縮小再生産を重ね、結果的には衰退を続けているという、ちょっとシニカルな世界観。そういう中で、何か当のものがあるかもしれないと、もがいていくキャラクターたちに好感が持てる。 舞台となっている青空と砂漠のように、描写にせよ演技にせよ健康

    『楽園追放』は3DCG表現を逆手に取った演出に注目 - あにめマブタ
  • 「異能バトルは日常系のなかで」は、カレカノを継ぐもの : GOMISTATION.absol

    ■異能バトルは日常系のなかで http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/inoubattle/index2.html えーとですね、まず僕は『彼氏彼女の事情(98)』の大ファンであって、アニメから原作単行を購入するに至るぐらい好きな作品なんですね。そんで、先日知人から「異能バトルがカレカノっぽいよ!」と言われたのが、視聴のきっかけです。最初の方の話数では、その異能バトルにおける「カレカノっぽさ」というのは、あまり感じなかったんですね。キャラの掘り下げ方は確かに「カレカノっぽいなあ」という程度。それぐらいの感覚で、「うーんまあ少しカレカノっぽいかなあ」の認識でした。 まず前提として、「異能バトル」の魅力として確実にあるのは、大地コンテの良さですよね。 (『異能バトル』02.04話 大地コンテ回) ここは、「異能バトル」見てる人みんな相違ないと思う。だから、「カレカノっ

    「異能バトルは日常系のなかで」は、カレカノを継ぐもの : GOMISTATION.absol
  • 怒りの葡萄 - アブソリュート・エゴ・レビュー

    『怒りの葡萄(上・下)』 スタインベック   ☆☆☆☆☆ スタインベックの代表作であり、アメリカ文学の偉大な金字塔『怒りの葡萄』。私はこの小説が子供の頃から大好きで、もう何度読んだか分からないが読むたびに新鮮な感動を覚える。これこそ深い文学性とワクワクする娯楽性を兼ね備えた最上の芸術作品であり、「読まずに死ねるか」リストの筆頭作品だ。要するに私のオールタイム・ベストの一作なのである。 ジョン・フォードの映画も素晴らしいが、原作の重量感と荘厳さは軽く映画を凌駕する。ストーリーは映画と同じく、銀行や大地主がトラクターを導入して合理化を進め、小作農家の人々は仕事をなくし、住みなれた土地を追われる。オクラホマのジョード一家もそのひとつで、彼らは「仕事あります」のビラだけを頼りに家財道具をおんぼろトラックに詰め込み、カリフォルニアを目指す。しかし光溢れる新天地のはずだったカリフォルニアも決してユート

    怒りの葡萄 - アブソリュート・エゴ・レビュー
  • 映画『インターステラ―』を観てきた | 蔓繁日記

  • 思想家 東浩紀が感動した父娘の物語『インターステラー』の到達点 | CINRA

    人はいつだって、まだ見ぬ世界やこれから訪れる未来に想いを馳せて生きるものだ。そして、できることならその未来の中でより良く生きるにはどうしたらいいのか、知りたいと思う。 クリストファー・ノーラン監督の最新作『インターステラー』は、地球の寿命が終わろうとしている近未来を舞台に、新たに人類が生きる星を探しに宇宙へ旅立つ父と、地球に残された娘との感動のストーリー。バットマンを原作にした大ヒットシリーズ『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』の3部作、夢と現実の世界を行き来するサスペンスアクション『インセプション』など、独自の設定で世界を描き常に観客を驚かせてきたノーラン監督が『インターステラー』で描くのは、遥か彼方の宇宙で試される人間の心と愛情。壮大な未知の世界を舞台に、こんなにも人間ドラマを取り入れた作品は彼にとって初めての試みと言えるだろう。そこで、クリストファー・

    思想家 東浩紀が感動した父娘の物語『インターステラー』の到達点 | CINRA
    De_Lorean
    De_Lorean 2014/12/01
    “たとえば、アメリアというキャラクターをもうちょっと手厚く描けば、けっこう面白い話が展開できるはずなんですけど、全くそれをやらない。も”
  • クリストファー・ノーランの《インターステラー》 - REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    De_Lorean
    De_Lorean 2014/12/01
    “しかし、相対論や量子論の効果による時空を超えた複数の世界の接触を描いた《インターステラー》は、《インセプション》と重なるテーマを扱いながら構造がややシンプルになり、同時に推進力を増した。”
  • 批評空間【critical space】

