秦は十六年、隋は二十八年、安土桃山時代三十年、ぼくは七十八歳、明治維新に生まれた人は、敗戦の年には七十八歳、ものの見方が大まかになっても当然だ。 これが最近、記憶がアイマイになったときの、ぼくのいいわけである。講演を頼まれたとき、前置きに使う。ちょっとの不正確さがあったとて、許してくれろ。そう最初に断っておく。このいいわけを見つけたおかげで、気が楽になり、なんでも話せるようになった。 この前置きを好んで使っているうちに気がついた。七十八歳、これをモノサシにして計れば、秦の十六年は五分の一にも足りない。隋も安土桃山時代も、ぼくの人生の半分にも足りまい。二百六十五年間の徳川時代は、たかだか三倍とちょっとということになる。若いとき、歴史上の事件は、はるか昔に起こったような気がしていたが、この前置きで、徳川家康がずいぶん近くに見えてくる。 若い時は大正生まれの人たちは、大先輩に見えていたが、今