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最近は批評論が流行っている、と書いたらちょっと嘘。かつての理論・反理論の対立のような、熱のある(陰湿ともいう)議論というものはあまり見られなくなったようにも感じられます。けれど、それはもちろん理論が必要とされなくなったことを意味しているわけではありません。 理論はありふれたものであり、理論に基づいて議論が行われることは自明のこととなった。そのように言っても差し支えないでしょう。それ自体は喜ばしいことですが、同時に理論がシステム化され、本来持っていた社会性が骨抜きにされていることにも、注意する必要があります。 何を頼りに、何を根拠にしてアニメを論じるのか。これまでに考えてきたことをアウトプットするには今が一番良い時期であるのかもしれません。 批評飽きた←こんな意見も出ている時分ですしね。 言うまでもないことですが、以下の内容は自分を棚に上げまくって書いています。長いと感じたら、項目ごとに、つ
「ゲームは時間を奪う。ゲームで感動は難しい。ゲームなんて文化じゃない」… 内閣知財戦略本部コンテンツ専門委員会 1 名前: ふぐ調理師(東京都) 投稿日:2007/04/19(木) 21:56:02 ID:bSBKZtTM0● 「人気あるコンテンツを切り込み隊長として、日本ブランドを確立して、 産業振興を図るべき」と主張する浜野保樹氏 「ゲームについては、ぼくは異論がある。アニメや漫画は感動をもたらすけれど、ゲームは、お金だけ持っていって、子供の時間奪ってますね。その人生にプラスアルファがない。宮崎さんとか他のアニメ見て、人生変わったという人はいると思います。心ふるえるほどの感動とか、ゲームは若干難しい。 ビジネスとしてはいいかもしれないが、恨みをもたれる。かつてのエコノミックアニマル のコンテンツ番みたいにね。敬意も払ってくれない」(抜粋) http://www.sankei
※ハイライト動画(4分)を後半に追加! ~アートから学問へ~ 【 ジョジョ立ち in 東京大学 】 2007.3.18 17:00 START ズギュゥゥゥウン!今年は国宝漫画『ジョジョの奇妙な冒険』連載20周年!これを祝して2007年3月18日に、 わが国の最高学府、東京大学にて“ジョジョ立ち”講座を開催したッ!講師はもちろん鬼教官! 鬼教官の指導は03年の大阪立ち以来、実に4年ぶり。“大阪”では思いのほか参加者が集まり、以後は セキュリティの面からジョジョ立ち教室の開催を封印することに。しかし!ジョジョ20周年という記念すべき 本年、東大&東京芸大の学生さんから「大学内のホールで」とのお誘いもあり、今こそジョジョ立ちが 「アート」を超えて「学問」に進化する段階にきたと判断、炎の敢行とあいなった! ※この企画は、東大の演劇サークル出身者を中心に結成された団体Formaggio(フォルマッ
When to Hire a Workers Compensation LawyerIt is often that workers have concerns on when exactly to hire compensation lawyers. This is because not every injured employee requires the help of workers compensation lawyers. The compensation system in Australia is mostly an administrative process well designed to be easy for workers to use. Knowing when exactly to hire compensation lawyers Sydney save
81 名無しさん@どーでもいいことだが。 2007/04/20(金) 18:05:27 ID:GaGKWHP90 高校の先生が海外研修でカリフォルニアあたりの高校に行ったときの話。 生徒たちが「漢字を教えて!」というので、「日」とか「米」とか教えたそうだ。 もっともっととせがまれるので、面白半分に黒板に「鬱」と書いたらしい。 その瞬間の生徒 ( ゚д゚ )( ゚д゚ )( ゚д゚ )( ゚д゚ )( ゚д゚ )( ゚д゚ )・・・ ブラーボー!ブラーボー!ブラーボー!ブラーボー! ヽ(*゚∀゚ )ノヽ(゚∀゚* )ノヽ(*゚∀゚ *)ノヽ(*゚∀゚ )ノヽ(*゚∀゚ )ノヽ(゚∀゚ *)ノ なんだそのマジックは、日本人はみんなかけるのか、もう一回書いてくれと いわれたので書くたびに ブラーボー!ブラーボー!ブラーボー!ブラーボー!ワンスモア! ヽ(*゚∀゚
難しくないといけないのか 批評飽きた。 小難しいことをちゃんと考えて、作品を観たら面白い意見を言わなければ、とか思って来たんだけど、もう飽きた。 潜在的に凄く多そうな誤解だけれど、別に小難しくなくてはいけないということはない。確かに批評の型はあるけれど、義務だと思って無理に難しくする必要は全くない。少なくとも、意味が分からないジャーゴンは使わない方がいいとは思う。またその裏返しで、みんなが分かりやすい最大公約数的なところに、必ず落とさなければいけないということもない。 ただ「それってやっぱりあれだよね」式にラフに書いてもいいけれど、「アニメは(○○は)こうあって当然」という固定観念からかえって抜け出せないという罠もある。だから、よそ行きの服を着るように、漠然とした「常識」「空気」「お約束」から距離を取るために、多少文体が硬くなることはある。でもそれは言葉が難しいから偉いとかではない。 お金
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