シェアブログsekaiitibakaに投稿 パリを訪れる日本人観光客のうち、年間約12名が思い描いていたパリとはかけ離れた「不親切な市民」、「汚れた道路」などを見て落胆し、心理療法が必要な状況に陥るという。 ディマンシュ紙は精神科医の発表を引用、「3分の1はすぐに回復し..
三島由紀夫は日本を代表する文豪・憂国の士といわれるが、過大評価され過ぎだと思い、所感を書いておく。 駄作が多すぎる三島由紀夫はかなり多作な作家で、小説・戯曲だけでおそらく200作を超える。 新潮社の三島由紀夫全集はバカデカサイズの全42巻からなり、通読した人間は三島の専門家くらいだろう…専門家すら怪しいが。 なぜならあまりにしょーもない作品が多すぎるから。 三島由紀夫といえば金閣寺。少し落ちるものとしては仮面の告白、潮騒、美徳のよろめき、鏡子の家、憂国、豊饒の海がある。 しかし他の95%の作品は・・・? 私は三島由紀夫が好きで、小説だけでなく戯曲を含めて結構読んでいる方だと自認しているが、若者がつまらぬ観念を語るだけの作品、あまりに紋切り型の恋愛作品が多すぎて、読むのが時間の無駄・苦痛だ。 打率の低さは擁護しきれないほどである。 三島由紀夫vs東大全共闘2021年に『三島由紀夫vs東大全共
New York Timesの「We’re Google. So Sue Us.」(俺たちはグーグルだ、訴えてみろ)という記事がけっこう面白い。あと数日は、NYTサイトで無償で読めるはず。 http://www.nytimes.com/2006/10/23/technology/23google.html?ref=technology グーグルが中途半端な決心で「地球上の情報を整理し尽くす」と言っているのではないことは、いろいろなところでくどいほどに書き続けてきた。YouTube買収で訴訟リスクが云々という評論もあるが、グーグルはそんなことは百も承知の上でYouTubeを買収した。グーグルは「情報の世界」をゼロから作り直そうとしているのであるから、既存の社会の枠組みに触れて軋轢を起こすに決まっている。もうすでにさまざまな訴訟を受けて立っている。 A group of authors and
政治家を分類する古典的な基準の一つに、「政治家(politician)」と「国家指導者(statesman)」という二分法がある。この基準では、すべての懸案において党派的基準による政治的有利・不利という判断で動く人を政治家と呼び、党派的利益を越え、国益に対する信念をもとに動く人を国家指導者と呼ぶ。 もちろん両者の区別は相対的とならざるを得ない。いくら立派な国家指導者でも自身が属した政派の利益を完全に無視することはできず、反対に最も党派的な政治家も国益をまったく考慮しないわけではないからだ。ただし、どちらのタイプの政治家が率いるかによって、その時代の国の運命が大きく左右されるのは確かだ。 米国の国務長官などを歴任したヘンリー・キッシンジャーは「米国では20世紀後半に入って政治家がとても多くなったが、真の国家指導者は消えた」と語った。このようなリーダーシップの問題こそ、米国が直面している危
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