シャルル・メシエ シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730年6月26日 - 1817年4月12日[1])は、フランスの天文学者。星雲・星団・銀河に番号を振り、『メシエカタログ』を作った。 ロレーヌのバドンヴィレに生まれる。11歳の頃に父を亡くした[2]。 パリのフランス海軍天文台で、1751年から天文官ジョゼフ=ニコラ・ドリルの助手として働き、航海天文台の事務員となって彗星の発見に没頭。1758年冬から、過去の観測から出現が予報されていたハレー彗星の捜索を始め、翌1759年1月21日に発見、ドリル天文官から表彰を受ける。しかし、それはヨハン・ゲオルク・パリッチュによる発見(1758年12月25日)の1か月後だった。マスコミが未発達のこの時代、1か月遅れの独立発見は仕方がないことではあるが、パリッチュがヨーロッパ中に一躍名を知られるのと対照的に、この発見によっていわれのな
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