タグ

ブックマーク / tukinoha.hatenablog.com (18)

  • そろそろ「従軍慰安婦」問題について一言いっておくか - tukinoha’s blog

    屋上屋を架すつもりはないので、最近話題の論点からはやや外れた部分について書きます。「一言」といっておきながら全然ひとことで終わらないのはお約束ということで。 1.国家間の問題?被害者はどこにいった? 90年代における「アジア国民平和基金」が挺隊協のような慰安婦支援団体からも批判されたことは有名ですが、この基金を推進した側としては元「慰安婦」は高齢化しているので、たとえ拙速であっても今のうちに補償しなければならないという判断がありました。これに対して挺隊協などは民間基金ではなく政府による公的な基金でなければならないとして、元「慰安婦」の利益よりもむしろ「政治的な筋を通す」ことを優先したわけです。私としては前者の立場により共感します。 2000年代以降では現在がもっとも「慰安婦」問題に注目が集まっているように思うのですが、その割には、みなさん妙にのんびりしているように感じるのは私だけでしょうか

    そろそろ「従軍慰安婦」問題について一言いっておくか - tukinoha’s blog
  • 南京事件関連の議論について - tukinoha’s blog

    歴史学者の末席に座るものとしては、粘り強く啓蒙活動を続ける方々には頭が下がるとしか言いようがないのですが、同時に「これでは埒があかないのではないか?」と思うのも事実です。何というか、どうしても「アドレス」と「文体」がずれているという違和感が拭えません。 そもそもの問題として「学者の言葉の権威失墜」という事実があるわけですが、それを無視して学者の言葉(文体)で語りかけても仕方ないのではないか、と。これは「新書みたいにわかりやすく書け」と言ってるわけではありませんよ。ただ、記憶を分有するための手段は歴史学に限られないし、ルポタージュや小説の技法だって必要なら取り入れればいい。今の我々に必要なのは、より厳密な歴史の知識ではなく、歴史を語るための実践的なナラトロジーではないかなぁ、と。 それでまあ、読書会とかやれたら面白いのに、と思うわけです。入門として岡真理『歴史/物語』、あと『アウシュビッツと

    南京事件関連の議論について - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2009/06/05
    文脈の不一致で言葉が届かない話。挙げられている本に興味持った。でも『記憶/物語』しか見つからない。
  • アニメを見るときの「自然な態度」について - tukinoha’s blog

    僕たちが作品(特にアニメ)を鑑賞するとき、あるいは作るとき、無意識に取る「自然な態度」というものが存在します。 例えば、作品内で起こる出来事には全て理由があると考えること。キャラクタの顔や性格は変化しないと考えること。画面は風景や人で満たされているのが当然だと考えること。他にも挙げられるでしょうが、とにかくそういった「自然な態度」が存在するわけです。 しかし、そんな態度は捨ててしまえ、とは言わないけれど、とりあえず括弧にいれて保留にしておこう、と考える人が出てくるのも自然なことでしょう。 近年のシャフトの作品群(ef、絶望先生など)には明らかにそのような傾向があります。必要がない、と判断したら、たとえそれによって視聴者が違和感を感じるとしても、あえて描こうとはしない。逆に、必要だと思ったらいくらでも過剰に描く。『少女革命ウテナ』にも同じような傾向があり、ある種の価値転換として僕はこれを好意

    アニメを見るときの「自然な態度」について - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2008/01/22
    自然な態度の扱い方二類。
  • 『ef - a tale of memories.』が面白い!〜アニメにおける「わかりやすさ」の探求〜 - tukinohaの絶対ブログ領域

    ef - a tale of memories.1【通常版】 [DVD] 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント発売日: 2007/12/07メディア: DVD クリック: 112回この商品を含むブログ (21件) を見る2006年末にminoriの最新作として発売された『ef - the first tale.』。新海誠が手がけたOP映像が注目されることが多い作ですが、編の特徴について簡単に言えば、物語に起伏が少なく、登場人物の心の動きを淡々と、しかし、「痛み」から目を逸らさず正面から描いたという点で注目に値する作品であると言えるでしょう。笑えて泣けて楽しくプレイできるゲームが大多数を占める中、ただ「痛み」を伴うナイフのような鋭さだけで勝負した作の位置は特異なものです。 それが『ef - a tale of memories.』と名前を変えてアニメ化されると初めて聞いた

