もはや戦う事が前提と化した
百合だからコラム百本 第3回 字余りとしての男 21世紀最大級の愚問を思いつきました。「百合に男性の登場人物は必要か?」。 これではあまりにも愚問なので、もう少しマシな形にしましょう。「男性の登場人物を活躍させれば、百合は面白くなるか?」。 多くの場合、その逆が正解です。よい作品の基礎となるのは、よい制限です。「字余りにすれば、短歌はよくなるか?」。答えは自明でしょう。 しかし、字余りの傑作、字余りであるがゆえの傑作が存在することも事実です。 この比喩でいえば、前回取り上げた『海の闇、月の影』は、自由律ということになるでしょう。百合と言われなければ百合とは思わないかもしれない、というわけです。 今回は、いわば字余りとしての男について考えてみます。 TVアニメ版『神無月の巫女』が傑作かというと、否です。が、なにかしら悪くないもの、捨てがたいもの、見るべきものがあります。野心作、という評価が妥
1月20日に日本語字幕つきで放映された、2013年度ゴールデングローブ賞授賞式(の録画)をたった今見終わったところです。お目当てはもちろん、ジョディ・フォスターのカミングアウト。編集でカットされていたらどうしようと思いましたが、全部きちんと放送されていてほっとしました。字幕の訳文もまっとうで、わかりやすかったと思います。 さて、母国語たる日本語で改めてこの名スピーチを復習してから思ったことをざっと書いてみます。 この1月14日のスピーチ以降、日本でも海外でも、「もっと早くカミングアウトするべきだったのでは」とか、逆に「なぜ今さら(≒ここまで来たらもう黙っとけ)」とかいう反応をたくさん見かけました。前者は主に、「先人が苦労してカミングアウトして、いわば地ならしが済んでから言うなんてズルイ」とか、「もっと早く言ってくれればLGBTコミュニティのためになったのに!」みたいなことを言ってる人が目立
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/01/20(日) 01:04:20.05 ID:ed8OD/tg0 俺「いや、俺飲めないって言ったじゃないすか」 上司「いやお前空気読めよ」 俺「空気も何も俺とアンタの2人だけじゃん」 上司「だから空気読めって言ってんの」 7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/01/20(日) 01:06:27.17 ID:ed8OD/tg0 俺「いやだから空気読むってのはもっとこう、多人数がいるときに…」 上司「いちいちうるせぇよ。あ、店員さん生2つね」 俺「それとウーロン茶1つ」 上司「は?ビール来るからウーロン茶飲むなよ」 俺「いや俺はウーロン茶飲みますからビール2本アンタが飲んだらいい」 上司「おまえふざけてんの?」 157 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/01/20(日)
ここ最近、キリスト教に関連のある文学に触れている。『失楽園』や『レ・ミゼラブル』など。これらの作品に触れて感じるのは、信仰を持つ者の圧倒的な情熱と、他者と関わり合おうとする想いの誠実さだ。そして、日本の世俗のなかにいて確たる信仰を持たないまま生きてきた自分には無いものである。私には居場所が無い。交友関係ならなんとなく時々会う友人はいるし、親族との交流もあるし、学生なので研究室の中でゼミ生と交流がある。(恋人はいないが)。しかしなぜか、真に安心して心を許せる場所にならない。常に自分の本心を打ち明けられないことに苦しむ。本心とは、私はあなたがたに関心を持たない。あなたがたも本当のところは私に関心を持っていないだろう。単に生きていくための利害でこうして過ごしているだけなのだということ、それで生きられるなら誰とも合わずに放っておいてほしいということだ。当然だれしもひとりでは生きることはできない。私
実は未読だったベストセラー本。怨念がこもっていてぼくは大好きです。面白かった部分をピックアップしてご紹介。 道徳的説教ばかりをする 「努力が大事」「真心をもって行動すれば、必ず報われる」「思いやりの心が大切だ」などと、誰もが反対できないようなことをいう。そして、がむしゃらにがんばれば物事は解決すると信じている。いや、信じるだけならまだしも、がんばることを人々に押しつけ、そうしない人間を非難する。 実効性のない道徳を説く人たち、あるあるですね。彼らは結局、自分の体験を絶対のものと捉えており、それでいて鈍感なのでしょう。物事についてよく考えていれば、道徳的説教が実行力を持たないことは明白です。道徳的説教を繰り出す人は、よほど恵まれてきたか、適当に生きてきたかのどちらかでしょう。 自分を権威づけようとする この種の人は、自分の権威をことあるごとにちらつかせようとする。学歴のある人は学歴をひけらか
ブラック企業肯定論と体罰肯定論は同根-若者をシバけば良くなるという日本社会の病という記事。 うん、確かにその通り、としかいいようがないね。最近体罰から自殺した高校生がいた事件の影響もあるのか、体罰ネタの話をよく見かける。ホントに日本の教育はなかなか変わらないものだなあとつくづく思う。 どうも日本人というのは、苦しい思いやつらい思いをするとその分成長すると思ってる人が多い。実際にはそんなことはない。何事にも適度な負荷というのはあって、それを超えたら壊れるのは当たり前。 ビデオゲームというのはそのへんがよく出来ていて、簡単にクリアできるハードルから徐々に難しさをあげていく。最終面まで辿り着く頃には、最初の面なんて楽勝でクリアできるようになってる。それでも油断してると1匹目のクリボーにやられたりする。こういうのは「良いゲームバランス」と表現される。 「リアルなんてクソゲー」だ、という決まり文句が
1 名前:ラストボーイスカウト@空挺ラッコさん部隊ρ ★:2013/01/15(火) 17:26:16.01 ID:???0 15日放送の「めざましテレビ」(フジテレビ系)で、肩を出した「花魁風」の振り袖で成人式に出席した女性が紹介され、ツイッターでは疑問の声が上がっている。 同番組では、14日に都内各地で大雪の中執り行われた、成人式に出席する若者の様子が放送された。今年の振り袖ファッションチェックとして、頭を盛り髪にして巨大な花を飾ったり、厚底の草履を履いたりする女性が紹介されたが、特に目立っていたのは、両肩を出して振り袖を着崩していた、花魁風のギャル集団。 インタビューを受けた女性は「花魁って形になります。すっごく寒いけど、雑誌とか見て憧れていた」と発言。この、花魁風の振り袖を紹介している雑誌で代表的なのは、ギャル系ファッション雑誌「小悪魔ageha」のムック本「着物ageha」
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