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historyと阿部知子に関するEreniのブックマーク (1)

  • 政党として生き残れるのか――最大危機の社民党 77年間の栄枯盛衰と参院選への秘策(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

    その後も低空飛行を続ける社民党が、久しぶりに存在感を見せたのが2009年夏。衆院選で民主党が大勝するも、参議院では過半数に達していなかったことから、国民新党と社民党との連立政権を発足させたのだ。福島党首は消費者・少子化担当大臣として初入閣した。 ところが、米軍の沖縄・普天間飛行場の移設をめぐり、鳩山政権が当初掲げていた「県外への移設」の方針を変更し、辺野古への移設を決めたことに反発。福島氏は「筋を通す」として閣内で反対し、大臣を罷免された。結局、社民党はわずか8カ月余りで連立から離脱した。 当時、社民党の政審会長だった阿部知子衆院議員が振り返る。 「私は与党間の調整担当として次善の策を考えていました。外務省や防衛省も知恵を絞っていました。県外移設は難しいけど、何とか沖縄のかたの負担を軽減できないかと。政権に残って、より良い方向に進めたかったのですが……」 この連立離脱をきっかけに、社民党の

    政党として生き残れるのか――最大危機の社民党 77年間の栄枯盛衰と参院選への秘策(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
    Ereni
    Ereni 2022/06/14
    社民党の政審会長だった阿部知子「私は与党間の調整担当として次善の策を考えていました。外務省や防衛省も知恵を絞っていました。県外移設は難しいけど、何とか沖縄のかたの負担を軽減できないかと。政権に残って、
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