    『ef - a tale of memories.』が面白い!〜アニメにおける「わかりやすさ」の探求〜 - tukinohaの絶対ブログ領域
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/10/22
    コメント欄に典型的な「結論が最初にある人」出現。「動かないけど別のこういうところが面白い」という話をしてるところに「動かないからつまらない」と反論する不毛。
  • 『ひぐらしのなく頃に解』−「犯人の心情を理解すること」の欺瞞 - tukinoha’s blog

    毎年1人が死に、1人が消える「雛見沢連続怪死事件」。萌えと謎とホラーが入り混じった問題編が4つと、それらをバラバラのかけらに戻し、望ましい姿に組み直す解答編が4つ。物語は先日の放送でいよいよ解答編のラスト「祭囃し編」へと突入しました。 物語の謎と悲劇を全て清算し、長い長い物語に「オチ」をつける重要な部分です。ただ、僕が『ひぐらしのなく頃に』という物語の中で一番くだらないと思っているのも、やっぱり「祭囃し編」なんですよ。 「祭囃し編」は物語において主要な謎である「雛見沢連続怪死事件」における「犯人」の幼年時代の描写から始まります。アニメ版で先日放送されたのがそれなんですけど、原作でも同じように思ったのですが、ここが単に蛇足であるというだけでなく、作品全体の完成度を著しく下げているように思えてなりません。 「犯人」の生い立ちを描いていく、というのは、例えばトマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』な

    『ひぐらしのなく頃に解』−「犯人の心情を理解すること」の欺瞞 - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/10/11
    なんかねじれてるように思えるんですけどどこがそうなのか指摘できず。自分で模範を指定して、それに作者が従ってくれないことに不満を表明しているから?
  • 議論は始まる前から終わっている - tukinoha’s blog

    ある美術史家の言葉。 「学会では絶対に『美しい』って言っちゃダメなの。主観だから」 あるアニオタの言葉。 「『らき☆すた』は面白い?つまらない?」 再度、美術史家の言葉。 「ただ、『美しい』と感じることは研究の動機として重要だよね」 再度、アニオタの言葉。 「『らき☆すた』はつまらない作品である。なぜなら……」 森博嗣の言葉。 「当のところ、研究とは、何を研究したら良いのかを見つければ、峠はもう過ぎていると考えても良いくらいだ」 テーマ設定を間違えた議論はどう頑張っても厳密にはなり得ない、という話。その他、くだらない議論に見られる5つの特徴を挙げておきます。 ひとつはErlonigさんがおっしゃっているように、論者の立場が不明確なこと。 ひとつは作品の受け手を同じ集団として扱う、あるいは「パロディがわかる/わからない」など、分類方法が極めて大雑把であること。 ひとつは作品の見方の幅が狭く

    議論は始まる前から終わっている - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/08/13
    くだらない議論に見られる5つの特徴。自分の場合、例外処理の断り書きが大変で2番を特によくやってしまいがち。 ↑びゃー。修正しました。
  • 必殺技「公平を期すために両論併記」 - tukinoha’s blog

    「あの店の蕎麦は実に不味いですね。コシが強すぎて、香りが弱くて、蕎麦をべているという気が全然しない。蕎麦好きには全くオススメできない店です。ただ、蕎麦ではなく、うどんだと思えば美味しく感じられるのではないでしょうか。うどん好きにはオススメです」 「僕はこの作品を全く面白いとは思わなかったのですが、パロディの元ネタがわかる人にとっては面白いのでしょうね」 「オタクは自分の世界に閉じこもり、他人の感情を想像しようとしない。また、社会人として最低限の身だしなみさえも整っていない。これでは一般人に「オタク=犯罪者予備軍」と見なされても仕方ないだろう。ただし、誤解のないように付け加えておくが、私自身もオタクのひとりであり、以上の内容に否定的な意味は全くない」 「公平を期すために両論併記します。内容は私が良いと思ったものだけ選びました」 とりあえず両論併記すれば公平なんだそうです。

    必殺技「公平を期すために両論併記」 - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/08/11
    悪いのはアルセス。
  • 意味のある批判に必要なたったひとつのこと - tukinoha’s blog

