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ブックマーク / yakumoizuru.hatenadiary.jp (1)

  • モノとして限られていることの可能性 - 作品メモランダム

    明治から戦前までの日における雑誌の歴史を見せる企画展。 慶應3年(1867)の『西洋雑誌』から始まって、昭和8年(1933)の『婦人倶楽部』第14巻第4号まで、150点を超える雑誌の数々を並べて壮観。手にとって見ることはできないけれど、実物の表紙やページとともに、目次のコピーもレイアウトしてあるのはありがたい。 雑誌は、その実際の大きさの大小にかかわらず、一つ一つが小さな宇宙と言いたくなるようなところがある。インターネットの「相互接続」という発想から生じる、どちらかというとアモルファス(無形)で無際限(もちろん全体としては有限だが延々とリンクをたぐる読者にとっては無際限)な状態に日々接しているためか、かえって雑誌のもつ有限性や全体性が際立って見えたようにも思う。 つまり、雑誌にはモノとしての限りがあり、束ねる以上は紙葉の排列に順序があり、1ページめから読み始めて、読み進めると、最後のペー

    モノとして限られていることの可能性 - 作品メモランダム
    FeZn
    FeZn 2008/10/11
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