『博士の奇妙な思春期』(斎藤環・日本評論社)(→amazon)に、「ひきこもり」という社会現象に関連して、「強迫」という言葉が出てくるわけですが、「はてな」のキーワードによると、「強迫(強迫観念)」とは 考えたくもない/考えても下らないはずなのに、どうしても考えてしまう事柄。 なわけで(もう少しいい定義がありそうな気もするが)、そうすると強迫というか社会的抑圧とかのない、「何も考えなくてもいい社会」、つまり「非強迫的な社会(国家)」というものも想像できるわけです。 想像ではなく、現実に存在した社会では、それはどこか、ということです。 以下引用、p208-210(太字は引用者=俺) その一方で、中井氏(引用者注:中井久夫氏)が「もっとも非強迫的な社会」の例として挙げているのが、1970年代のエチオピアである(『分裂病と人類』東京大学出版会、1982)。氏がここで参考資料として取り上げた松枝張