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2018年2月15日のブックマーク (2件)

  • ホリエモンが語る球団買収の裏側。「渡辺恒雄氏に挨拶に行けば……」(石井宏美)

    2004年、大阪近鉄バファローズの買収を申し出た。買収の申し出を拒否されると、今度は東北に新球団を設立する計画を発表。最終的に参入は実現しなかったが、世間にその名が広く知れ渡り、一気に時代の寵児となった。 「Number Sports Business College(NSBC)」第20回のゲスト講師・実業家でSNS media&consulting株式会社ファウンダー堀江貴文氏と池田純氏との対話は、日を騒がせた2004年プロ野球球団買収の話から、今注目するスポーツビジネス、そして日スポーツ界への提言など多岐に渡った。 NPBの圧倒的な知名度が魅力的だった。 ――堀江さんは2004年に近鉄バファローズ(当時)の買収をしようとしていましたが、何が魅力的だったのでしょうか。 堀江「当時のCFO(最高財務責任者)が大の野球ファンで、常々『うちの会社がでかくなったら野球チームを持ちたい』と言っ

    ホリエモンが語る球団買収の裏側。「渡辺恒雄氏に挨拶に行けば……」(石井宏美)
    FCNT
    FCNT 2018/02/15
    FC東京に怒られてしまうかもしれないけど、東京にビッグクラブがないでしょ。
  • W杯に至る激動の4年……オシム、岡田両監督を支えた大熊清が日本代表チームで見たものとは - ぐるなび みんなのごはん

    日本代表では2006年から2010年までコーチを務め、 イビチャ・オシム監督から岡田武史監督へと代わる激動の時を過ごした 2003年と2005年はワールドユースの監督も務めた そんな経歴の大熊清はセレッソ大阪の強化部長になった FC東京でもセレッソ大阪でもJ2時代という苦しい時期を指揮した 昇格させてJ1で指揮を執るのを楽しみにしていたのか だがどちらのチームでも昇格後は身を引いている 名を上げる、野心を満たすという感情は大熊には無縁だ 「大変だった」という日本代表コーチ時代の話を絡めつつ 何を知り何を見てそんな心境になったのかを聞いた J1に昇格させた後、監督を続けなかった理由 チームを昇格させたのにJ1でそのまま監督をやらなかった理由は、まぁ、いろいろありますけど、どうだろうな……何かな。自分の経験とか、東京や大宮、セレッソの色とか見てきて、それで自分が変わってきたというか。 2003

    W杯に至る激動の4年……オシム、岡田両監督を支えた大熊清が日本代表チームで見たものとは - ぐるなび みんなのごはん
    FCNT
    FCNT 2018/02/15
    J1に昇格させた後、監督を続けなかった理由