真珠湾に打ち上げられた酒巻、稲垣が乗り込んだ甲標的 米軍により回収された甲標的 捕虜時代の酒巻。酒巻はのちに、写真を撮られる際、本国で公開されることを懸念し、少しでもわからないようにと、自分で煙草の火を頬に押しつけたと明かしており、拷問の痕ではない。 太平洋戦争(大東亜戦争)における第一撃として、日本海軍は日本時間の1941年(昭和16年)12月8日、米領ハワイのオアフ島真珠湾に停泊するアメリカ海軍太平洋艦隊や周辺の軍事基地に対する奇襲(真珠湾攻撃)を実施。主軸となる空母艦載機による空襲に加えて、大型潜水艦から進発する特殊潜航艇「甲標的」(以下「特潜」)による米軍艦艇への魚雷攻撃も企図された。 酒巻は海軍少尉として、特潜の搭乗員に選抜されたが、出撃前の検査において羅針儀が故障していることが判明した。潜水艦母艦においては羅針儀の修理が不可能であり、羅針儀なしでの出撃という危険な状況になるにも