    具体的に書くこと。『らき☆すた』を例にしてみましょう。 『らき☆すた』は閉鎖的なので悪い、が不可なのは当然として。 『らき☆すた』の実写EDは閉鎖的なので悪い、でも不可。実写EDは他にもある(花右京メイド隊とか、セイントオクトーバーとか)。 『らき☆すた』の実写EDの「中の人」ネタは元ネタがわからない人を排除する閉鎖的な作品であるため悪い、もやはり不可。「元ネタがわからないために排除される人」は実在するのだろうか? 『らき☆すた』の実写EDの「中の人」ネタは元ネタを知らないAさんやBさんにとっては閉鎖的な作品であるため悪い、になってもまだ不可。閉鎖的だとどうしていけない? 『らき☆すた』の実写EDの「中の人」ネタは元ネタを知らないAさんやBさんにとっては閉鎖的な作品である。私にとっては万人に楽しめる作品だけが良い作品なので『らき☆すた』は悪い、になってもまだ少し不可。「私」とは何者か? 『

    意味のある批判に必要なたったひとつのこと - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/08/09
    評価基準の限定なきところに正当な批判なし。
  • 強い言葉を聞きたい - tukinoha’s blog

    「批評ではなく感想です」と名言しているサイトが多くて、どうしてそこまで「感想」に拘るわけ?と、思います(僕はたぶん逆に思われているけど)。そう言っているサイトに限って客観的評価であるかのように「駄作」と貶したり「傑作」と褒め称えたりする不思議。 人の意図はどうあれ、「感想です」という言葉が他者からの批判を受けないためのマジックワードになっているんじゃないかな、と。読みの浅さも偏狭な感情も「そう感じたから」と肯定してしまえる無敵の立場。 僕はたとえ間違っていたとしても「理論的根拠に基づいて客観的に解釈した結果です」と主張するサイトの方が、議論が成り立つ分だけ好きです。自分と同じ感想の人を見つけて喜んだり、主観の集合から客観を取り出そうとするほどには、個人の才能と客観性に絶望していないので。

    強い言葉を聞きたい - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/07/30
    あるあるあ>「批評ではなく感想です」と名言しているサイトが多くて、(中略)そう言っているサイトに限って客観的評価であるかのように「駄作」と貶したり「傑作」と褒め称えたりする不思議
  • コメント承認制ブログに見る水面下の伝統芸 - tukinoha’s blog

    http://weekryseiron.blog101.fc2.com/blog-entry-39.html この記事そのものには特に見るべきところはないが、コメント欄が面白い。「火のないところに煙は立たない」という言葉があるが、煙を立てずに火を起こす、というのは慎みと謙譲を美徳とする日の伝統芸と言っても過言ではないだろう(適当)。 ZZガンダムというアニメをご存じでしょうか? この作品ではオープニングにてアニメじゃない、当のことであると予言しています。 僕はブログ主さんを批判する気はありません。 ただ来るべき未来の姿の予見として、どうかこのコメントを承認してください。 【2007/07/26 10:16】 URL | プルの婿 #- [ 編集] ナ ナンダッテー!! Ω ΩΩ こんなことまでするんですね、、オタクはまったく常識が通じ ない人種せすね。 ただでさえ社会に迷惑をかけてい

    コメント承認制ブログに見る水面下の伝統芸 - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/07/29
    手を変え品を変え。
  • 水樹奈々『innocent starter』 - tukinoha’s blog

    一言いうなら、なのはのOPは一番最初のが詩としても曲としても一番良かった気がするんだが…… http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/75800bcd35c0d3c0f9a977529f11db56 『リリカルなのは』は第1期が一番面白いと頑なに主張する会会長の俺が来ましたよ、というわけで今日はこの曲。 innocent starter アーティスト: 水樹奈々,志倉千代丸,大平勉,飯田高広出版社/メーカー: キングレコード発売日: 2004/10/06メディア: CD購入: 3人 クリック: 33回この商品を含むブログ (84件) を見る ギターのディストーションが耳に残る曲ですね。ゆっくりイントロに入りサビの部分までに盛り上げていくベタな構成ですが、非常に洗練されているなという印象を受けました。 あと、演歌仕込の歌唱力と同じく歌詞が文学的というかポエミーなことで