    浅田彰・柄谷行人等「批評空間」編集部は出版社として独立し、第III期を創刊する。

  • 「MMORPG」の画期的特性とは何だったのか - うさだBlog

    # MMORPGの最大の新規性は、それが自己満足システムではなく、いわば自己顕示システムだった、という点にある。 オフラインのゲームは、スコアアタックのような物を除けば、基的に自己満足として完結する。キャラクタがどれほど強くなろうと、あるいはレアアイテムを手に入れようと、それは他人にとってはどうでもいい話であって、せいぜいが友人に自慢して少々羨ましがられるといった程度の物であり、それを自己顕示の手段とするのは、不可能ではないが、非常に難しいか、または回りくどかった。 しかしMMORPGはこの部分が違う。MMORPGにおける強いキャラクタやレアアイテムの所持、あるいは権力の強いギルドへの所属といったような物は、例えその実体がDB上の変数に過ぎなかったとしても、システム内に留まる限りは間違いなく「社会的成功」であり、他人の注目を集める手段、つまり自己顕示手段になり得る。これが「人間に快楽を与

  • 評論:腐り姫

    腐り姫 ~euthanasia~ あのライアーソフトが作った、シリアスストーリーのゲームという事で話題になったタイトル。 果たしてそのシリアス度はどれくらい? そしてまた、当にギャグは無いのか?(ンナワケナイジャーン) さらに、この不気味なタイトルの意味するものは何か…? 1.メーカー名:ライアーソフト 2.ジャンル:ADV。ただしかなり特殊 3.ストーリー完成度:B 4.H度:B 5.オススメ度:A 6.攻略難易度:C 7.その他:何の説明も受けずにプレイすると、一回目ではかなり面らう事必至かも。 何度も最初からやり直すという行為、これを受け入れる事が素直に出来る人はどれくらい?! (ストーリー) 主人公・簸川五樹は、半年前に記憶喪失状態となってしまった青年。 彼の当の母・朱音はすでに亡くなっており、父・健昭と妹・樹里は心中したのだという。 だが、いまだ思い出せない彼にとっては、

  • ASTATINE:「腐り姫」評。

    "And I look again towards the sky as the raindrops mix with the tears I cry." ―――エロゲーで吐き気がした台詞がある。 「あたしも、樹里とおんなじだ・・・。」 (---潤,“参照”した時は七週目・・・だったと思う) ―――正直、吐き気がした。萎えるとかいうレベルではなく、この場面で快楽を覚えることを、倫理的に拒否しようとした自分がいることに気付く。気で気持ち悪い。しかも、その「気持ち悪さ」は、結ばれた潤に対してではない。主人公・五樹の実妹、この台詞が指している樹里でもない。この瞬間、この物語「腐り姫」が描こうとした主題・・・なんで、この物語が「近親愛」をテーマに、執拗に義理家族の近親相姦を描いたのか?・・・その意味が、「潤が自分を樹里と同じと見做す」ことによって、きりこ・夏生・芳野・蔵女・潤・樹里の線―――その

  • 攻殻機動隊は「いい加減」だからこそ名作 - しゅーとめも・わんもあせいっ

    草薙素子とはどんな人間だったのか─原作素子とSAC素子の差異 : 戦争だ。90年代に戻してやる。を読んで。 たぶん、士郎正宗はそこまで考えてない。 攻殻機動隊はバックボーンとディティールに関しては士郎正宗作品たる相も変わらぬ緻密さ、を持っているのは間違いありません。 しかし、そこに生きるキャラクターに関してはそれまでの作品とは一線を画す薄っぺらさがあります。 例えば、公安9課。一番緻密な設定を有するのはトグサです。と言っても、元警察で素子がスカウト、帯者くらいしか原作でも触れてませんが。あとは荒巻課長の人脈絡みな過去が何度か出るくらいで、他の9課メンバーは経歴一切不詳。何故に素子が“少佐”と呼ばれてるのか、すらわからないままです。 「たぶん、考えてない」は素子の言動にも現れています。特殊任務ゆえ超法規的措置な裁量を独断で行ってる部分(犯罪者の殺害・暗殺や企業・組織の電脳への侵入)とごっち

    攻殻機動隊は「いい加減」だからこそ名作 - しゅーとめも・わんもあせいっ
    De_Lorean
    De_Lorean 2013/07/18
    こちらの文章の方がしっくりくる
  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

    いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記
    De_Lorean
    De_Lorean 2011/10/22
    ゆとりは社会的に虐待を受けているのか
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