    水樹奈々『innocent starter』 - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/07/27
    全力で同意。二期以降は無理に「熱血」の型にはめようとして歪になっちゃった気がしてます。自然にやった結果いつの間にか"ああなってしまった"のがよかったのに。
  • ネット言論について - tukinoha’s blog

    酔って書いた昨日の記事が予想外に反響が大きかったので、今日も酔っ払いながら書く。2日連続で酔っていることには特に因果関係はないので悪しからず。 昨日は個別のブックマーカや特定のサイト*1を批判したわけですが、それに関しては少し反省しました。非建設的だったな、と。それよりは間違った意見が拡大再生産されていく力学を検証していくほうが余程有益だということで、今日はその話を。 ウェブ2.0という言葉によってネットにおける相互干渉性が強調されるようになって以来、権力格差に対する批判意識が甘くなったのではないか、というように考えられます。ブロゴスフィアにおけるマイノリティ戦略がその負担を考えないままに賞賛され、もてはやされていく。ブログはカルチュラル・スタディーズと同じ道を辿るのかもしれません。 そこでこれからの社会批判やウェブ言論に求められるのは、相対性に逃げ込まず、文化権力の所在を明らかにしていく

    ネット言論について - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/06/23
    何が書いてあるかよく分からないから問題点の指摘のしようがない雰囲気に見えました。
  • マスコミの相似形としての「痛いニュース」 - tukinoha’s blog

    朝日新聞を「マスゴミ」呼ばわりしている人が産経新聞の記事に肯定的なブクマをしているのを見かけてドン引きすることはしょっちゅうありますが、「痛いニュース」のマスコミ批判というのもそれに似ているなぁ、と思う今日この頃。 マスコミが大衆批判をしても自分が大衆の一部だと自覚している人はほとんどいないから誰にとっても耳障りが良いし、それに政府批判がくっついても(最近の若者の公共マナーがなっていないのは教育が悪いからだ、みたいな)、批判の内容は政府にとっても都合が良いので問題はない、というような、当に困る人は誰もいない話である場合がほとんどです。いや、むしろ「主流批判の形を借りた主流イデオロギィの再生産」というのがその実態ではないかと。「日はもう終わりだ。海外に逃げろ」という意見は絶対に載らないでしょう?新聞の投書欄なんてその最たる例で、「意見を言う自由を与えていますよ」というパフォーマンスにもな

    マスコミの相似形としての「痛いニュース」 - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/06/09
    「痛いニュース」はWebのマスコミだって誰かが言ってましたね。
  • tukinohaの絶対ブログ領域―これからアニメ批評について真剣に考えてみようという人に向けて

    最近は批評論が流行っている、と書いたらちょっと嘘。かつての理論・反理論の対立のような、熱のある(陰湿ともいう)議論というものはあまり見られなくなったようにも感じられます。けれど、それはもちろん理論が必要とされなくなったことを意味しているわけではありません。 理論はありふれたものであり、理論に基づいて議論が行われることは自明のこととなった。そのように言っても差し支えないでしょう。それ自体は喜ばしいことですが、同時に理論がシステム化され、来持っていた社会性が骨抜きにされていることにも、注意する必要があります。 何を頼りに、何を根拠にしてアニメを論じるのか。これまでに考えてきたことをアウトプットするには今が一番良い時期であるのかもしれません。 批評飽きた←こんな意見も出ている時分ですしね。 言うまでもないことですが、以下の内容は自分を棚に上げまくって書いています。長いと感じたら、項目ごとに、つ

    tukinohaの絶対ブログ領域―これからアニメ批評について真剣に考えてみようという人に向けて
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/04/21
    アニメに限らず批評全般について。
  • 僕が作品を褒めるわけ - tukinoha’s blog

    どんな作品を読んでも、とりあえず褒めるべきところ、学ぶべきところを探そうとする。見つからなければただスルーするだけで、いちいち貶そうとは思わない。 だって、ほんとにどうしようもない作品を貶した記録なんか、特に残しておく意義を感じないもの。後から読み返す気にもならないだろうし。 はてな ああ、わかるなぁこの感じ。僕の場合は、作品の9割が凡庸であったとしても、残り1割の革新的な部分を強調するようにしています。作品の大半が凡庸なのは、日人作家が日語で小説を書くようなもので、それこそ文句を言い出したらきりがないと思うので。 第一、精神衛生上良くないです。どうも僕は気が弱いのか、他人の記事を批判すればするほどお腹が痛くなる人間なので。あと、批判するのって褒めるのより難しくないですか?確かに、単に批判するだけなら誰にだって出来ますけど、上手い褒め言葉と同じくらいの説得力を持った批判の言葉ってあまり

    僕が作品を褒めるわけ - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/03/27
    作品を批判する際のひとつの基準として、「表現が失敗して作者の意図した効果が得られていない」場合というのを意識しています。↑作者を優位に立たせるつもりはなく、単に特異点だと思ってます。後で書きます。
  • 業務(?)連絡 - tukinoha’s blog

    縮小更新中。ただ、今日や昨日みたいな楽に書ける内容を常態にして、3、4日に1回だけ気合の入った論考を書く方が自分にはあっているのかもしれません。 先日ミクシィに書いた話ですが、アニメや映画を見て「面白かった」や「つまらなかった」などの主観を記事にする価値ってあるのだろうか?みたいなことを最近は考えています。 不特定多数の人が見る場所で、公共のインフラを使って主観を表明するのってすごく迷惑な行為ではないだろうか、とか考え始めると何も書けなくなるので今日はこれくらいで勘弁しておいてやろう。覚えていやがれ(噛ませ犬風捨て台詞)!

    業務(?)連絡 - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/03/21
    日記の方で言及。>アニメや映画を見て「面白かった」や「つまらなかった」などの主観を記事にする価値ってあるのだろうか?
  • 「好き嫌いは人それぞれ」の無意味さ - tukinoha’s blog

    「祈りの物語」としての『鋼の錬金術師』 - tukinohaの絶対ブログ領域 ↑の記事と少しだけ関連した話です。殴り書きですが、今回はアブストラクトを示すだけにしたいと思うので。 「好き嫌いは人それぞれ。尊敬する批評家がある作品を名作だと言ったとしても、その評価に従う必要はない」。これを真理として認めることに異論のある人はめったにいないでしょう。しかし、これって意味のある言葉なのでしょうか? 現実に「名作」と呼ばれる作品が存在し、過去の有名な作品が「古典」としてもてはやされ、僕たちは「あれが好きだ」「これが好きだ」という自分の気持ちを疑わない。他人の評価は相対化するくせに。作品評価を「人それぞれ」と相対化することによって明らかになるのは、皮肉にも相対化し得ない評価の存在です。そして、その相対化し得ない評価と真剣に向き合うことが相対化の目的である、と僕は考えます。 矛盾している、間違っている

    「好き嫌いは人それぞれ」の無意味さ - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/02/28
    「好き嫌いは人それぞれ」という言葉は正しいけれど、正しいだけ。最低限守るべき出発点でしかなく、それすら守れていない主張を諌めるときにだけ役に立つ警句だと思います。
  • いかにして僕は泣けないエロゲを愛するようになったか - tukinoha’s blog

    Something Orange エロゲに求めるものは、エロでも萌えでも泣きでもない エロも萌えも泣きも、単に語りやすいから語られているだけであって、それらをエロゲの質だと感じている人ってそんなにいないと思います。カウンターカルチャーとしての要素も同様。それらはミステリィにおけるトリックみたいなもので、たまたま記憶に残りやすいのでトリックについて語っているうちに自然とトリック至上主義者になってしまった、みたいなことが多いのではないでしょうか。 つまり、エロゲの中でも「泣けるエロゲ」が大きな位置を占めるようになった背景には、作品の性質上、「泣けた」とか「感動できる」みたいな画一的で記号的な感想を量産されたことによるユーザの「声の大きさ」があったんじゃないか、と思います。 もちろん、声が大きければ良いというわけでもありません。声の大きさを笠に着て薦められるのが不愉快だとか、ノイズが増えるとか

    いかにして僕は泣けないエロゲを愛するようになったか - tukinoha’s blog
    Erlkonig
    Erlkonig 2007/02/15
    「彼らは彼らでストーリィや設定を語ることで面白さを伝えた気になっている、と僕は感じます」 面白さの感じ方は様々なのに、レビューすることでそれを固定してしまっているのかも。
  • 1